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その日芝居小屋で耳にしたピストル歌う『落陽』がよかった。 嫌いな役者が踊っていた。 竹原ピストルの歌は面倒臭い辛気臭い押し付けがましい嫌いじゃない。 でもこういうひとを神格化するまわりは嫌いだ。 気持ちはわからなくないがそういうのは気持ち悪い。 落陽。拓郎。ピストル。お腹いっぱいやな。 拓郎。岡本まさみ。古い。けど、時代など関係なしに中身は届く。 物事を意味だけで判断するのは愚行だと決めつける人たちが居る。 何故なんだろう。それもその人の捉え方だ考え方だ。 歌は歌
4年前に書いた自己紹介みたいな記事を読み返したら面白かったというか 「ああ、わたし(わし)やなあ」と笑って、 笑いながら拳を握ってなんだかアツくなったので載せます。 よければお付き合いいただけたら嬉しいです。 ここでは、旅芝居・大衆演劇という風に(切り口)書いているけれど、 旅芝居・大衆演劇はいつも言うが〝おおきなものいろんなものの縮図〟だと思っていて。 昨日の今日というか社会や人間を皆が考えたり考えたりまた考えたりする昨今。 個人的にもちょっといろいろばたばたと
最近大ブレイクのイケおじ役者岡部たかしが ラジオ番組で尾崎豊を「これが俺だ! みたいな」と語っていた。 『I LOVE YOU』を劇団オーディションで全身白スーツで真剣に歌った。 「真面目にやったんですけど、変な奴が来たと思われとったみたい」 「これも好き」という『卒業』。 「歌い出したら長いのでカラオケボックスで皆トイレ行くんですよ、熱くなってるときに」 あのとぼけた感じで真面目に言っていたから吹き出してしまった。 数日後に思い出したのは旅芝居界でヒール(悪)とされてい
「からだ」って、すごい。 「きもちとからだ」って、言葉では言い表せないくらい、おもしろくて、 劇場って、ほんま、すごいよなあ、ええよなあ。 と、改めて感じたというか考えた話を書きたい。 ニンジャ・マックをご存じか。 マクドのメニューではない。サムライマックではない。 レスラーだ。空中技、空中殺法のレスラー。なんか変なんだ。変な奴だ。 シルクドソレイユ出身らしい。 スタントマンとかもやって、格闘技を経て、プロレスへ。 誰が考えたか知らないキャッチフレーズ「カミカゼ」って
素敵なウェブマガジンに寄稿させていただきました。 ALOHADESIGNさんによる『Stay Salty』vol.33の巻頭PEOPLE です。 クリックしていただくと、 トップページの次にミラーボールの写真、ココです。 寄稿エッセイのタイトル&わたしの名前が出ますので よければ「VIEW PEOPLE」のボタンをクリックして下さい。 「これまでの活動や経緯や、現在の日々に思うことなど、そしてこれからの想いを交えて、エッセイとして語っていただけたら」 「さまざまな活動を
前回に続いて、 伝わりにくいかもしれないが伝えたいなあ、 なことを書きたくなりました。 ずばり、SNSよりリアルの大事さ、素敵さについてです。 わたしも、下手なりに使っています、見ます、SNS、うん、たくさん。 せやけどやはり大事なんは素敵なんはリアルやねんで、 と、いつも思っています。 いろんなことを、いろんなことは、 可能な限り、リアルで言いたいな、と思っています。 リアルでのコミュニケーションって、なかなかに、難しい。 変に下手に考えすぎもしてしまい、空回るこ
演歌の歌詞の大半は「アウト!」だと思っている。 笑えんけど笑えたり、笑わなしゃあないレベルで笑ったりする。笑えない。 例えば、ちびまる子ちゃんが歌うことでもお馴染み、 殿様キングスの『なみだの操』、あれ、あかんやろ。 おっさんが歌うからよりキモいと思ってしまうのかもしれない(失礼) 似た系統の「塩辛声のおっさんが歌う古い女(男にとっての都合のエエ女)の歌」といえば宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』もある。っていうか、こっちが先。 この歌は旅芝居界でも1,2を争うイケメン
