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映画「ディア・ファミリー」から学んだ「医療者としての役割」と「努力は必ず報われる」の解釈

映画「ディア・ファミリー」。5月に福井県で行われた日本臨床工学会の前日、福井市内の映画館で行われた試写会に参加してきました。

そこから学んだ「努力は必ず報われる」という言葉の解釈をお伝えできればと思います。

ここから先、多分にネタバレを含みますので、まだご覧になってない方はご注意ください。


映画を視聴する前情報としては、国産のIABPカテーテルを開発した物語である…といったことしかない状態でした。

しかし、いきなり話が、自分の娘の心疾患を治療するために、人工心臓を作ろうと奔走する父親の話。

しかも自分の臨床工学技士の知識からすると、人工心臓は夢のまた夢。2024年現在も完全に心臓の機能を代行できる装置など存在していない。

とすると、人工心臓を開発できず、諦めかけるが、IABPのカテーテルで娘の命を助けるのか?しかし、IABPでは心臓の機能の一時的な代替でしかないはず…

という、医療の知識が邪魔して先の展開を予測しながら鑑賞していました。

予想通り、人工心臓の開発は頓挫。

でも、そこから、

「娘の命は救えないかもしれないが、 誰か他の人の命なら救えるかもしれない」

と展開して、人工心臓を作っていた経験や購入していた億越え(!)の装置が後々役に立ち、IABPカテーテルの開発に切り替えていくというところに、この映画の醍醐味がありました。

私はもういいから、と娘が言うところにぐっと熱いものが込み上げました。


さて、この映画で描かれる医療者は、組織や業界のルールに従わざるを得ない、あるいは冷たい印象で若干の悪役として描かれます。

実際開発された東海メディカルプロダクツの坪井会長も、このような体験をされたのだと思います。

良くも悪くも、医療者は患者の生き死にや人生の重要な岐路に関わっているとはいえ、究極「他人事」です。

患者さんの家族ほど、その患者に時間を費やすことなどできないし、ましてやよほどの情熱が無ければ私財を投げ打って医療機器を開発することもできません。

すべての患者の生き死にに「自分ごと」として向き合っていたら、仕事になりません。潰れてしまいます。そこまで命を背負うことはできません。

だからこそ、医療者としての役割は、薬、処置や治療が患者による自己治癒を支援することしかできないのと一緒で、患者や患者家族が(治癒しようがしまいが)その疾患を受け入れる支援をすることなのだろうと思います。

だからこそ、患者さんや患者さんの家族を「自分ごと」まではいかないにしろ、共感していく必要があるのだろうと思います。

他人事だけれど、自分の家族や近しい人がそうなったとしたら…、自分だったらどうしてほしいだろうか…

そう考えて、職種や形にこだわらず支援していくことが医療の役割のような気がします。


もう一つ、「努力は必ず報われる」という言葉の意味についてです。

池江さんがこの言葉をインタビューで発した時、否定的な意見がありました。

報われない努力もあるはずだと。

成功者しか言えない。成功するまで努力したことが、本当の努力…

いろんな解釈があるだろうな…と思っていますが、自分がこの映画から学んだ解釈は、

努力は「本人の意図した結果だろうが、意図していない結果だろうが」必ず報われる。

です。

努力は必ず報われる、という言葉を字面通り捉えると、「ディア・ファミリー」に出てくる坪井家の方々は報われていません。最終的に娘さんは心臓疾患により亡くなられています。

しかし、「誰かの命を救うことができた」という「当初意図していない結果を得ている」という観点からは報われています。

このように、努力すれば必ず意図した結果を得られるわけではありません。意図した結果を得られるまで努力できる人は一握りであり、そういう方々は表舞台に立つ方々です。

しかし、表舞台に立てなかったとしても、意図した結果が得られなかったとしても、私たちの努力したことはいつかどこかで何かの形で報われる。

そう考えて努力していくことが、意図していなかったとしても、誰かのため、ひいては、自分のためになっていくのではないかと思います。


それでは私たちも、映画「ディア・ファミリー」を鑑賞して、自分の持ち場で医療者としての役割を粛々と果たし、努力していきましょう。

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