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【取材記事】仲間と仲間を繋げる!アフリカを愛するKAKAさんがみた世界。

みなさんは「アフリカ大陸」と聞いて、どんなイメージがありますか?

野生動物、赤い土、カラフルな生地を纏う人々の姿、マサイ族などの伝統民族。もしかしたら、発展途上や、紛争、飢餓をイメージする人もいるかもしれませんね。

将来はアフリカでビジネスをしたいと夢見る筆者にとって、「アフリカといえばこの人!」と言っても過言でもない男性がいます。その名前はKAKAさん。彼は、ア福リカというアフリカ好きを繋げる団体の代表で、鳥取県とアフリカの二拠点生活を送っています。

ア福リカ(Afukurica)はそれぞれのアフリカ経験から学んだ3人がアフリカの村の
「人を大切にする人間本来の生き方」
から人生をDIYしていける人を増やすワークショップを開催しています。アフリカでのビレッジステイプログラムや日本でのアフリカ村づくりを行っています。

ア福リカのつくる空間は歩くアフリカ空間であり生き様のアート空間です。

公式サイト

人を繋げ、幸せとは何かを追求し、少しずつ見えてきた答えに向かって進み続けるKAKAさん。彼の原動力はどこからくるのかを伺いました。


人を繋げたい。ア福リカの代表の半生とは


ーーアフリカ好きの人を繋げる団体「ア福リカ」を創設して、国内外で数多くのプログラムを遂行されているんですね。まず初めに簡単に自己紹介をお願いできますか?

1996年生まれの2024年で28歳、神戸市出身、2023年4月に鳥取県大山町に移住して来て、いまは国内でアフリカの生活を体験できる施設を作っています。夏はガーナやタンザニアで現地の生活体験プログラムを実施しているので、日本とアフリカの2拠点生活を送っています。

ーーアフリカに興味を持たれたのはいつ頃ですか?

5歳くらいだったと思います。書道家の父の教育方針で、テレビやゲーム、漫画などの娯楽が一切ない生活でした。できることは本を読むか、勉強するか、ラジオを聴くか。

そんな時に祖母の家で、テレビでアフリカのどこかの民族の映像を見たんです。心から楽しそうに踊ってる様子を見て、この空間に入りたい。と思ったのがきっかけです。

幼少期のKAKAさん

幼稚園の頃から、どんな国があるのか興味があって、世界地図と睨めっこをしていました。世界のことを勉強するうちに、情報が少なくて、周りの友人も知らないアフリカにより一層引き込まれていきましたね。

ーーそんなに幼い頃に出会われてたんですね。いずれはアフリカに関わりたいとずっと思っていたんですか?

小学校一年生のときから卓球に没頭していたので、頭の片隅にあるくらいだったんですが、大学進学をきっかけに再燃しました。

卓球では大会で結果を残したり、周囲からは教えるのが上手いと褒められていたんです。教員をしていた母の影響もあって、「将来は教師になって、部活の顧問をしたい」と思い、教育系の学部を目指すようになりました。

しかし高校3年の12月にふと、「なんで教師になりたかったんやろう」って疑問に思ったんです。そして改めて考えた時に、部活の顧問をしたいけど、勉強を教えたいわけではないと思いました。

そして、ずっと卓球一筋で生きた自分が、それ以外にむかし何が好きだったかなと考えた時に、アフリカを思い出したんです。死ぬまでにアフリカに行かないと後悔すると思い進路を変え、一浪の末、2016年に福井大学の国際地域学部に入学しました。

卒業直前の進路変更。再燃したアフリカへの想い


ーー大学に入ってからはすぐアフリカに関わり始めたんですか?

本格的に関わり出したのは、2年経った2018年からです。大学に入って遊び尽くして、燃え尽きた後、これから何しようって考えた時に、起業をしたいと思い浮かんだんです。

いろんな場所に足を運んで、「何をするか決まってないけど、とにかくアフリカで起業したい。」と言い続けました。そしたら出会った人がみんな、新しい人に繋いでくれて、その先で出会った先輩2人と19歳の時、炭焼きを体験する事業と、屋台のテントをレンタル・販売する事業を始めました。

そして、もっとこのビジネスを頑張りたい。と思い大学を休学。海外ビジネスインターンの武者修行プログラムに参加して、チームワークの大切さを学んで帰ってきました。しかしその矢先、先輩が重度のうつ病になっていることがわかりました。

そして事業がなくなり、自分もうつ病になったんです。周りが暗くなっていく感覚があって、家の中にずっといたら危険だ。と思いました。武者修行で出会った仲間に会いにヒッチハイクをしたり、旅先で仲間内でやってる「夢を語る交流会」に参加させてもらったり。

もちろんそこではアフリカの話をするんですが、まだ行ったことがなかったので、説得力に欠けるなと気づいて、3週間タンザニアとケニアに行きました。

福井県発で全国各地をヒッチハイク

ーー休学後に初めてアフリカに行かれたんですね。実際現地で過ごされた時間はいかがでしたか?

