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ムスメが虹の橋をわたりました

2023年9月15日。ムスメさん(セキセインコ11歳3ヶ月)が虹の橋をわたりました。急逝でした。
と、直後には思ってましたが、その晩に布団の中でメソメソしながら考えていると、この1ヶ月ほどの行動の中に兆候があったような気がします。
※自分を戒めるための備忘録です。無駄に長いです。

年老いたインコと暮らすこと

細川博昭先生の本を読んで、ムスメの老後に備えていたつもりなんですが、全然ちっとも備えられていませんでした。

全ての鳥飼いさんにオススメの、とても良いシリーズ本です。もう1冊あります。
老いじたくのペットロスの項目に今回は本当に助けられています…。
ほんとに。みんな長生きしてほしい。ゆっくりゆっくり。

「老鳥との暮らしかた」は先生にサインを頂きました。もう少し長生きさせることは難しかったかもしれませんが、もう少し、ムスメが年老いていることに留意し、細かく観察し、労るべきだったなあと心が痛いです。先生の本をもっともっと読み返すべきでした。

ムスメはすごくお転婆で、過去に我が家にいたインコさんたちのどの子よりもずば抜けて運動神経のよい、それはそれはよく動く子でした。
なので老化がとても緩やかにみえて、いつまでも元気で良いわねぇ!と思ってました。それでも今年の夏は「ん?」と思うことがありました。
水浴びをしない。くちばしでちゅんちゅんって水をかけるくらい。これは過去になかったことでした。毎日でも水浴び用のタッパーを用意すると、ばしゃーん!と飛び込みバシャバシャする子だったので。
本当はこのあとから細かく観察をすべきだったのですよね…。
私の気の緩みと、この子はいつも元気だという思い込みが全て目を曇らせてしまっていました。

突然訪れた異変

14日(木曜日)の夕方、帰宅したときはまだ元気(そう)でした。カゴによじ登り、早く出して!と言わんばかりの大騒ぎ。
「お風呂はいってご飯食べてくるから待っててね」と声かけし、部屋に戻ってきた時にカゴから出して異変に気づきました。左足が動かない。ぴーんとまっすぐになっていて、浮かしてます。痛そうに肩がゆれてました。
1週間前から少し糞がゆるめで、病院に連れて行こうかどうしようか悩みましたが、元気だし、整腸剤を飲ませて様子をみていました。
私は足をみて、この判断を誤ったと思いました。悪い細菌がお腹に入ったのではと思ったのです。焦りました。

翌日病院につれていこうと布をはぐってみると、そのときはもう左足は完全に動かなくなっており、ムスメは床に寝ていました。カゴからだしてみると、かろうじて片足でゆるめに指をつかむくらいまで足の力がない。
動けないので久しぶりに体重をはからせてくれたんですが(ここのところ全く止まり木にのってくれなかったので)体重もかなり落ちていてびっくり。
シードは木曜日の夜につまんだのが最後。何も口にしないので、人間用の甘いヨーグルトを含ませました。これはまだ喜んで食べてくれる。

この足の症状、実は細川先生の本に書いてあったんです。が、私は覚えてませんでした。
病院に行き、先生に糞が少しゆるめ(にみえた)で糞がお尻にぶら下がっている、お腹に菌がはいったかもしれないと相談し、検査をしてもらいました。
体重をはかるときにあらら随分痩せちゃいましたねと言われ、そういえばここのところ全然指にもとまってくれなかったことを思い出しました。ダイレクトに肩にとんできてたんですよね。
いつものように、足から膝によじ登ることもあまりしなかったです。スリッパの上からガシガシ登ってきていたのに。飛んで膝にのってきてました。
気づくポイントはたくさんありました…でも足に難があるとはおもわなかった。なんてアホなんだろう。

診察を受けたところ、足の見た目から通風ではない、細菌やメガバクもなく糞は悪くない。金属アレルギーもなし。お腹の調子がこの体調不良の原因というわけではなさそう。
以前何度か診察してもらった時のように少し胃のあたりで出血があっているのかもしれない(微妙に古い糞が黒めだったため)。年齢的にも少しずつ食べる量は減ってるにしても、急に食べられなくなった&足がこの状態になるというのは他に原因がありそう。(胃がわるくても食べる子だったから)
検査はもう体力的に難しいし、もし検査をして足がまがらないのが骨折や腫瘍などだったとしても(若い鳥であっても)施設面から処置ができないことの説明がありました。これは元々了承した上で通っていたので、ひとまず水で練って口にいれるサプリメントと、胃薬、ビタミン剤を処方してもらい、帰宅しました。
(※病院がはじまってからずっと小鳥を診てくださってる先生です。開院直後にこちらでセキセイさんを診てもらったことがあり、ムスメのかかりつけにしました。30年超えの病院です。通常の病気であればだいたい対応していただけます。先生の判断には納得しています。)

