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日々日々

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1日(なるべく?)1エッセイ。思うこと考えることを綴っています
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#思うこと

場所と人と気持ち ある街のたこ焼き屋台から

駅前ビルの横で屋台の店主が客に言うのを耳にした。 「僕らみたいなんはもう要らんのですよ」 数か月後駅前はとてもきれいになり屋台はなくなる。   「大阪人の家って一家に一台たこ焼き機があるんでしょ」 「大阪に来たらたこ焼き食べんと!」 大谷がたこ焼きが好きと言ったら多くの人が「へえー!!」 とか書いていたらこのタイミングで築地銀だこのニュースも知る。 その裏で大阪のなんてことない地域の屋台のたこ焼き屋はなくなる。   「じゃない方」に目が行く方かもしれない。 でも「じゃない方」

体と表現と舞台と劇場、謎の忍者からの

「からだ」って、すごい。 「きもちとからだ」って、言葉では言い表せないくらい、おもしろくて、 劇場って、ほんま、すごいよなあ、ええよなあ。 と、改めて感じたというか考えた話を書きたい。  ニンジャ・マックをご存じか。 マクドのメニューではない。サムライマックではない。 レスラーだ。空中技、空中殺法のレスラー。なんか変なんだ。変な奴だ。   シルクドソレイユ出身らしい。 スタントマンとかもやって、格闘技を経て、プロレスへ。 誰が考えたか知らないキャッチフレーズ「カミカゼ」って

月 卒塔婆の小町は笑ってる

「いい表情(かお)してるな」 卒塔婆の月の小町と対面しての気持ち。 何日経っても。   浮世絵好き江戸好きとして、 芳年や暁斎を殊更に声高に「好き」「見たい」ということには抵抗もある。 近年のいろんなブームや仕掛け方を含めての。   でも「月百姿」は「おもしろいな」 最後の浮世絵師ともいわれる芳年が 歴史上の人物たちや物語と月をモチーフに描き切った、描きまくったと言いたいようなこのシリーズ(?)は、 形、構図というか形が、イカレてる。 「漫画みたいやな」「Lineスタンプ的

躑躅と桜 豊かさや正しさやつれづれ

湯島の本屋・出発点さんがこの春から元気にお店を通常営業中。 昨日、点主がシェア本屋コーナー「はこハブ」各箱主さんの 現在の箱内の様子をXにポストされており、 わたしの箱の様子も載せていただいています。 ということで、こちらでもお伝えしたい気持ちです。 この度もお買い上げ下さった方々、ありがとうございます! 直接御礼を申せずにごめんなさい。楽しんでいただけていたら幸いです。 本だったり映画だったり舞台だったり、 物語の楽しみ方って無限。 「物語って、表現の力って、なんて豊かな

リング プロレス者とは、プロレス者のススメ

先月だったか先々月だったかは忘れたが、 プロレスの地方会場でのビッグマッチを配信で観ていたときのこと。 とある試合でずっと叫んでいる子供が居た。 「●●―!」「がんばれー!」 甲高い声で必死に応援の声をあげている。試合中ずっと。 声援を向けられているのは、悪役レスラーで、 彼がシングルマッチで闘っているのは、目下、団体が売り出し中(?)のイケメンだった。 ワルな彼は無法ファイトでめちゃくちゃやっている。 一方、相手の彼は毎回客席から登場し、 お子様客を見つけるとリストバンドな

Carat あなたもわたしも益々輝く

「いろんなこと、今の方がええんでしょうけどね。そりゃ、ぜったいに」 「そうっすよね。なんか「でもね」みたいなん、も、あるっちゃありますよね」   月イチの髪を切りに行けた先日のこと。   年齢はわたしよりすこし下くらい? いや、だいぶと下くらい? の店長と話していて。  春というシーズン、人の入れ替わり、歓送迎会などという ベタな話から始まって、呑み会についてこう言っていた。   「今は迂闊に声もかけれんですもん、若いスタッフとかにも。 かけにくいっつうか。めっちゃ気ぃ遣い

バニラアイス 正しさや正解について

今朝ふと〝バニラアイスのおっちゃん〟のことを思い出した。 誰か知らない名前も知らないこのときのこのひとである。 なんでなんかはわからん。アイスも食べてない。 言葉を探したいなといつも思っている。   すぐに「クソが」「ゴミかよ」と思う人間だからかもしれない。   言葉を探して、 「わかり合えない(かもしれない)けれど、けれど、なら、その間」を 考えたいし探したいなって、ひとと人々と皆で、皆と。   この過程で様々の誤解はされているだろうなとも思う。   それはわたしの至らな

