9月15日バイト休み(最近思うこと)
最近
凪良ゆうさんの小説『流浪の月』の帯にある
愛ではない。けれどそばにいたい。
という言葉が頭に浮かぶ。。
というか、こびりついて離れない。
私は、基本的に一人でも寂しくはない。
なんなら一人大好き💕
たとえ気の合う友達であっても、多少の気はつかう。
だったら一人でいる方がマシ。
だと思ってた。
けれど、どうやら私の心はそうではなかったようで、
今月のはじめに限界がきてたようだ。
幸い、タイミングよくその寂しさを埋めてくれる人(生保レディさん)とおしゃべりして、寂しいという水は空っぽになったのだが、このことがあってから
今日のようなバイトが休みの日でも、嬉しいはずなのに
『自分、寂しくない?本当に寂しくない?』と、自分のことなのに、自分に疑問をもつようになってしまった。
そして、
愛ではない。けれどそばにいたい。
である。
今の時点ではまだ断言はできないけど、たぶん、私はそれなりに寂しいのだろう。
そして、それが愛や恋、友達、家族、じゃない、ただそばにいてくれるだけでいい。っていう人を強烈に求めてるんだと思う。
まさに、『流浪の月』の文みたいな人を。
さっき、断言はできないと書いたけど、一瞬
だったら、出会い系アプリでも使って、そういう人を探せばいいんじゃない?とも思った。
けど、
それはいや。という答えが即座に出てきて、同時に
そこまで寂しくない。。というか、一人でいたいし。。
とか思っちゃって、
自分、なんやねん?何がしたいねん?と。。
読者全員からつっこまれる前に自分で突っ込んでおきました(苦笑)
1人というのは、基本的に『自由』です。
自分のやりたいことをやりたいだけやれます。
気もつかわない。
ほぼ、ストレスフリーです。
だけど、神様はちょっと意地悪なのか?
人間という生き物に『寂しい』という感情を与えてしまった。
だから、いくら『自由』でストレスフリーであっても、人は誰とも関わらないでいると、本人の一人でも平気、なんなら一人でいたいという気持ちに関係なく、病んでしまうようにできている。
だったら
愛ではない。けれどそばにいたい。
という人が私はほしい。
たぶん、普通の人?社会?世間?では、それが
趣味であったり、仕事であったり、何か一人でも夢中になれるもので代用してるのかもしれない。
私も、まぁ、ヒトカラとか読書とか買い物とか、それなりに趣味っぽいのはあるけど、夢中ほどではない。
どっちかというと、ストレス発散の材料って感じかな。
まぁ、それがわかったからといって、文のような存在は私にはいないので、自分の中の寂しさと付き合っていかなきゃいけないんだろうなぁと思う今日この頃です。
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