【コラム】愛されたいすべての人へ

「愛されたい」

それは、意識しているいないに関わらず、多くの人が持っている根源的な欲求だと思います。

もちろん、人から愛されたいなんて思わないっていう人もいますが、その中には、「自分は愛されない人間だ」っていう諦めや開き直りの気持ちが背景にあったりする場合もあります。

これまで私が話をきいてきた人たちの中にも、親から愛されなかった傷をずっと背負っている人、誰からでも愛される人でいようと「いい人」を必死で演じて疲れてしまっている人、自分は愛されない人間だと半ば諦めながらも愛されキャラな人への嫉妬で苦しんでいる人、恋人からの愛を受け取れずに満たされない気持ちと闘っている人…

そのあり方は人それぞれですが、「愛されたい」と願う人たちとたくさん出会い、共に向き合ってきました。

どうすれば私たちの「愛されたい」という欲求は満たされるのでしょうか?

1つ前提としてお伝えしておきたいのは、「愛されたい」と感じている人は、多くの場合、その状態のままで誰かに愛されたとしても、満たされた気持ちになることは稀であるということです。

愛を受け取る器が壊れている状態でどんなに愛を注がれても、その器が愛で満たされることはないのです。

つまり、愛を受け取るためには、まずは自分の中の「壊れた器」を修復することが必要なのです。

とはいえ、どうやって修復すればいいのか。
これについては、私自身、仮説は持ちつつも、現在進行形で模索し続けています。

最近になってようやく、確からしいと思える仮説が見えてきたので、この場でシェアさせてください。

まず1つ目は、有名な言葉なのでご存知の方も多いと思いますが、
「人から愛されるには、まず自分から人を愛すること」
(たしか何かのアニメの、死に際のお母さんの最期のセリフだったような…)

私がこの言葉と出会ったのは子供の頃で、それからずっと私の心に残り続けています。
それでも、その本当の意味が分かったのは大学を休学していた頃のことです。

自分自身の経験や、いろんな方のお話をきいているなかで、「愛されたい」という欲求は底なし沼で、どんなに愛されても満たされず、もっともっとと、更なる愛を求め続けるループにハマってしまうことが多々あります。(私は完全にこれで、恋愛依存に陥っていたりもしました…)

もう、私は愛で満たされることはできないんだろうか?
そう考えた時に、ふと気づいたことがありました。
愛を求めている時に誰かに愛されて満たされたという感覚になったことはないけれど、人のヤミの話をきいているとき、私の中は溢れるばかりの愛で満たされていたのです。

後に読んだエーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本にも書いていましたが、愛とは、そもそも求めるものではなく、与えるものなのです。
少なくとも、愛を求めている時よりも、誰かを愛している時の方が、遥かに愛で満たされた気持ちになるというのを、私は身をもって感じました。

愛を求めるのではなく、自分から愛することによって自分の中を愛で満たしてあげる。
それによって、壊れた器もしだいに修復されていくのではないか。

「愛されたい」の奥にあるのは、「愛したい」という心なのではないか。

そんな仮説をながらく検証してきました。

しかし、人並み以上には「愛する」ということを実践してきた私でも、未だに壊れた器は修復されていません。
たしかに、誰かを愛することで満たされた気持ちにはなるけれど、自分で自分を愛せるようにならない限り、器が修復されることはない。
つまり、自分は人を愛せるけれど、愛されたい欲求は残り続けていました。

そしてつい最近(恐らくもっと前から薄々気づいていたことではありますが)、「愛されたい」という欲求がダイレクトに満たされる瞬間があることに気がつきました。

それは、「自分の弱さを他者に開示した時」です。
先日の投稿で、私は今の自分がお金を稼げる状況になく、経済的にも精神的にも限界を迎えているという「弱さ」を晒し、助けを求めるという試みをしました。
正直、公の場でこのような発信することは、すごく怖かったです。
見下されるかもしれない、失望されるかもしれない、腫れもの扱いされるかもしれない…
いろんな恐れを抱きながらも、もうこれ以外道はないと腹を括って投稿しました。

結果的に、思いもよらぬほどのご支援をいただき、その時、「私はこんなにも愛されていたのか」と、幸せいっぱいで涙が止まりませんでした。

思い起こせば、不特定多数ではなくても、この人ならと信じて弱さを開示して受け止めてもらうことで、これまで私はたくさんの愛を受け取ってきていました。

壊れたままだと思っていた器はたしかにまだ壊れたままだけれど、自分から弱さを開き、受け取ってもらうことによって、いつの間にか満たされていました。

そして今思うのは、
自分から人を愛すること、
自分から弱さを他者に開き、受け止めてもらうこと、
その両方がきっと必要で、そのプロセスを経て、初めて自分で自分を愛せるようになっていくのではないかと。

自分を愛するって、簡単じゃない。

でも、他者を愛することができて、弱さも含めて他者から認めてもらえる自分だったら、愛してあげてもいいんじゃないかと思いませんか?

もちろんそのプロセスは人それぞれなので、人によっては、過去の自分を許したり、親とぶつかってみたり、はたまた親と距離をとってみたり…、いろんなやり方はあります。

自分にとっての必要なプロセスを知りたい方は、カウンセリングやセラピー、コーチングなどを利用してみるのもいいと思いますし、私でよければ、専属ヤミ対話スナックもぜひご活用ください。(宣伝するつもりはなかったんですが…)あなたのヤミと、共に向き合えたらとても嬉しいです🥰

最後に、
「愛されたい」と願うことは、決して間違ってなんかいない。
でも、願っているだけじゃ満たされない、難しい欲求だからこそ、ひとりで抱え込まずに、人の手を借りて、共に乗り越えていきましょう。

あなたのまわりが、愛で溢れる世界を願って。

ヤミが好きなだけの
ももばちより

いただいたサポートは、自分のヤミも人のヤミも愛しあえる、しんどい時にしんどいと言えるつながりを広げていくための、ももばち企画の事業運営費に活用させていただきます。