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「みんな」を考える
尊重
「みんな」という言葉が わたしは好きです
「みんな」だけで表現される時
愛情に包まれている感覚になります
「みんな、そうだから」と言われるとモヤモヤします
同じ「みんな」という言葉なんですが
自分は尊重されているか、されていないか
受け取り方が変わる言葉です
25年
25年前の1999年に
個人を尊重しながら
みんなの 社会的地位における責任を分かち合い
みんなが 個性と能力を使い生活する社会へ向かうために
男女共同参画社会基本法が制定されました。
25年前
わたしが社会人になりたての頃
セクハラに対し笑顔で対応することができる社会人の女性という
風潮がありました
わたしも強い心持ちで
平然な顔をして対処していました
わたしがセクハラにあった時
「○○さん、それはセクハラですよ」と
先輩がかばってくれたことがあります
「あぁ、セクハラって伝えていいんだな
これからは頑張らなくていいんだな」と安心したことを思い出します
そう、あのころは「かばう」と表現するほど
セクハラですと言うことに勇気が必要だったんです
今ではセクハラは許されないこととなり
男女と言う区別の中で
25年かけた社会の変化を実感します
男女共同参画社会基本法をみると
学校教育もそのように変わってきていることがわかります
みんながそれぞれの個性と能力を発揮できる世の中へ
男女の社会の風潮が変化した25年
これからの25年
人は尊重され、個性と能力を発揮しているとしあわせを感じます
それは誰でもそうです
みんな同じです
今は 男女としてだけでなくて
大人として 子として 人として
みんなが認め合う社会になる途中
とても愛を感じる「みんな」という言葉
人と人の間に起こる相手への期待を公平に受け止めるとき
家庭を形成する人の社会的地位、
親としての社会的地位に
みんなが共感して行動したとき
お互いに認め合う家庭に穏やかな空気が溢れているだろうと
わたしは近い未来にワクワクしています
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