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眠れない夜に

明けない夜はない

シェイクスピアのマクベスが由来とされる言葉ですが、人生において辛いことが続いている人を慰める言葉として使われています。

自然の摂理として、この地球は常に回り続け、一定の周期で朝と夜を繰り返していますが、人生においてはとても不規則で、長い夜と、ひと時の朝を迎える人もいます。

これを書き記しながら、暗い夜から一筋の光が射し、鮮やかなグラデーションが空を染める朝焼けが好きな理由が分かった気がしました。

人生においても、不遇の時を抜けて、喜びを感じるときこそ、本当に尊いものであることを。

人生の幸福度は誰かと比較して計れるものではないのですが、それに気づいていながら、優劣をつけて、それを心に刻んで生きているようです。

なんだか抽象的な話になりましたが、私の夜は幼少期まで遡り、保育園の登園初日に体験したほんの些細な出来事が、その後の人生でトラウマとして抱えることになり、集団行動を求められる世の中で、集団に入ることが大きな壁となりました。

その為、人とのコミュニケーションに難があり、友達も出来ず、常に孤独を感じる青春時代を過ごしてきました。

決して経済的に貧しい家庭ではありませんでしたが、両親の不仲は絶えず、家庭の全てを母に任せてきた父は、時として私の性格を引き合いに、母の子育てを責めたてました。

父の言動が自分の耳に届く度に、暗い気持ちに苛まれ、これによって生み出された父親との軋轢によって、必要以上に空気を読むことが求められ、引っ込み思案な性格が助長されました。

劣等感の塊であった自分を救えるのは努力しかないと言い聞かせ、何かを乗り越えるために常に頑張り続け、それが最適解だと信じて疑いませんでした。

その後、己に秘めた逆境に対する強い思いと努力で、自らの殻を破り、社会人になることができました。

でも、どうだろう?
朝から終電までの長い時間を会社での生産活動に捧げても、努力は実を結ばないこともあると知り、その結果、一生抱える病気を患うことにもなりました。

療養の為に退職し、実家に戻りましたが、それが引き金となるよう、その一ヶ月後に両親は離婚を決め、母の故郷に移り住むことになりました。

療養期間を経て、再就職し、そこでも身を粉にしながら必死で働きました。

その後も、いくつか会社を転々とし、また別の病気も抱え、それでも諦めずに、おそらく今日、人生の折り返し地点まで生きてきました。

でも、ここに至るまでに、私にとっての朝焼けは、幾つか経験できました。

心を許せる友達や恋人が出来たこと、家族を築き、子供が出来たときにはこの上ない喜びを感じ、周囲の人達と支え合いながら、今はただ夕凪のような日常に身を置いて、生きています。

文字通り、明けない夜はありませんでした。
私の人生は、数多の人生の内の、ただの一例に過ぎません。

ですが、何度挫折しても起き上がり、諦めないことが、私を救ってくれました。


きっとあなたにも、朝は来ると信じています。

さあ、眠れない夜が明けました。

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