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日々日々

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1日(なるべく?)1エッセイ。思うこと考えることを綴っています
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#日々のこと

昼と夜

解体工事の若い人たちが土の上で昼寝していた。 ガタイのええ2人が太陽の下クレーン車の横で作業着のまますげえ気持ちよさそうに転がっていた。 熱いやん。焼けるやん。でもああ皆生きてるな生きてるんよあ。 「!」「?!」からの意味不明にじーんとしながら通り過ぎた。   街を歩いていたら桑田佳祐の祭りのあとが流れてきたから思わず言ってしまった。 「なんでやねん」「ダサ!(笑)」 せやけどこれ聴いて歌って泣くおっちゃんらとか少なくないんやろな。 エモいという言葉はこういう時使うのがしっく

踊ってゆこう 気持ちとかたち

音頭とか祭とかの流れか、 夏のこの時期、 浮かれることばかりじゃなく皆で想いを馳せ考えたい時期だからか、 昨日今日『ホライズン・マーチ』(ソウル・フラワー・ユニオン)が ずっと頭の中を流れていた。 尊敬する劇作家がよく舞台で使っていた楽団の歌だ。 ふとしたときに思い出すのはやはりこのリズムだからかもしれない。 自身のルーツを通して、 わかりあえない悲しみと可笑しさとでも希望を描いていたそのひとは、 劇団を解散した後も、 若い人たちと共にこの国と自身の国で舞台から想いを伝え続

きちんと、丁寧に しっかり

きちんと、丁寧。 大平一枝さんが聞き、書かれる人の話、いや人と話、 そして捉え方書き方にいつもじんわりじっくりと“人間”を感じさせられる。 「市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆」 改めて読んだプロフィールにもじんわりひたひたと込み上げてくるものがある。 人間は、苦しい。でも愛しい。愛しいのだ。 そう思いたいし思うのだ。思いにくいことばかりだからこそ。 きちんと、丁寧な筆に思わされる。 きちんと、丁寧な筆がおだやかに

とても、の話 「好き」の力

日々の中で例えば誰かが想いや気持ちを込めて書いた文を読むととても力をもらう。 好きな作家や書き手の本などを読むことなどは勿論だが、 誰かが自分のアカウントなどで例えば好きなものやことについて綴る語るものにも、とても。   そこには色気のようなもの、つまり人間力や人間が滲み漏れてくるような気もして、 いつも知るそのひとの深いところに触れたような気持ちと、 いつも知るのに知らない深いところにも触れられたような気持ちにもなり、 尊敬と共に、また会ったとき会えたときに話そう話したい会

ご飯を食べる その2

また振り返りになってしまうのだけれど、貼っておきたくなった。 またまたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』を思い出して、 仕事のBGMがわりに観たりもしているからかもしれない。 ジェーン・スーの言うことや書くことは時に「んー?」にはなったりもする。 (でも結構読んでる) ヒグチアイの歌はいいなと思いながらも時にクドいというかあざといなぁにもなる。 (でもこの曲はすげえと思うジワッとくる) オジサン役者好きなくせに國村準はなぜかあんまりそんなに刺さらず「んー?」が多い。 (で

潜るなり泳ぐなり

知らない人によく話しかけられる。 当たり前というか誰でもあることだと思っていた。 どうやらそうでもないらしい。 この癖(?)故にいろいろ巻き込まれたりもしてこなくはなかった。 全部(私的には)笑い話である。人見知りなのに! 何年も何年も前からの芝居仲間は言う。 「ないで普通そんなん。いっつも誰かに話しかけられてるやん」 そうかなあ。 別の観劇仲間にも言われた。 「なんかめっちゃ仲良くなってる知らんおじさんと」 なってはいない。 アホっぽくて隙が多いからだろう。自覚はしている。

いい日

きのう昼走って駆け込み「ちょっとだけ休憩を」と思った出先のカフェで、 よし一息つけたと立ち上がろうとしたら隣の席に年配の上品なご婦人が座られた。 目が合ったのでお互いどちらからともなく「ふふふ。どうも」なんて笑い合う。 ふと見ると。 彼女の羽織っておられたカーディガンの下のTシャツの柄がE.T.だった。 自転車で月夜を飛ぶあのシーン。 あの夜空の色。 自転車の2人。 いや、2人という云い方は正しいかわからへんが。 思った。 ああなんか人間ってええな本当にええね

