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赤穂浪士、忠臣蔵、真実はわからないけど

子どもの頃は、「正解か不正解か」という問題を解くことが多かった。正しい答えがちゃんと用意されていたテスト。間違えていたら正しく直す。
それが今の私の基礎を作っているのだとも思う。

しかし、大人になって、正解のない問題に向き合うことが本当に増えた。


昨日、赤穂浪士にまつわるお寺や神社を訪ねた。赤穂浪士とは、赤穂藩主の切腹の原因となった吉良を、元禄15年12月14日に討ち入りした47人(46人という解釈もある)のことである。

この昔話の解釈ひとつとっても、本当にさまざまな見方がある。赤穂浪士は藩主に最後まで忠誠を尽くした、という見方が一般的なようだが、藩も仕事も失った武士が、生きていくための新たな仕事を見つけるためにパフォーマンス的にやった、という説も。もう真相がわからなすぎて何を信じればいいのやら。こうなったら永遠に答えがないのである。

こんな時に、「私なら」と考えられるのが、経験のある大人だと思う。ただし、それで正解を導き出すのではなく。自分自身の考えや思いに気づく、といった感じだろうか。

私は、赤穂浪士は、最後まで忠誠を尽くしたのではないかと思っている。よこしまな気持ちで仇討ちパフォーマンスだなんて、そんなの計画段階でバレてしまう気がするのだ。バレずに決行できたのは、47人全員に共通する強い意志があったからではないだろうか。今の世の中では到底想像もつかないような、武士の心。忠誠心。絶対的な権力。色々あっただろう。だから結局今どう考えても、やはり想像しきれないのだ。

正解、不正解、という2択ではなくて、グラデーションのように、間の選択肢もあると思うし、一方向ではなく多面的に、立体的に、物事を捉えられる人でありたいなと思う。
結局、考え続けることが必要なテーマや問題ってあると思う。赤穂浪士はその類ではなく、本人たちに聞けばある程度明確になるものなのかもしれないが。ただし、真実や真相と、正しいかどうか、は必ずしも一致しないと思う。ある面からは正しく、ある面からは間違っていることもある。時代が変わればジャッジが変わることもあると思う。

何の話かわからなくなってきたが、結局何もかも幻想で、言い切ることは難しいんだよなって思ったきっかけがあったのでここに残しました。読んでくださりありがとうございました!

読んでくれてありがとう♡