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少し前に書いた「近所の古本屋が閉店(一時休み?)」フェアで大量買いしたうちの1冊、なんだか気になって手に取った本がよかった。 『京都みちくさの景色』(文・中村勝 写真・甲斐扶佐義 京都新聞社 1999年) 〝何十年もひとつの町に住みつづければ、人は何枚もの地図をもつことになる〟 それぞれの場所とまつわる人々、記者の目と写真家の写真でつづった50景。 ガイド本じゃない。能書きっぽくもない。変に「どや!顔」も滲んでいない。 ノスタルジーに浸りすぎることはない。 そんな文で(写真
観ました? 芸人・とにかく明るい安村が海外でめっちゃウケている、あれ。 わたしは何回も観て、何回も笑って、ちょっと泣いてしまいます。 ポージングによって「パンツ履いていないように」見えるというギャグ。 日本ではもう何年も前に流行するも、 入れ替わりの激しいお笑い界では忘れられていった。 さいきん服を着た本人がテレビに出ているのを見ても一瞬誰かわからなかった。 そのひとが、スーザン・ボイル(って懐かしい)も世に出るきっかけとなったことでもお馴染みのイギリスのオーディション
先日、新快速にて。 補助シートを使える時間帯(っていつからいつなんかいまだにわかってへんねんけど) あ、使える時間なんや、って座った。夜。 すると、後からわいわいと乗って来たオバ様たち2人組が、 補助シート(つまり2人掛け)のわたしの隣の席を見た。 「あんた座らせてもらいぃよ」「え、あんたが座り」 「あ、どうぞ」 「えー」「いやいやいや」 「ええ、ええですええです。全然。座ってください」 「いやあ、ごめんねえ」「ありがとうねえ」 オバ様2人は仲良くお座りになっておしゃべりしだ
帰り道、夜の某駅。 正確にはJR某駅と阪神某駅のあいだらへん。 道端に大量の油絵を並べて ひとりの男性が座ってた。 なにもの? 油絵は、ちいさいものから大きなものから様々で、 描かれているものも花、花瓶に生けられた花、海外の風景、ピカソ的な抽象画、と、石膏像的なデッサン、などなど。 巧いかと訊かれたら巧い。 でも巧くないかと言われたら巧くない。 たぶんそんなに巧くはない。 すくなくとも「はっ」と立ち止まるような「引き」はない。 ただ、そこを通る皆はちらと目線をやる
「いきなり!日帰りツアー」が後何回?!で終わる?のが悲しい。 観たり観なかったりながら見したり観なかったり観たらほろっとしていたから。 以前も書いたが、関西の朝の番組の中の週1コーナー。 芸人が商店街に赴き、歩いているオバ様に「今日今から旅行行きませんか」と声をかける。 オバ様は一緒に行けそうなお友達だの娘さんだのに電話をして「行けるっ」となったら そのままびゅーんッと国内の1日ツアーへ。 観光、おいしいもの、お土産、タイトル通りの「いきなり日帰りツアー」。 なにげなく観
母方の祖母は歌が好きだ。 通っているデイサービスの催しものの中でも 月1のカラオケの日を心待ちにして稽古をしている。 長年昭和歌謡番組を担当してきたといういけすかねぇ孫が、 週に何度かの訪問の際に面白がってスマホのYouTubeから大音量で動画を観せたことが、いけなかった。 「今時はそんなケータイから音が出るのんか」 「せやねん。携帯から音出るし観れるねんで」 延々リビートさせる。耳元に置かせ大音量の中よろりよろりと歌う。 歌詞を紙にデカい字で書いて渡せと言う。 「なんやこれ
演歌の歌詞の大半は「アウト!」だと思っている。 笑えんけど笑えたり、笑わなしゃあないレベルで笑ったりする。笑えない。 例えば、ちびまる子ちゃんが歌うことでもお馴染み、 殿様キングスの『なみだの操』、あれ、あかんやろ。 おっさんが歌うからよりキモいと思ってしまうのかもしれない(失礼) 似た系統の「塩辛声のおっさんが歌う古い女(男にとっての都合のエエ女)の歌」といえば宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』もある。っていうか、こっちが先。 この歌は旅芝居界でも1,2を争うイケメン
土曜日の午前中に自転車を走らせていて、 商店街で降りてそのまま押して歩いた。 一軒の酒屋の前でジャージ姿のおっちゃんが自転車を降り、停め、そのまま店に入った。 中からお仲間たちの迎える声「おはよー」 酒屋の店のちいさなカウンターで駄菓子だとかおかみさんが拵えるちょっとしたおかずなんかをつつきながら呑むアレ、角打ちというやつだ。 じろじろ見るのも失礼やし、通る際にちらっとだけ見たら、 数人のおっちゃんらがいわゆる「もっきり」を並べてわいわいやってた。 桝の中に置いたグラスに日本