見出し画像

被害者でいるより、参加者で

2022年のテーマは「自分にどんな体験をさせてあげるか」。そしてやりたくないことは、「かわいそうな自分」を作ることだ。

かわいそうって正直、便利である。麻薬みたいな力もある。「助けてあげたい」「スタバ奢ろうか」など優しい人から同情を頂く機会を得る。巷にはあえて かわいそう待ち をする “カワイソウカツアゲ” がいるとかいないとか。しかし「かわいそう」は賞味期限があるので長期利用は向いていない。

小学1年生のときの担任は、「かわいそうを他人に言うな」とよく言っていた。相手がどんな思いで、そんな状況になったか想像もせず、理由も聞かず、安易に口にしてはいけないということだった。

では、自分がかわいそうになったら?

先生に聞きたかったが、癌を患って何度も入退院を繰り返し、ある日戻ってこなかった。先生の歌声が好きだったので、音楽の授業はたまに思い出し歌えなくなることもあった。

脱線したが、仕方ないので自分で考えた結果、被害者でいることをやめる。これかなと。

自分がかわいそうだなと思ったら、なぜかわいそうなのか、なにが原因なのか、どうしたらいいのか、名探偵のように調べていくと、感情の取れた事実だけが転がっている。あとはできる範囲で対応する。

意外とこれが人生で役に立つ。TV時代、1年間で9日しか休みがなかったけど、かわいそうな自分を演じるよりも、会社に参加する自分として給与交渉しつづけ、24歳で月に45万円もらっていたので人生は時に参加したほうが可能性が広がるなと。

つまり、何事も「関係ない」とか言わずに参加していったほうが色んな意味で得るなと思ったので責任は増えるけど人生は参加者な人でいたいのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?