【ももばちのヤミコラム】「これは甘えなんじゃないか」という葛藤

3日前、38.8℃の高熱を発熱。
病院でもらった解熱剤で平熱に戻ったかと思うと、薬が切れるとまた39℃近くの高熱に。

そんな高熱とのたたかいも3日でおさまり、4日目の今朝は全く熱もだるさもなくなり、けろっと元気に。

食欲も戻って体力も回復。これもう仕事できんじゃんとパソコンを開こうか考えている自分とは裏腹に、何故か布団から頑なに出ようとしない自分がいる。

結局、布団の中で1日が終わり、「ほんと自分に甘いよな」「これはただの甘えでしょ」という、耳にタコができるほど聞いたあの声が頭の中をこだまする。

それは、誰かから言われた言葉じゃない、私自身が、私自身に対して言い続けてきた言葉だ。

昔から、身体は元気なのになぜか動けないことがよくあった。「甘え」と言ってしまえばそうなのかもしれない。

でも、今になって思うのは、動かないことで涙が止まらないほどに後悔して苦しむことが分かっていて、それでも動けないのは果たして甘えだったんだろうか、ということ。

そして、「甘え」って、そんなに悪いことなんだろうか?ということ。

この息苦しい世の中、ちょっとくらい甘えたっていいじゃないか。

とはいえ、実際自分を甘やかすような事態に陥ると私の中の「頑張れないコンプレックス」が発動する。
私は、「たまには」じゃなく、常に甘えの選択をして生きてきた。
根本には、頑張ってまで生きたくないという、これまた逃げの考えがある。
だから頑張んなくていいじゃんと開き直れないのが、「頑張れないコンプレックス」の厄介なところだ。

何も出来ずに布団の中で1日を終えた今、感じること。
罪悪感、社会との分断、孤立感、存在意義のゆらぎ、無力感、生きることへの息苦しさ…。

頭ではね、存在意義なんて、森の動植物たちが皆そうであるように、誰もが自分のために生きてるっていうただそれだけで意味があるんだよって分かってる。

そう信じて思い切り自分を甘やかしちゃう時もある。

でも時々、やっぱり不安になる。
「私は私を甘やかしすぎなんじゃないか」って。
「みんなが一生懸命生きている命を、私は逃げてばかりでいいのだろうか」って。

答えは出ない。
どこにもない。

でも少なくとも、昔より私は自分の甘えを許せるようになった。
頑張れないこともあるよねって寄り添えるようになった。

それだけで、びっくりするくらい生きやすくなった。

こんな甘えだらけの生き方が正しいのかなんて分からなくて、これからも私は自分に問い続けるのだろう。
「本当にこんな生き方でいいのか?」と。

その時、もし自分の中から、「こんな生き方嫌だ!」という声が聞こえてきたら、それが動き始める合図なのかもしれない。

今はもう少し、葛藤と一緒にいてみよう。

P.S.
こんなにもがむしゃらに動き続けてきたタイミングで、また動き出そうとすることに抵抗を感じることにも何か意味がありそう。
この機会に、一旦立ち止って自分の奥底の声に耳をすましてみよう。

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