許し、許される 2023.04第3週

4/17

昨日はほっともっとでバイトをしている友人に会いに行った。

オーナーさんのご厚意で唐揚げ弁当と親子丼とチキン南蛮弁当+α貰ったんだけど、これ大丈夫なの?食べた後に言うのアレだけどさ、なんらかの法に私触れたりしないよね?玄関開けたら目の前でパトカーのドア開いてたりしないよね?

たくさん頂いたので、友人と一緒に近くの公園でピクニックみたいにお弁当を広げて各々食べた。いや、ごめん、ピクニックにしては茶色すぎた。模範的食生活を諦めた人のピクニックだった。

要は2人で3つの弁当を食べたわけだから、もちろん私はお腹いっぱいになった。ほんで今日の朝死ぬほど腹痛になったとさ。    end.

4/18

ごめん、これでこの別解出す人なんなんだ。博識過ぎないか?私が無知すぎるだけ?いや画質荒。

4/19

え、暑くない?

半袖でデビューがまさか4月になるとは思ってもいなかった。早く言ってよ。

これもまさか地球温暖化……のせい……?

え、どうする夏物出してないよ。めんどくさいな出すの。冬物の袖切りたい。それを着て外出することが許される寛容な社会になってほしい。

4/20

4月なのに冷房ついてる施設に行った。

親切だけど寒み〜のよ。多分来館者がまだ長袖だということを想定して冷房をつけてくれているからだとは思うけど。

4/21

しゃおら!金曜じゃい!

ドラマ見よ、溜めてたドラマ!

「それってパクリじゃないですか?」、見よ!

なぜなら芳根京子ちゃんが好きだから。「海月姫」の頃好きなった。お目目クリリン。語弊がありすぎるな、この言い方。鳥山明作品に出てくるやつになる。

見るから日記終わるぞ!じゃあな!

4/22

高校時代、かつて同じ部活だったが私が卒業したのち部活を辞めてしまった後輩と偶然道端ですれ違った。

私は部長だった。詳しくは明かせないが、その部活の花形は団体競技である。あと、勝敗が関係する。考察のヒントは以上。ヒントが少ないって?頑張りたまえ。

うちの部活は大会で優勝したり、テレビでもたまに取り上げられるようなそれなりに実績が伴っている部活で、全国大会にほぼ毎年出場している。

部活を辞めた彼女とはかれこれ2年間共に部活をしてきた。県選抜のメンバーに選ばれた時も、学校単位の大会で県代表に選ばれた時も、常に私は彼女と共にいた。

あっ、そうそう、結構私、活躍してたんです。生涯唯一の誇りですな。

自分語りはさておき、当時まあまあ頑張っていた私に、1個下の彼女は比肩する実力を持ち合わせていた。とにかく、強かった。私も「次の主将はあの子なんだろうな」と言葉には出さなかったが確信していたし、同学年の部員も同じように考えていた。

そして、私は高校を卒業した。私の代は本命の全国大会でベスト8入りを逃した。『部長』としては自分の世代が負けたから次の世代が勝ちたまえ!というのは年長者のエゴに過ぎないと私は常に考えているので、「死ぬ気で頑張れ」ということは言わなかった。とにかく「あなたたちの世代にとって悔いのないような部活生命を最後まで遂げてください」ということしか言わなかった。今思えばあまりにキザなことを言いすぎていて恥ずかしいが。

そのとき、主将と目された彼女は「私たちは誰かに強制されるわけでもなく、全国で勝ちたいと思っています」と言っていた。

その2ヶ月後に「部活を辞める」の一報が届いた。

そりゃあ悲しさもあったし、イラっともした。全国大会は夏にあるのになぜこのチームの形成に大事な春期に、しかも主将(この時はもう確定していた)が辞めるのか、と。私も主将になったことは一応あるから、背負っているものの辛さもなんとなく理解できたし、自身が主将だったときは無力感で死にたくなるほど辛かったが、なんとかやり遂げたので「君もやり遂げられるはずだ」と思った。「近くでずっと私の何を見ていたんだ?」とも思った。「その辛さも理解して主将になったんじゃないのか?」と。

でも冷静になって考えてみれば、この考えは傲慢でしかない。人の気持ちを他人が推しはかろうだなんて、おこがましいにも程がある。

人には誰しも心の器みたいなものがあって、それはガラスのような素材で出来ていたり、吸収性のある綿のような素材で出来ていたり、大きかったり、小さかったりするんじゃないかと私は思う。当時の私の器は『割と大きいし、丈夫な素材で出来ているけど、中に入るものの重さが自分に見合っていないと内側から壊れていく』器だった。

彼女の器はどんな器であったのだろう。私は現役時代、それを知ることを怠ったのだ。彼女は「経験すること」から逃れたけれど、私は「知ること」から逃れていたんだと気付かされた。彼女の器をもし部長であった当時の私が、シルエットだけでも考えることができたのなら、このような事態を避けられたのかもしれない。私は「部長」として自我を押し殺して頑張ってきたつもりだったが、結局最後の最後で「部長」として1番大切な「知ろうとすること」をしていなかったのだ。




彼女は友人と歩いていた。きっと私とすれ違ったことには気付いているまい。私は彼女の意思決定の甘さには怒るが、それ以外のことにはもう怒っていないし、怒る権利すら私にはない。人を許すということは、自分が許されたいということと同義なのかもしれない。だから、私は自分のために彼女を許すのだ。春の夜風が蒸し暑い夏の侵入を許すが如く。あーあ、嫌な気分になりそう。

4/23

アプリコットジャムを塗った食パンを食べた後、ポテトチップスを数枚食べてパイの実を1個食べると、椎茸の味がする。

へぇー。

マイナス方向のマリアージュ。

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