不適切とモヤとスタート地点 ドラマ『不適切にもほどがある!』を再び考える

ドラマ『不適切にもほどがある!』が、結構叩かれているみたい。 「せやろな」「せやな」と思った。 1話目を観たわたしはうれしかった。 笑ったり笑ったり、なつかしさを感じたりもしていたから。 時事ネタがではない。 「よく観ていた頃の小劇場」感、がちゃがちゃごちゃごちゃ生き生き感、ギャグやオフザケを散りばめながら「言いたいことを伝える」を感じてだ。 でも、かな、だから、かな。でも、かな。 2話目くらいから「ん?」を思い始めた、「ん?」と「んー?」だ。 「ああ、これは、叩きがいがある

ただいま、おかえり、いってらっしゃい Stay Salty vol.35がリリースされました

参加させていただいているWebマガジン、 新年初の号がリリースされました。 「これまでの活動や経緯や、現在の日々に思うことなど、 そしてこれからの想いを交えて、エッセイとして語っていただけたら」 とお声がけをいただき、自身のこれまでを振り返る徒然語りをした昨年10月の号。   メンバーとして書かせていただくようになった昨年12月の号。   そして今回、2024最新の号です。   あちら、こちら、ゆらゆらと泡泡と、でも今と、日々と。 年末年始のそんな事が頭に浮かびというか書き

声 声なき祈りを聞き分け、形なき心の気配を感じ、結びつくこと

年をまたいで読んでいて読み終わった本が印象深かった。 昨年訪れた書店の〝新聞各紙の書評欄で紹介された本〟コーナーに 1冊だけぽつんと置かれていて何気なく手に取った。 タイトルだけをみて読み始めると「ん?」かもしれない。 〝その本〟〝それだけの本〟ではない、なかった、から。 研究者であり小説家にもなった著者による調査や研究の内容と共に「私」の話が語られる。 というか、あちこちに書かれたものがこの1冊としてまとめられた。 でも、ばらばらな話がまとめられている訳でもない。 この1冊

十三夜とハロウィンと劇場と

劇場が好きで、舞台が好きで、 なんで? なにが? ってなると ありすぎて考えすぎて言葉にはやはりならない。  舞台に表現され描かれる「内容(作品)」に観入りながら、 観ながら、観終わってから、いつも、思う。 この時間や空間って、奇跡みたいやな。すごいことやなあ、尊いなあって。   そんな体感からの気持ちや、 作品への気持ちは、 好きだから好きなほど言葉にならないし、 きれいな言葉にすればするほどなんかなんだか、 (自分の場合は)嘘くさくすらなりそうで、 好きなことやものほどS

青い糸

「人生にはいろいろある。でもなんとかなるし、生きていたら、いつか許すこともできる」 「それでも、その生活のあり方の延長線上に、私たちが周りの人にどんなに心を砕いてもどうにもならない地平が、政治によって権力によって現れてしまうのだ、ということを書きたいと思いました」   Yahoo!ニュース本屋大賞2021ノンフィクション本大賞の受賞作、 『海をあげる』の著者・上間陽子さんによる記念スピーチからの抜粋です。   昨日、この本の担当者である筑摩書房の編集者がTwitterにページ

空気の衣

世の中のほとんどのことは嘘だと思う。   特に金銭のやりとりが発生する場や間柄である場合はそうであることが多いことない?  嘘じゃないけれど嘘、が、言葉としては近いかなぁ?  でもね。 その瞬間瞬間、一瞬一瞬は「ほんとう」なのだと、とても、わたしは思う。 ほんとうとなるし、ほんとうに、ほんとうなのだ、って。 さらに、その嘘とほんとうの重なりと積み重なりは限りなくほんとうとなる。 ほんとうに。 だから人間はかなしく怖く、とても愛しく、とてもとてもうつくしいな、

人にやさしく

近所に謎のおっさんがいる。 ひとりで住んでる。いつも同じ服。ベランダには同じ服が数枚干されてる。 たまに2階から顔をだして挨拶される。「おー、ええ天気やなー」   毎日昼過ぎの同じ時間に駅のコンビニに夕刊フジを買いに行ってる。 新聞ひとつを買って長時間店員としゃべっている姿をよく見かける。 決まって同じ美人の店員としゃべってる。   正直ちょっと思っていた。「キモいなあ」   「キモいなあ」はもうちょっとありもする。   家の前で大荷物やゴミを拾ったりなどしていたら飛んできて