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個人的演劇史

中学3年の時に、進路に悩んだ。その時に「演劇部」というものと出会う。
演劇部が気になり始めて、高校を選んだ。
そして、進学することになった学校で既に演劇部に入っていた先輩と出会った。
中学3年が終わる春だった、演劇部で待ってるよと言われた。
そして入学し、入部したのは演劇部だった。

ここから始まった私の演劇生活は
強豪校で演劇漬けの日々だった。
照明を経験して、舞台監督助手を経験して
脚本を経験して、演出助手を経験して、舞台監督を経験した。
制作というものもやってみた。

演劇の経験が、大学の学部を決めてくれた。
社会学を専攻して芸術文化と地域の関係性を学んだり
劇場という居場所づくりが発端となり
サードプレイスという言葉にもつながった。

社会学を専攻しながらも誘われた演劇公演には参加したり
コンテンポラリーダンスの公演にも関わったり
自分で企画して演劇公演をしたりした。

大学を卒業して、開業をして
これから演劇をどう続けるかとなった時
自分で開業したならば、演劇を街でやっていくことを考え始めた。
というか、ずっと自分で考えてた演劇スクールをやりたいと思っていた。

ひとあそびスクールを始めた。


このようなスタートだった。
懐かしい、とても懐かしい。
Twitterで宣伝と高校演劇をしている学校宛に手紙を送った。
現役高校演劇部員をはじめ、サラリーマン
演劇部OBOGが集い始まった。

ここからは私の肌間での振り返りになりますが
講師で計画を立てたり、やってみたいことを思いついて言ってみたり。
うまくできた講座もあれば、うまくできなかった講座もあって
どうしたら[わざわざ来てくれたみんなを楽しませられるか]を考えてた。
演劇以外のこともやってみたくて商店街の皆さんにお世話されながら
たくさんの表現で遊んだ。

スクールをやりながらも個人の演劇制作は続いた。
し、個人にきたものをスクールに振ったり。

そして先日、3月31日に
ひとあそびスクールの卒業公演を行った。

劇場という空間はやはり魅力的で
劇場という場所が私の育った環境だったことに気がついた。
恩師はよく 「劇場で会いましょう」 と言っていた。
かっこいい言葉だったんだ。

スクール生にとっては初めての劇場での演劇公演。
人生初めてのことを成し遂げようとしてるメンバーを横に
私は今までの人生における演劇公演を振り返った。

照明は、経験していてて良いことしかなかった!
舞台監督は、人格形成に必要な要素でしかなかった!
脚本は、辛かった!孤独だった!けど一番の幸せだった!
理解されないとか面白くないとか言われたけど
私の世界の全てを表現できていた。

そんな感じ。
上演が始まる3秒前ぐらいが演劇をやってて一番ワクワクする時間だと思う。
でも今回はなんだか全部焦りも何もなくて
寂しさも悔しさもなくて
時間の経過だけを感じていた。

最後までお付き合いいただきました関係者各位には
本当に感謝しかありません。
ありがとうございました。

演劇を離れて何をしようか
と考える間もなくスケジュールが埋まっていく。
余白は自分で生み出すから心配なく、
空白の月曜日の楽しみ方をみなさんも考えてみて。

面白い日常をありがとうございました。

では、演劇人百恵はこれにてさようならです。
また違う場所で、あそぼう!

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