見出し画像

葛藤

星野源の音楽がすきだ。

当時中学1年生。
携帯を買ってもらえず、まだCDプレーヤーと父親から貸してもらったウォークマンを使い込んでいた毎日。

ウォークマンでラジオから流れてきた音楽は、星野源のSUNだった。
何が衝撃的だったのか今も思い出せないけれど、
それでもわたしにはあの時が分岐点だったように思う。
当時身の回りにいる人たちはほぼ小学生からの友達や顔見知りばかりで、それなりに人望があると思い込んでいた。どちらかといえば友達は多い方だと。

でもそれは自分の首を絞めただけだった。
それが苦しいとも気づかずに。

クラスや学年の中心的な人たちと仲良くする自分に何か魅力があると勘違いして、でも家に帰れば途端に部屋の隅に居たくなるような、家に居るのに帰りたいという気持ちに駆られる人間だった。

家にいる時の自分が本来の自分だと、それでも良いんだとなぜか思えたのは全て、全て星野源がきっかけだった。

お年玉をここぞとばかりにポーチから取り出して買った3DSで YouTubeを見漁り、MVも見尽くした。
いわゆるオタク的なTwitterのアカウントも後に作った。

それから9年。
彼の音楽から、ラジオ、文章、演技など様々な活動を陰ながらみてきて、それでも世の中に蔓延ってしまったウイルスによって有観客でのライブやイベントは随分と行われてこなかった。

3年ぶりの有観客イベント知らせが来た。
バイトの帰りに開いたTwitterには、この時をずっと待っていたと、画面越しからでも伝わる拳が突き上がるほどの喜びが溢れていた。

もちろん、一次抽選に応募した。

ただ、わたしはこの時手放しで喜んでライブに行っていいものかと葛藤していた。
くだらない葛藤かもしれない。
それでも今のわたしはあまりにも中途半端で、醜く、こんな状況で彼の音楽を生で聴いていいのかと、いや、聴いちゃダメだと、いつものよく分からない自分勝手さが発揮した。

当選したチケットはリセール行き。
リセールも不成立になったと気付いた時は、
行ける時に行かなくてどうするんだ、と背後から呆れられているような気もした。

全4公演が終わり、レポと呼ばれるセットリストや公演内容など、いわゆるネタバレとされる内容たちが一気に目の前に溢れ出していた。

彼が披露した楽曲を見て、彼が楽しそうに笑う写真を見て、最終日に声出し解禁になったと同時に、その歓声に感極まって涙した彼を想像して、嬉しさと悲しさで胸がいっぱいになった。

あの時、わたしが自分がどういればいいのかわからなくなった時、救ってくれたのは紛れもなく彼の音楽だった。
今も同じだ。どうしようもなく、いたたまれない気持ちでいるのは。
なのにこの機会を自分から手放したことへの後悔と、最後に行った彼のライブの体感、照明、音楽、言葉たちが走馬灯のように頭の中をめぐって、次いつライブがあるかも分からない事実をまた踏みしめていた。

ただ、有観客で声出しが解禁されたこと、それに感極まって涙を流したこと。
この事実がまたいつか必ずライブをやってくれると、わたしに少しの希望をくれた気がする。

音楽は、エンタメは、現実逃避の一種だというけれど、ならばその現実逃避を存分にしてやろうじゃないか。
楽しませてくれる場を、心を明るくしてくれる彼らたちに少しでも応えたいじゃないか。
自分の卑屈さを変に正義感ぶるのはもうやめよう。

この記事が参加している募集

#今こんな気分

76,402件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?