「もう11歳ですものね、厳しいとはおもいますが、まだ(練り食事なら)口にしてくれるかもしれないですよ」と先生が言いました。慰めてくれたんだと思います。この時点で私はもう、体力がよくもって明日の未明くらいまでだなあと思っていました。
過去の看取り経験からだいたいの状況はわかってました。

病院から帰宅して10時間近く。保温をしっかりしながら、側につきっきりで様子をみてました。お昼くらいまではたまにヨーグルトを食べてくれましたが、おくすりも練りサプリメントも拒否られました。その後は水もなかなか飲めず…。時間的な猶予がないなと思い、仕事が終わったらこちらに帰れないか、昼休みに入った息子に連絡をとりました。金曜日で良かった。
結局、息子の帰宅には間に合わなかったですが、ムスメは頑張りました。息子が帰ってくるからもう少し、もう少しとはげましましたが、タクシーが到着するちょっと前に、荒い息を何度かして、そのあと鼓動がとまりました。無理させちゃったね。ごめんね。頑張ってくれてありがとう。
息子君はまだ柔らかいムスメを抱っこできたよ。願わくば、ムスメの耳に、大好きな息子の声を聞かせたかったけど。抱っこできるところまで頑張ってくれたのはムスメだもの。ありがとう。

あとで気づいたこと

この夏は水浴びをしない。これは事実なのですが、しないのではなく出来ないがムスメの気持ちだったのでしょう。この状態でも、洗面台につれていけば、水道から出る水はすごく喜んで遊んでました。水浴びが嫌だったわけじゃないのです。
飛び込まないので年をとったなぁとは思ってましたが、今おもえばここから少しずつ足の病ははじまっていたのだろうとおもいます。

1ヶ月ほど前から、お尻のほうを掻きむしるような強い羽づくろいをすることが増えました。これは将棋ばかりやってる私に頭にきた毛引きでは?と思い、注意してみていたのですが、どうもそういうわけじゃない。
ただ毛は少し抜けていたので、ストレスかもなあと思い声掛けを増やすようになりました。その頃から時々ギューギューギューと鳴くようになりました。なにかに不満があるのだろうと思って、「どうしたどうした?」なんて話しかけていたのですが。どうして言葉がつうじないのだろう。
「おかあさん、足が痛いよ!どうして?」って言ってくれたら、すぐに病院にいけるのに。ってこれは私の甘えですね。

あとからあとから思い当たる節が出てきます。
手に乗せようとすると飛んで背中に乗るようになりました。指にとまるとケージに帰らされるので、指から逃げてるんだと思ってました。
また、お手洗いに行く、キッチンに飲み物をとりにいく、そういった時にえらく寂しがるようになりました。扉横の大鏡のところで待ってることがほとんどです。確かにお気に入りの場所ですが、普段は私の椅子の上でおとなしくまってました。
ケージにいるときはカゴのすみっこまで登っていき、行かないで!というふうにこちらをみるようになりました。

体がしんどいとき、いや違うな、寿命をさとったときでしたか。インコは甘えるといいます。人でもそうだもの、そりゃそうですよね。このサインに私は「単なる甘えん坊」としか判断しませんでした。
もう少し細かく注意していたら、異変に気づけていたのかもしれないのですが…。本当に悔やまれます。

翌日

今日、16日の夕方に細川先生の本を読み返していて、毛細血管に血が通わなくなったりして腱が切れる、骨に棘ができたりという状況で、足がまがらなくなる(ムスメはこちら)もしくは丸まった状態のままになる、という記述が本の中にありました。
ムスメはほんの2時間弱で足がぴーんとなってしまったので、腱が切れたのではと思いました。あまりに急でしたから。わたしも靭帯をきったことがあります。痛いです。ああ、痛かっただろうに、かわいそうに。
足が痛いから羽を使う。(お転婆ムスメさんは飛ぶ力が凄かったんです。あまりにもすごくて危ないので、片方の羽は切っていたのですが、残念ながら切ってもかなり飛べてたという。保定を嫌がるのでここ1年は切らずにそのままでした。そこは救いのポイントでした。)そうすると体力をかなり使います。
足が痛い、何かしら違和感があるからギューギュー鳴いていたのでしょう。くちばしでつついてたのでしょう。ここで何も気づかなかった、全く観察眼をもつことができなかった自分に腹が立ちます。訴えてたんですよね、ムスメなりに。
糞がお尻についていたのも、緩め(に見えた)だったことが原因ではなく、力むことができず垂れ流しのようになってたからでしょう。お尻に力をいれると足が痛い。おそらくそういう状況だったのだとおもいます。
細かな観察眼がもれてもれて、全ての情報がバラバラになってました…。

