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<6月>今年は研究しない!寄り道する!

先月書いたように地図に対するモチベーションを取り戻したら、これからやりたい・やることが急にポンポンと決まっていっている。これが引き寄せの法則か笑。まあそんなスピリチュアルなものではないと思うが、自分の中にある潜在的にこれをしたいという意識が自然と次の行動を決めていっているのだと思う。

何をやりたいかがハッキリしてきた今月、今年度の目標というか、今年度を具体的にどう過ごしたいかが決まってきた。
ハッキリ言うと、「今年は研究はしない!!!」

実際には研究はするんだけど、これまでの地図に対するアプローチを変えて、アカデミック的なリサーチから地図に迫るのではなく、これまでやったことがない新しい方法で地図に近づいていくことにした。方法を変えることで地図を幅広い視野から見ていきたいのが一つと、単純に同じことの繰り返しでは気持ち的にも飽きがくるので、やり方を変えることで地図に対する新鮮さを感じたい。よく考えたら、地図の研究を始めて今年でちょうど10年目。これまでと同じではやっぱり楽しさを忘れてしまう頃だと思う。
なので、今月は今年度のそれぞれの挑戦についてここから書いていく。


また査読論文を書く

さっそく研究の話だけど、5月に提出した査読論文の結果が返ってきて、結果はリジェクト(不採択)。やる気のない時に書いた査読論文はやっぱり落ちるのだなと。そもそもこの論文の文章を日本語で執筆したのが去年の末ごろで、そこから半年経って議論も深まっている今、改めて自分で読んでみると内容が浅い笑。普通に書き直さないと。一応査読者からのコメントももらったんだけど、空想地図を描いている人がいないからか分からないけれど、的を得てない謎のコメントもあった。やっぱり日本語で書いて自分が伝えたいことをちゃんと書きたいし、空想地図に関しては日本の二次創作のカルチャーも背景にあるような気がしていて、海外の人に文脈を共有しづらいこともあるから日本の学会に日本語で出し直したいと思う。
あと最近になってようやく査読論文と学位論文の違いがわかったような気がしていて、まず学位論文は実証としてのリサーチをベースにしつつ、そこから導き出される考察を含めた自分なりの「ストーリー」を提示するもの。それに対して査読論文は問いを立てた上で実証をおこなうもので、その明確さが重要視される。たぶん理系の研究だと査読論文的な内容で学位論文を書くこともあるんだと思うけど、文系だとそれぞれ微妙に違う論文な気がする。この違いをあんまり理解してなくて、ふわふわした論文を書いて査読の審査に提出しちゃってた…
今年はいわゆる研究としての新しいリサーチはしないけど、これまでのリサーチをちゃんと査読論文の形に仕立て直してもう一回チャレンジしたいと思う。

個展やれそう

論文リジェクトされて落ち込んでた矢先、嬉しいお知らせも届いた。日本地図学会で募集していた瀬戸玲子基金に、地図の個展をしたいという主旨で応募していたのだが、採択の内定をもらえた。前から研究として自分自身によるさまざまな地図制作の実践をしたいと思っていたけれど、なかなか地図制作のモチベーションが湧かなくて、個展をやるとなれば良いモチベーションになるし、いよいよ作ることになるだろうと思って応募していた。そう言う意味では地図を作ること自体はもちろん研究でもあるのだけれど、今年は展示会を目標にしつつ、純粋に「地図づくりを楽しむ」。
このマインドが降りてくる前、研究しなきゃしなきゃと思い詰まっていて、自由に何も考えずに楽しく筆を走らせて地図の下絵を一枚描いても、描き終わった後に「こんな地図じゃ研究の対象にならない!」と思って途中で描くのを止めようとしていた。だけど、それを夫に話したら「桃(わたしの呼び名)はただただ地図を作るのが好きな人でしょ?」と言われた。もうそれでハッとしたね。前まではとにかく地図をつくるが先行していたのに、今は地図づくりを完全に研究の手法にしてしまっていたことに。最終的には地図をつくることはもちろん研究につながるんだけど、今年は一旦そう言うことを考えずにとにかく作りたい地図をつくる!好きな地図をたくさんつくる。今のところ、こんな地図を描いたら面白いんじゃないかみたいな案は10個近く思いついているので、あとはそれを地図にしていこうと思う。
(余談だけど、ひとまず一枚好きに地図を描いてみたら思いのほかスラスラ筆が進んで2時間くらいで一枚の地図の下絵を描き終えていた。自分でも描き進める速さに結構おどろいた。)
🌟展示会は来年2025年の3月に都内にて開催予定!!

