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まだ迷ってるんだって?

受験はこれから佳境

1月から続けてきた小学校受験も佳境の時期。お教室では内部進学や郊外第一志望のお友達が1抜けしていく時期でもある。おめでとう!!!
本当にみんながんばっていたから泣ける。
これから11月の都内を志望校とする人たちは本番に向けてさらに意識が高まっていく。

生きてること、元気なこと、存在自体がただ尊い幼児期に、土曜遊びもそこそこにお教室に通い、ペーパーに向かわせる修行に違和感を感じつつも、その感情をなんとなくスルーしていま。

いつもふざけ倒している息子が、教室にいくと別人のように真剣にやっている。毎日終わりにはがんばりすぎだよ〜とはぐをする。(間違った、、というぎこちない顔をする息子をみてグッといろんな感情を押し込めて教室ではただ見守っている)


偏差値と点数


どこの私立も教育環境は申し分ない。高い教育環境を求める親なら一度は視野に入れる人は多いのじゃないかと思う。(それがすべてではないし、あえて公立を選ぶ人もいるはず)

私立の多くは小学生も電車通学があたり前、1時間以上をかけて通学することもざらにある。息子にも、将来の選択肢が増えるならそれもまたありだと思ってきた。入れば都、きっと子どもだから適応してそこで友人をつくり、きっと切磋琢磨楽しく過ごせるのだと思う。

受験の取り組みをしたからこそ見えたことは多い。受験はペーパーだけでない。運動、工作、発言力、コミュニケーション、行儀や礼儀。さまざまな角度で息子をみてきた。運動はダントツ得意ということが改めてわかる。

息子は自由で自己表現が得意で、息子がいたらみんな楽しくなるね、と幼稚園の友だちにもお母さんたちからも人気者。一方、それがあだとなり行動観察ではペケがつく。ときに陽気になりすぎて、試験中にお友だちの肩をたたいたとチェックが入る。

自己表現が得意な割に、発言では声が小さく緊張してうまく話せない。こういう時に発揮しないで…と思わずにはいられないけれど、それがまだまだ発達途中の彼の人間らしさ、厳しい見方をすれば準備不足なのだと思う。

受験を経験して見てまったく後悔はない。むしろこんなに伴走できてしあわせだな〜、中学受験に取り組んでいく上でも、経験しててよかったなと思う。

一方、小学校受験は減点的にチェックがつく世界。5歳児の行動と能力に偏差値がつく。我が子なんか世界一最高なのに。テスト結果をもらうたび、出来不出来に関わらずいたたまれない気持ちになる。

こんなに違和感を感じるならやめたらいいじゃんと思われると思う。仕事だといろんなこと手放せるのになぜこれは?と自分でも不思議。家族の意向もあるからというのもあるけど、いまのいまさらまだ答えが見つかってない。

調子のいい息子と逆なわたし

タイトルを書きながら、わたしわたしとわたしにベクトル向けすぎじゃない?と思う…でもわたしの気持ちも置いていけないのが親の受験である小学校受験。彼は彼なりに本当にがんばっている。

5.6月は息子の学習渋りとわたしもつかれちゃって一時期ストップをした。そして8月、夏休みに補習授業という形で自分のペースで学ぶ時間をたっぷりとれたことで、息子もペーパー力もあがり何より勉強はやれば楽しい、ということを感じてくれている。発言もできるようになった。

教室の行き渋りもないし、今は少し自信もついてきてる。(慣れすぎると息子の場合気が緩みがちなのでそれもそれなのだが)

「できないことはわるいことじゃない。でもできるようになりたいなら、挑戦してみなきゃね!」と声をかける。自分の価値をペーパーテストの出来不出来ではかる子どもにならないように注意しやがら見守る。

小学受験に一度足を突っ込むと抜けるのはなかなかにむずかしい。お金の面もあるが常に可能性がつきまとうから。あの学校にいけるんじゃないか、いい結果になるんじゃないか、それはもちろんポジティブなこと。ただ上を見る。よりよいを欲張る。