あるひとのことを思いだしていました。 旅芝居のお客さんです。 会ったことはありません。 自分で言うのもたいへんにおこがましいのですが、 俗にいう「レポ文化」(え?文化?)や 旅芝居の舞台の感想やまとまった文を ネット上のブログで発信し始めたのはわたし。 いや、わたしだけじゃない。 けれどわたしと言っていいと珍しく堂々と言う。 何年も前に参加させていただいた某学会というか研究会でもそんな話題になり、紹介をされて、「そんなのなんの自慢にも取りえにも誇りにもならないどころか……
菊池寛の掌編小説『入れ札』を薦めた。 「文学中年」を自称するその人は 性格が悪いらしい。弱いらしい。 そんな自分が嫌いじゃないらしい。 信用できる(笑) たぶん、 剥いでみたらちょっと似てるような気がする。 と、やりとりをしていて思うようになった。 だからなんとなく思い出して薦めてみたところ、 すぐに読み終えて面白いnoteを書いて下さった。 驚きと共にちょっと慄いた。 やだなあ、わしのちいささも丸裸やないか。消えたい。 でも非常にありがたいことだとも思った。いろんな意
通りがかった書店で、 いや書店というのも違うな、 大型スーパーの一角に設置された本売り場の、 文庫本のコーナーに なぜか1冊だけ表紙を見せて立てられている本があった。 目が行った。 大好きな向田邦子の書いた、『隣りの女』。 こんなところでお会いできるなんてうれしいですね。 しかしなぜこんなところに目立つように置かれているの? 私、この本、 本作のヒロインを、 読んだ時からずっと「旅芝居の客席にいる〝どっぷり〟なお客さん」って思っています。(以下は過去記事) 話の中で「例え
数年ぶりに会った友人がジャニオタになっていた。 母と姉と共に揃ってキスマイの追っかけをするようになったらしい。 あの頃インディーズバンドにハマってフェスとか行きまくっていた友人が まさかの今ジャニーズ。いや、ジャニーズがあかんとかじゃなくて。 CDを異様な枚数買って「あげるから聴いて」と布教活動もされた。 「うん、そうそう、俳句得意な子。 その認識だけでも嬉しいありがとう。だから聴いてみてな」 当時から好きだったソイラテを片手に梅田ルクアのスタバで語ってくれた数々のジャニオタ
ある本を読み返しました。 ある芝居の事がずっと頭を離れなくて。 芥川と菊池が出てくる本です。 謙信と信玄が台詞に出てくる芝居でした。 人と人が出会うことや別れること、 それでも互いの中に互いは居て、 だから自分として生きられるということ。 そんなことを考えていて。ふと。 北村薫による小説、 タイトルは『六の宮の姫君』です。 ん? 芥川龍之介による短編小説と同じ?! いや、今昔物語集に在る話と同じ?! 偶然ではありません。 本作はいわば〝書評ミステリー〟でありながら、 大学
日曜日、来年2月で引退する武藤敬司の年内ラスト試合を配信で観た。 火曜日、休業前のNHK某の番組にラスト出演する氷川きよしをテレビで観た。 そんなこんなで、なくなってしまったある芝居小屋のことを思い出したりもしてた。 10年前に閉館した小屋。大阪は深江橋にあった。 閉館する前日夜の客は8人だった。 「なんで閉まるん」 私の感傷的な言葉に劇場スタッフはぴしゃりと言った。 「お客さん入らんもん」 思い入れもへったくれもない顔で。 「私好きだったのに。よぉ通ったのに」 睨まれた
突然ですが下駄は好きですか。 花火大会の時しか履きませんか。 そもそも今年各地の花火大会はあるんでしょうか。 ちょっと下駄を勝手に語ろう、普段履きの。 ジーパンとTシャツとかに下駄。 ちょっと前までの、我が夏styleでした。 学業をしながら演劇をやっていた頃からです。 下駄で走り込み(稽古前のトレーニングの一種)とかしていました。 「お前は鬼太郎か」 「ちゃいます、じゃりン子チエです」 夏は下駄を履き、冬は綿入れを着、片手に竹刀を持っている演出でした。 殴りませんよ!