デザイン教育としての空想地図

福岡で行われた日本デザイン学会春季大会の参加して、空想地図について発表してきた。デザイン学会では空想地図について昨年の秋に発表したけれど、ちゃんと15分使って研究の内容を発表するのは始めてだったのでどんなフィードバックがくるか、デザイン学として受け入れてもらえるのかドキドキだった。そしたら発表の後に座長をしてくださった先生が、空想地図の描画はデザインの初等教育の手法として使えるねという話をしてくださった。たしかに教育に使えるという観点では、石川さんの地図の授業では毎年今和泉さんを講師として空想地図をつくる(コラージュのように街のパーツを組み合わせて架空の地図をつくる)授業が行われているし、空想地図を授業にできることはわかっていた。しかし今回新たに気付かされたのは、空想地図は描画の技術や地図デザインの解像度を高めることが必要であると同時に、対象であるフィールドの観察を繰り返す必要があることで、いわゆるデザインの基礎である「デッサン」と近い工程を街を対象におこなっていると言う点だ。この点で空想地図はデザインの初等教育に使えると指摘をもらった。
座長の先生と相談して、今度授業で一緒にやってみようと言う話になった。この話が進めばまた新しい観点で空想地図を探求できそうだ。

あたらしいコミュニティーで地図を語る

さらにありがたいことに、修士課程の時の同期から、彼が手伝っている編集部で地図の特集をしたいと考えており、関わらないかというお話をもらった。
今月の初めにさっそく一緒にディスカッションをさせてもらい、記事のアイデアや”地図とは”という大きな問いについて何人かで3時間くらいかけてじっくり議論をした。これまでアカデミックと言う文脈でしか「地図とは」を考えてこなかったが、アカデミックとは異なる新しいコミュニティー(しいて言えばアート寄りの思考のコミュニティと言えそう)でディスカッションをしたことで、思考の発散にもなったし、思いもよらぬ結論に辿り着くことができた。
ネタバレになるので詳細には書けないが、あえて抽象的に話すと「地図とは見えないものを可視化するもの」という話で、現代では見えないものがなくなったと信じられているから地図がなくなってきている、だったら見えないもの自体を作ればいいのでは?見えないものの地図が現代には必要だ!みたいな話ができた。
当たり前だけど、メンバーが変われば話の方向や考え方は変わってくるものなので、他のメンバーの発言に刺激されながら自分の思考が普段アカデミックの時とは違う方向に振れていく感覚がとても新鮮だった。あたらしいコミュニティーに入る良さとはまさにこういうことだと実感できた。

まとめ

いろいろと今やろうとしいることを言語化してみると、総じて自分が「新鮮さ」を求めていることが明確にわかる。環境、方法、人間関係を少しだけいつもする選択とは変えていくことで、自分が出会うものをこれまでとは変えていこうとしているのだと思う。今年は寄り道の一年にするんだ。そしてアカデミックだけでなく、デザイン(やアート?)の面で自分を補強して、そっちの方面でもやっていけるんだという自信を自分に持たせたい。「どれだけ大きく寄り道して、これまでとは異なる世界を作れるか・見れるか」を今年の大きな目標としよう。

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