シンプルだけど欠かせない「一緒にいて楽しい」の強さ
若い頃の私には、恋人と一緒にいるならなるべく性的な行為をしたいと思っていた時期があります。
理由は
ご飯を食べたり出かけたりすることは友達ともできるけど(恋人とじゃなくても楽しめるけれど)、そういう行為は恋人としかしないから
という、今考えると身体目的の男性しか共感してくれなさそうなものでした。
実際会うと決まればするかしないかを確認して、しない予定で会っても「彼は本当にしなくていいのかな」と思っていました。
その頃の私はとても若くて、お付き合いする相手も当然若いので、性的な欲求を満たすことは事実大きかったと思います。
でも年を重ねた今は、楽しい思い出を積み重ねた関係の強さを改めて実感しています。
そして、楽しい思い出を積み重ねるって実は結構難しくて、かつ特別な存在になる必須条件だと思います。
意図して楽しい思い出を作る
男女がお付き合いすると、楽しいことばかりじゃないですよね。
考え方の違いや不満が表面化したり、喧嘩になったり、冷戦状態になったり、ぶつかることやすれ違うことも出てきます。
これはどんなに気が合うor相性が良いと感じる二人でも、避けては通れません。
だから、楽しい思い出を積み重ね増やしていく二人というのは、それを意識して関係を構築しています。
何にも考えないで一緒にいると、楽しいだけではなくなるからです。
かつての私は主に
・性的な関係
・自分が不安になった時のメンタルケア
を恋人に求めていました。
私自身、楽しい思い出となるような時間を過ごすことにことさら価値を感じていませんでした。
もちろんいらないというわけではないけど、「楽しい時間は友達とも作れるし」というのが正直なところでした。
付き合っているんだから(そういう行為を)するでしょ?
と
彼女の私が弱っているんだから支えてよ
ここを重要視していて、二人でおいしいものを食べて「おいしいね」と言い合えることも、二人でイベントやスポーツを楽しんで同じ気持ちになることも、その大切さに気付いていませんでした。
それに気づいたのは今のパートナーに出会ったから、そして年齢的に体力の衰えや時間の有限さを意識し始めたからです。
「この人が特別」なのは、二人だけが共有している時間と記憶があるから
今はたくさんの出会う方法があるので、異性と出会う機会を(増やす意思を持って行動すれば)増やせます。
事と次第によっては一線を超える回数を増やすことも可能です。
身体を重ねるとすごく距離が近づいた感覚になりますが、必ずしもそうではありません。
性的な行為をどれくらい重要視するかは、性別を超えて個人で異なります。
極端な言い方をすると、性的な行為をする方法はいくつもあるので、それだけで唯一無二の存在になることはとても難しいのです。
パートナー関係においてお互い特別な、他者では得られない安心感や信頼を築くのに必要なのは総合力です。
性的な行為をしていればとか、定期的に会う約束をしていればとか、毎日連絡を取っていればとか、「〇〇をしていれば特別な存在」みたいな判断基準はありません。
特別な存在となり得るのは、二人で過ごした楽しい時間の積み重ねがあり、一緒においしいご飯を食べたとか、イベントに参加して一体感を味わったとか、季節の変わり目に散歩したとか、そういう記憶を共有して、かつ二人の思い出を大事にしようとする意識が必要なのです。
この人との思い出は大切にしたい。
二人で過ごせることを当たり前ではなく嬉しく思う。
信頼に基づいた特別な二人とは、こういう気持ちを忘れずにいる二人だと思います。
そして、それらの積み重ねには相応の時間がかかるので、「唯一無二の絆が欲しい、なるべく短期間で」は叶わないのです。
過去の私は、「この人と恋人なんだ」ということを最も強く実感できる行為を重要視していました。
もちろんそれはそれで幸せを感じましたが、思い出や結びつきという点では脆かったように今は思います。
友達と楽しむような時間を過ごすことができて、その上で男女ならではのコミュニケーションもとれる、結びつきが強くなるのはこういう二人なのです。
付き合ってるんだからこうして
夫婦なんだからこうでしょ
よりも、楽しいから一緒にいたいと思った結果その関係に名前がつく、そういう二人が幸せなのだと思います。
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