初めて空港に降り立った時は、土の香りがして、田舎のおばあちゃんの家に帰って来たような感覚でした。現地では携帯を取られたり、留学生の友人伝てに宿を提供してもらったり、刺激的な時間を過ごしました。

実は行く前は「アフリカに行ったから」と注目されると思っていたんです。しかし、ただの大学生が現地に行くくらいでは何も変わらず、自分で動くしかないと思い、報告会や、ボランティアをしました。するとそこで繋がった人が、タンザニアで、ソーラーパネルを活用した発電所を作ろうとしている人に繋いでくれました。

ずっとスワヒリ語と英語を勉強していたので、通訳として一緒に連れて行ってもらえることになり、2019年にタンザニアのマンジランジ村へ行きました。

ーー起業だったり、タンザニアでの事業だったり、たくさんの人に繋いでもらって、今のKAKAさんがあるんですね。

そうですね。村での経験は特に今の自分にもつながっています。その村は電気も水道もガスもなくて、世間的には貧困地域でした。

村の人々は焚き火をしたり、毎日3-4時間歩いて井戸で水汲みをしています。また、携帯電話はあるものの電気は通っておらず、充電のために遠く離れたソーラーパネルを求めて何時間も歩き、充電中にサッカーを見て帰る。という生活。牛や山羊などの動物も多く、数えきれない動物とともに、自給自足の生活をしていました。

そんな村では驚くべき文化がありました。村全体で子育てをする習慣が根付いているため、子どもたちは村のどこの家でご飯を食べても良いんです。また、それは外部に対しても同じことでした。お客さんが来たら、村で取れた作物の40%をもてなしで使う。「所有ではなくシェアを」という精神が根付いていました。

村での時間は自分にとって、人間の本来あるべき姿を見れたような気がして、地上の楽園だと感じました。家族のように受け入れてくれたこの村と、ずっと関わりたいと思ったんです。

帰国後には、ガーナでのプログラムや、福井でのアフリカを感じるアートプロジェクトをする予定だったのですが、コロナで全て中止になりました。

コロナ禍でもできることはないか。と考え、アフリカ×福井×幸福をテーマにア福リカ(読み:あふくりか)という団体を作りました。今まで出会ったアフリカ関係の方に、オンラインで経験談を話してもらったり、アフリカに興味がある参加者を繋げるイベントを始めたんです。

リアルで出会いの空間も作りたくて、熊本県で「アフリカの村のような暮らしをする」というワークショップも開催しました。僕自身も、SNSや過去に繋がっていた人と実際に会うことができ、その縁から今は3人でア福リカを運営しています。

KAKAさん(左)とア福リカの仲間

アフリカを愛し、愛されるKAKAさんの思い描く未来とは

ーーこれから思い描いている未来について教えてもらえますか?

もっとたくさんの人に、日本でもアフリカを感じることができて、現地でもプログラムなどで文化や生活をより深く知れる機会を増やしたいと思っています。また、将来はタンザニアに移住して、マンジランジ村を中心に、心を通わせられる村作りをしようと思っています。

現地でのびのびと暮らすKAKAさん

ーーKAKAさんが思うアフリカの魅力を教えてください。

今までアフリカ6カ国を訪れて、各国で出会った人たちに「人生の目的はなにか」と聞くと、9割の人が「友人関係を広げることだ」と言っていたんです。

「今日新しく友達を作って、明日自分のことを覚えていてくれる人が1人でも増えれば、明日の自分は死なない。それが今を生きることにつながる。」と。そんな彼らの価値観に触れられたことが僕の財産になり、そんなアフリカの魅力を、もっとたくさんの人に知ってほしいと思っています。

マンジランジ村や近くの集落ではグローバル化が進んでいますが、それによって残念な変化も生まれています。

海外の支援団体が村の近くに井戸を作り、以前の井戸が使われずに水質が悪くなっています。現地の人に技術は継承されていないため、いずれは新しい井戸を管理・修理できず、それも使えなくなるかもしれません。

また、壮大な畑を作って現金収入を得るために、保水力が高いバオバブの木を大量に切り倒そうとしています。生活の向上につながるかもしれませんが、地域一帯の森林をなくすことは砂漠化にもつながります。

現地では森を守りながら、自給自足や今の暮らしを守れる村を作れないかと考えている友人がいます。彼の力になれないか、一緒にできることはないか考えています。

農業や、現地で生活する上での知識は、彼らに勝るものはありません。ただ、アフリカは口承文化。口で伝える文化なので、数えきれない先人の知識や経験も、共有しきれていない一面があります。

近いうちに日本語の本にあるソーラーパネルや井戸掘り、農業などの専門知識の情報と、アフリカで伝えられ続けた知識や情報を混ぜ合わせた本を作りたいと思っています。

たくさんの人を繋げて、出会いの空間を増やしたい。今まで自分を支えてくれたアフリカに恩返しをして、一緒に生きていきたい。誰もが自分らしく、人と人が助け合いながら生きていける環境を作りたい。それが今の夢です。

ーー編集後記
わたしとKAKAさんは、ア福リカのオンラインイベントで知り合いました。そこでアフリカが好きな女性と繋がり、彼女の紹介でPOOLO JOBという旅を仕事にするためのオンラインスクールに通いました。

山と山は出会わないが、人と人は出会う。

KAKAさんが大切にしているアフリカの諺です。アフリカとの出会いが彼の人生を豊かにし、与えてもらったものを、現地の人や次の世代に返したいという想いから動き続けているのでしょう。

強い眼差しで経験や夢を語ってくださり、わたし自身夢を声に出して、人を頼って突き進もうと感化されました。彼の行動力と、人をつなぎたいという意志のおかげでアフリカ好きコミュニティがどんどん大きくなっています。

これからも出会いを作り続けてくれることでしょう。


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