息子の努力を無駄にしたくない…(いやわたしも送迎、伴走がんばったしな…)どんな道も無駄なことは何一つないのだけれど。

資本主義だな、とつくづく思う。お金に余裕があるわけではないが、何かレースにベットする感じと似ている。この時期の追い上げも課金祭りが見えている。


我が道を生きていほしい



こんな今更な悩みをあまり人に打ち明ける機会はない。教室のお母さんなんかに話すと何を中途半端なこと。とイラつかれるかもしれない。

そんな中、我が家は娘がやりたいことだらけだから型はめのない公立にいくわ!という幼稚園のお母さんの話をしていて、

「息子ちゃんは自分の道を自分で歩めるタイプだと思う、型にはめちゃうと寂しい思いをすることもあるかもね。それも含めた上でどこに導いて行きたいかは親次第だよね」と言ってもらった。息子を知りながら客観的に意見を言ってもらえる人が幼稚園にいることが本当にありがたい。

私立は規律を重んじ芸能活動を禁止しているところも多い。彼女はモデル活動してるのもあり公立一本とのこと。いろんな子供がいていろんな世界あるな…


先を見越せばわからないことばかり

来週以降は国立の抽選もはじまるというのに。せっかくお教室でも真ん中くらいの成績にもなって、今が一番調子いいですね、なんて言ってもらえるようになったのに(はじめるのが遅い割にはよく伸びたと思う)。ここまでお金かけたのに。夏休みあんなにがんばったのに。勉強たのしいって言ってるのに。

いい環境、教育水準が高ければ将来の選択肢も増えるかもしれない。経験は大いに越したことはないし、友達にも恵まれてほしい。幼稚園がまさに私立の恵まれた環境なので、その延長で小学校にもいってほしい…親の願望ばかり。

息子だけ見てたいのにな。

いい環境、質のいい教育ってそれだけを目指すものなのか?自分が見てる世界は狭いのかな?何のために?見栄?息子はレールをひかずともたくましく生きていけると信じているんじゃないか?

幸せを願ってはじめたことなのに、本当にそれは幸せなのか?がいまだにわからない。いまだに点数や偏差値で息子の価値が測られることがくるしくてしかたない。陽気で友達思いなところが評価されにくい。

できなてもいいじゃない、と思ってしまうのできっと毎日必死になってがんばる家庭の子たちに勝つことはできない。勝てなくても息子は世界一素敵だという思いもつよくなる。

果てしなく受験に向いてない親だとつくづく。息子のやりたいこともやりながら、身につけた学習習慣も大切に、近所の小学校に意気揚々と通う。そんな息子の姿はこんなにも想像できるのに、遠方の学校にかっちり制服をきて電車で通う息子の姿は想像ができない。それもこれもわたしの想像の世界。

これも自分の価値基準で測って経験がないからなのかもしれない。(受験をしている親の多くが、自分が中学校受験をしてしんどかった、お兄ちゃんの中受が大変だった、兄弟もそうしている)という経験に基づく人は多い。経験がないから、中受を迎えたときに、やっぱ小学校のときから…と思うのかもしれない。そればかりはわからない。
わからないことだらけだ。

親の尺度で子どもを決めない


国立なんて高い倍率に抽選だから悩んでも仕方ないだろって感じなのだけど10月からも教室は続いていくし、熱量は本番に向けてあがっていく。につれて自分の違和感も膨らんでいく。

今日も一生懸命取り組んでいた。陽気な一面がありつつも、やる時にはやる。手前味噌ながら立派だと思う。それを知れただけで十分な気もしてる。

自分の子どもはこういうタイプだから、と決めつけるのも違う。陽気なタイプの彼も彼なりにどこにいても咲いていくのだ。それを心から信じている。つくづく子どもは親のしらないところで成長していく。親の尺度で測ってあくせくしていること事態意味がないのかもしれない。ただ見守ってできれば少しでも長くいっしょに楽しい経験をしていきたい。

どうしても経験値が長い大人は子どものあり方を決めたがる。小学校の友だちなんて長く続かないよ。(遠方に通う場合地元の友達はできにくい)たしかにそういう一面もあるかもしれないけれど、その時その時が全部その瞬間の宝物。
全部。

受験で悩む今も息子は一歩ずつ成長している。未来を見過ぎで今を置いてけぼりにしゃだめよ自分。全部愛おしいのだから。少しのアシストと信じる気持ちさえあれば子どもは自分の道を切り拓いていける。そう信じるのみ。

価値観が変わったのは仕事での影響が大きいのもあるかも。いつも心に正直でいたい。

どんな道も愛ですから。
アディオス!

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