一円玉と傲慢と一瞬

先日わたしは一円玉を拾って届けた。 一円玉はわたしのものでもご婦人のものでもなかったからレジの人に渡した。 スーパー的なところで荷詰めをしていたら知らないご婦人がいきなり声をかけてきたのだ。 「それ、私のとちゃうよねえ?」 床に落ちてた。 「え! 私のんでもない! 届けますね」   一円は一円だからこんな言葉もよく言われる。 「たかが一円されど一円」「一円を笑うものは一円に泣く」 でも一円が一円だからそう思うとか扱うのは一円に対して失礼だよなあなんて、今書きながらふと思ったの

列と雨と晴 新 蜘蛛の糸

その朝、クソ雨の中を早足で向かうともう列が出来ていたから冷や汗が出た。わたしが最後尾、最後の一人だったから。危なかった!   病院へ向かう送迎車に乗るための列なのだ。 かなり不便な場所にあるそこにここ2週間毎日通っていた・いる。 路線バスを使えばいい。送迎バスは陰気だ。そんなこと言ってはいけない。 でも滅入る。しかも暑い。ドライバーも感じが悪い。いやそれも仕方がない。 タダで送ってくれる。しかも早い。 でも8人しか乗れない。 9人居たら? 最後の一人は放っていかれる。 それが

「What?」と日々と「なんでやねん」

理由もなくきもちが上がらない日は いつも聴くラジオDJの声もテンションも選曲も腹立たしくなる。 「What?」つまり「ハァ?」 このところの暑かったり寒くなったり気候や気圧の変化のせいだろうか。 いやそれらは言い訳でしかない。 きもちなんてめっちゃ上がってる日とかの方がすくないよねというか 上がるときの方がすくないわけで、 でもDJはいつもこのハイなテンションでお送りしてくれているというプロの仕事なわけで。 つまり完全にこちらの気分というかただのいちゃもんでしかない。   と

フリマとポケット 仕事といい仕事

マーケットの語源はラテン語、商品や商うという意味らしい。 バザーの語源はバザールでイスラム語だったかペルシア語だったか、 市場だとか物の値段や価値が決まる場所という意味らしい。 つくったりあつめたりあつまってひとつの場所でそれらを売るというイベントはどこかしらでいつもおおきなものからちいさなものまでまあ行われているわけであなたもよく行くかもしれない。 わたしも通りがかると覗くし時折出向きもする。 そこは世界だと思う。   例えば「手作りフリマ」的なやつには かわいいものや個

杜子春 大阪のコンビニにて

コンビニのレジ前に列が出来たのは 先頭の客が食べ物だの日用品だのをカゴいっぱいに買っていたからだ。 わたしは列に並ぶのが好きじゃない。 元来のイラチ、あ、大阪弁で言うせっかちとか気短だ。 「コンビニでそんなめっちゃ買うのん、めっちゃ〝貴族〟やん」 穏やかではない気分になってしまう。   わたしの前に並んでいたのはお年を召した方だった。 しずかに順番を待って自分の番になると笑いながら店員に言った。   「焦らんでええで(笑)」   それでも店員さんはやっぱり焦る。そりゃそうだ。

ビタミン 花と言葉の力

お世話になっている方のお祝いにフラワーアレンジメントを買った。 なんてことのない店で買ったのだが会計をしてくれた女子は感じがよかった。 花を整えラッピングしてくれた初老の男性は渡してくれながら言った。 「ありがとう。いってらっしゃい」 歩き出してからも耳に胸に残った。   その一言が。   コンビニで海外の方? でも日本語の流暢な方が、言っていた。 会話の内容は聞いていないが、 店員さんがなにかを間違い、 それ咎めるのではないが、和ますために言ったような一言だったみたい。  

日々旅 ぼちぼちいこね

チェーン喫茶店のチーズトーストにはっとした。 なんてことないやつ、 ほんっまなんっってことないやつ。 つまりよく考えたらめっちゃ勿体ない。 とろけるチーズをのっけて食パンを焼けばいい。 帰ってひと手間どころじゃない、秒レベルの話だ。 でもしばらくこういうものを食していなかったからかな。 アタマじゃなく口が自然と注文していた。 何もアタマにないまま一口齧ったら脳と口が思った言うていた。 「あ、美味しい」 笑ってしまった。   いただいた本がもうわくわくする。 「本を贈りたい。た