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誰かのために何かをすることをやめました。

教典  159  「誰かのために何かをすることをやめました」


悲しい。

自分で書いてて、なんて悲しい奴なんだって思う。

誰かのために何かをする。

人の役に立つ。

素晴らしいことだ。


けど、

ごめんなさい!


私、そういうの、やめます。

というか、

やめました。


私が10代20代の頃。

まさに、私はお節介おばさんそのものだった。

当時は10代20代だったので、ほとんど、同級生か歳の近い子が多かったんだけど、困ってる人、子がいたら助けるのが当たり前だと思っていた。

けど、それが度をこえると、「お節介」になる。


私は、その境界線がわからないまま、最近まできてしまった。


それまでは、周りが大人というか

私がお節介の領域に入ってしまっても、まぁ、やってくれるし。と思って何も言わなかったんだと思う。

けど、最近は、あきらかに態度でわかるレベルになってきた。


私も、正直

なんだよ!それ!

ってムカつくのはムカつくけど


ああ〜。そうなんだぁ〜。って、以前よりかはそれを受け入れることができるようになってきた。

きっと、過去記事に何度か書いてるように、


人に興味をもたない。


もたなくなったからだと思う。

それまでは、(今もそうだけど)承認欲求の塊で、さらに、お節介のレベルまでいってたくらいだから、人の役にたちたい!っていう思いが人一倍強かった。

しかも、自分がやることで、感謝されて当たり前。

やってあげた感

も強かったと思う。


そりゃ、周りにしてみたらウザいよね。


だから、態度に出されて、ムカッとするけど、以前のように

「なんで?」とは思わなくなった。


そういう態度をとられると、ムカッとするのと同時に

嫌われたんじゃないかな?

っていう気持ちも、もれなくセットでついてきてたんだけど、

それすらも、

人に興味をもたなくなると、

別にいいわ

と思うようになった。

なったというか、なってしまったのかもしれない。


ただね。

冒頭にも書いたように、

そんな風に感じるようになってしまった私は

悲しい女

でもあるのかもしれない。


やっぱり、基本的には

誰かのためになにかをするって、とってもいいことだと思うから。


これもきっと、バランスなんだよね。(それを言っちゃあおしまい?^^;)


今の私は、そういう縛りをほどいた感じ。


だから、けっこうラクです。





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