見出し画像

助けてほしい人間

『インビジブル』6話
言語化し難い自分の中の思いをどうにかするために、今回もこのnoteを書く。


幼い頃からインビジブルである父にインビジブルとして育てられた姉弟。
それが嫌で仕方なかった姉と、楽しくて仕方がなかった弟。
際限なく道を踏み外していく弟を止めたい姉と、また2人でインビジブルとして働きたい弟。
キリコの姉として弟を思う気持ちが見えた6話だった。

今回はこれまでにどの話よりも「本当の善悪とは何か」が描かれた話だったのではないだろうか。
キリコたちの父親は法で裁けない人たちを標的にして「殺人」という方法で裁いていた。
キリヒトに殺人の依頼をした中根沢は、自身の命を救われてもその家族が苦しみ続けることになった。
キリコは、共に育ってきたキリヒトと自分は同じ犯罪者で同じ悪だと言った。

法では裁けない人たち、すなわち法的に悪を証明できない人たちは悪ではないのかと問われたら、それは違うと多くの人が答えるだろう。そういう人に苦しめられている人はドラマの世界だけではなく現実世界にもたくさんいるのではないか。それを考えるとキリコとキリヒトの父親のような「インビジブル」が現実にもいるような気がしてくる。何があっても人を殺すことは決して許されることではない。しかし、決して殺人を肯定するわけではないのだが、それによって救われる人がいるという事実もあるのかもしれないと思えてしまう。前回5話で、3年前、痴漢の冤罪をかけられ自殺した夫の恨みを晴らすためインビジブルに依頼したという女性が「後悔はしていない」と言っていたのがまさにそれだろう。

そしてそれの逆が今回6話で描かれた、命を救うことがその人自身や周囲の人を救うことになるとは限らないというものなのではないだろうか。おそらくこれまでも数多のドラマで描かれてきたテーマだと思う。私自身もそのようなドラマをいくつも観てきた。しかし何度取り上げても絶対に解決しない難しい問題であるが故に我々視聴者は何度も問われるのだろう。
1人の命を救うことでその人が大切に思う人たちを苦しませることになる。キリコや警察がしたことは決して間違いではない。だが、その結果、中根沢の家族は苦しみ続けることになった。キリコや警察がしたことは正誤で言ったら間違いなく「正」であるが「善悪」で言ったら必ずしも「善」とは言えないのかもしれない。
今回の話では「ターゲットを1人でも救えたらキリコは諦める。1人も救えなかったらキリコはキリヒトの元へ戻る」という条件が初めにキリヒトによって示されていた。どちらの結果になってもキリヒトが損をすることはない。真の意味で「救う」ことはできないのだから。実際キリコが取引としてデータチップを渡したことで、キリヒトは損どころかむしろ得をしたのではないか。

これによってキリコは悪に加担したとキリヒトに言われた。そしてキリコは自分もキリヒトも同じ犯罪者で同じ悪だと志村に言った。しかし志村はそれは違うと、何が正義で何が悪かは俺が見極めると、そうキリコに言った。
キリコが過去にキリヒトとともにインビジブルとして働いていたのなら、犯罪者であることは同じだ。しかしだからと言って2人の悪が同じであるとは私は思わない。少なくとも今キリコは弟を止めようとしている。それは正義ではないのか。一緒に生活して成長してきたとしても2人にはどのようなお思いでこれまで手を汚してきたかという部分に決定的な違いがある。そしてその思いをキリコは「正義」として行動に移したのではないか。それならば一概に同じ悪とは言い切れないだろう。

すべての善悪の基準が明確に法律で定められているわけではない。誰かにとって善であっても別の誰かにとっては悪になることだってたくさんある。分かりやすく悪を体現しているように見えて、実はその裏で彼によって救われる人がいるというキリヒトが登場したことで、このドラマのテーマがしっかり描かれるようになったのではないだろうか。これから残り4話でこのテーマにどう決着をつけるのか期待したい。


さて、ここからはまた今回も極上の芝居を見せてくれた2人について書こう。

回を重ねるごとに最強バディ感が強くなっていく2人。どうやらまだ出会って3週間という設定らしい。いやいや声を発するタイミングとか間の取り方とか3週間のそれではないでしょ、と思わず言ってしまいたくなる。

キリコの目的が明らかになるにつれて柴咲コウという女優の芝居の上手さというものも顕著に表れてきたように感じる。(もともと超絶演技巧者であるのは百も承知の上で、だ。)

例えば冒頭のシーン、キリヒトに対するキリコの話し方。睨みつけるような目線だったり、低く少し震わせた声だったりに、怒りや憎しみ、相手の腹を探ろうとしているような心情を読み取らせてくれた。

キリコが志村を助けに来たシーン。無駄のない動きのアクションに低く静かな、それでいて相手を圧する声と話し方。台詞のない部分の目線や口角にまで神経が行き届いている。そしてその全てがとにかくかっこよくて美しい。
また、深読みしすぎかもしれないが瀕死の志村に対して言った「簡単には死なせない」という言葉にはいくつかの意味が込められているような気がした。

ラストの志村とのシーン。「あの頃の弟を取り戻したい。今してることをもうやめさせたい」と言いながら泣きそうになって俯くのも、志村に「助けてやるよ」と言われて嬉しそうにしている絶妙な表情も、キリコってこういう人間なんだというのを伝えてきた。
これは私の個人的な考えだが、キリコはこれまでインビジブルとして依頼を受け、殺人という形で依頼人を助けたことはあっても、誰かに助けてもらったことはあまりなかったのではないだろうか。幼少期は姉としてキリヒトのことをそばで守ってあげていたようだし、今もキリヒトがしていることを止めるという事は、ある意味では道を踏み外していくキリヒトを助けようとしているとも捉えられる。だから志村に、お前は助けてほしい人間だから助けてやると言われた時心の底から嬉しかったのだと私は思う。

柴咲コウの芝居が好きな理由として大きなものが、「うわ、、すごい、、」と圧倒されるというよりも、自然で、いつの間にかすっと心の中に入ってきているから、というものがある。役が実在しているかのように感じるのだ。今回も例外ではなく、キリコという非常に特徴的で個性的な人間であるのにそれがものすごく自然に感じる。この感覚が私は大好きなのだ。


ドラマを観ていると3か月なんて本当にあっという間だ。終わった時に「観て良かった。出会えて良かった」と心の底から思えるドラマは年に1、2本しかない。しかしこの1、2本は何年経っても自分にとって大切な作品になる。『インビジブル』も私にとってそういう作品になるかもしれない、いや、なってほしい。それはこれからのストーリー展開にかかっていると思う。高橋一生と柴咲コウの極上の芝居に引けを取らない展開を楽しみに、来週以降も視聴したい。




ところで、先程書いたラストの志村とキリコのシーンについて1つ突っ込ませてほしい。

『何故に志村はキリコが使っていたカップにそのままお茶を注いで飲んだのですか??????????』

さらっと、本当にさらっと流れていたけれど、あれ間接k...





P.S. 制作側にいる(確信)直虎のオタクの方、今回もアンサーありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?