仮に気づいたとして、足の病気に診断がついたとしても、年齢的なもの(すでにおばあちゃんであること)から痛み止めくらいしか対応は出来なかったと思います。それでも、つらい痛みだけは避けることができたはず。
痛みがなければもう少しご飯も食べることができて、足が動かなくなったとしても、介護しながら一緒に過ごすことが出来たのではないかと思うと。後悔ばかりが襲ってきます。
ほんとに自分がなさけなくて。ここであれこれ書いたところで、今更どうしようもないのですけど。

ムスメは毎日毎日、カゴの外にシードの皮や気に入らないシードを投げ捨ててたので、よく足の裏に丸いものがあたって、朝に夕にと拭き掃除をしてました。
カゴの糞きり網の下に敷く新聞を、サイズに合わせて折ってテーブル脇のカゴに常備しておく必要がありました。新聞を広げるとムスメがよってきてかじろうとします。
こういう些細な日常が途切れて、そこでムスメがいないことを再認識し、後悔がどっと押し寄せて、心がどんどん空っぽになっていきます。

思いを言葉で伝えられぬ鳥と暮らす以上、こういう後悔は何かしらあるのかもしれません。たしかに過去にも何度もありました。
ムスメとの生活は、過去の反省をちゃんと活かせていると思っていたので、自分の思い上がりっぷりが本当に情けなく…。
昨日の夕方、足がピンとなってしまった時。お尻の近く(おそらく腿のあたり)を掻きむしっていたとき。お尻に糞がついて洗われているとき。(お尻を洗うときに体を保定するので足にあたります…ほんとにごめんね…)
どんなにつらくてしんどかったでしょう。足は相当に痛かったのだろうと思います。その思いをその時に受け止めてあげられなかった分、私が心の痛みを背負って生きていかねば。

弔いをどうするか

我が家はこれまで飼ってきたインコさんたちを庭の固定の場所に土葬していました。沢山の花に囲まれ、猫やカラスなどに狙われにくい死角になるところです。
ただ、今回はどうしても庭には埋めたくなかった。連れて回れる状態にしたいとおもい、最初は火葬を考えました。
ところが、セキセイインコのような小さな鳥は、骨を残しながら火葬するというのがとてもむずかしいとのこと。技術力をしっかりみきわめて業者を選ばないといけない…とネットにあり、周囲にインコを火葬した人がいないこともあって、諦めました。
考える余裕がなかったというのもあります。
自宅の庭を片付けたときに、空きのテラコッタの鉢がいくつか残っていたので、その中のひとつを使ってプランター葬にしようと思いました。
部屋とベランダの行き来をすれば、諸々のデメリットは解消できそうです。

テラコッタの中にあった土を捨てて洗い、園芸用の土と腐葉土と石を準備。お花を上に植えてあげよう。秋植えの苗で、黄色い花がムスメに似合うなとおもい探しましたが、この夏の暑さで大変状態の悪い花しかなく…
カモミールの種をかいました。黄色じゃないけど。ムスメが好きそうな香りと見た目だなあとおもって。(勝手な想像です)

寂しくて、飼い主としてとても情けなくて、思い出すたびに涙が溢れ、後悔ばかり。そんな私にできることは、毎日お香をあげ、ムスメの名前を呼び、虹のむこうで痛みを忘れた状態で、楽しく飛び回ってお転婆生活できるように祈ることだけかもしれません。幸せでいてほしいです。ただただそれだけです。辛さを忘れてますように。楽しい記憶だけ残っていますように。

窓枠のゴミをつついたりするので、行かないようにカーテンを作っていました。
古い窓枠もガジガジかじっちゃうので、ガードも。そのままにしてあります。
写真はあとでプリントしに行きました。
左の笑ってる顔も、右のスーンとしたお顔もムスメらしさ満載で可愛いですが、近々息子お気に入りの写真に差し替える予定。

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