【産後クライシス①】離婚か否か。まっただなか。

元々、とっても仲の良いカップルだった。

付き合って2年で結婚して、
夫婦になっても仲の良さは変わらず、
喧嘩はなく、デートを楽しみ、
ささいなことでも面白くて
毎日が充実していた。

そんな幸せな結婚生活が2年続き、
子供が産まれた。

ここまでの流れはすごく順調で、
このままこの幸せが続くだろう、
むしろもっともっと
家族みんなで幸せになれる!と思っていた。

その正反対を今、まさに歩んでいる。
『産後クライシス』まっただなか。
自分の思考整理のためにも
記録をつけていきたい。

まず産後クライシスの始まりは、
息子が0歳の時にかなり病気がちだったこと。

息子は体重が軽めに産まれたこともあってか、
0歳クラスに生後半年で保育園に入園すると、
いわゆる保育園の洗礼、感染リレーが
終わらなかった。

2023年4月入園→感染症にかかっては
重症化して入院を繰り返し、
9月まで入院は気付くと6回もしていた。

全て付き添い入院のため、
私は5月職場復帰の予定だったが、
入院の合間をぬって7月末にやっと復帰、
復帰後もまたすぐ入院して長期にお休み...。

4月〜9月の間は、
働くことがままならないどころではなく、
生活自体が成り立っていなかった。

夜もしんどくて寝れず泣く子供をあやし、
熱は40度を超えることが多く、
ご飯も水分も取れず、
下痢や嘔吐が追加される時もあった。

大袈裟ではなく、とにかく私は
子供を生かすことに必死だった。

少し私が気を抜いて何か不調のサインを
見逃したら、この子はあっという間に
死んでしまうのではないか。

そんな緊張感がずーっと続いた。

産後なのに、産前より痩せた。

子供のことしかできず、
自分のご飯や睡眠は二の次だった。

私は初めての子育て+とめどない看病を
しながら自分の体調管理が
しっかりできるほど、器用ではなかったし、
体も元々そんなに強くない。

子供のことしか考えられず、
それでも体調を崩し続ける子供。

自分のこともままならないので、
もちろん旦那のことを気にかける
余裕なんてなかった。

付き添い入院中は忙しい仕事の合間をぬって
服や差し入れを持ってきてくれていたし、
家にいる時も出来る限りの家事を
してくれていた。

それはわかっていたし、みていた。
私に対して優しくしてくれていることも
旦那は産前と何一つ変わっていなかった。

それでも、私は旦那に優しく出来るほどの
余裕が、心身ともに全くなかった。

言葉に配慮する余裕がなくて、
私の言葉で旦那は都度都度傷付く。
私は子供しかみてないから、
傷付く旦那にも気付けない。

振り返ってみればそういうことの積み重ね
だったのだと思う。

私は子供が生きることしか頭にないから、
とにかく育児も看病も旦那に
手伝って助けてほしい。
私1人でこの子の命を繋げる自信がなくて
不安でたまらない。

仕事も休んで謝ってばかりで、
とても落ち着いて働けるような状況じゃない。

旦那は、仕事が忙しい中出来る限り
家事も育児も頑張っている。

それなのにきつい言葉ばかり言われて
認められない、
どんどんやる気がなくなる、と。

私たちは見ている景色が全然違った。

私にとっては、泊まりの出張や
深夜早朝にも勤務があるという
旦那の働き方は子育てにおいて
まったく歓迎できなかった。

こちらは24時間看病、ほぼ徹夜が
何日めかすらわからない中、
旦那は夜にクタクタで帰ってきて、
息子のたびたびの夜泣きでも起きず
一晩ぐっすり眠る姿を見て、
「日中働けて夜は眠れていいな」と
思った日すらある。

(夜泣きを一緒に対応してくれる日も
たくさんあって、私だけ寝てる時も
もちろんある。)

私の体感は、仕事おわりに
そのまま夜勤をして、夜勤明けにまた
そのまま仕事をする。
それが0歳児の看病だった。
オフなんてない。戦場なのだ。

もちろん旦那に優しくする余裕なんてない、
早くこちらの看病手伝ってほしい。
仕事は終わりがあるけど、
育児は24時間あるのだ。

そうやってどんどんすれ違って、
私は旦那のことが嫌いになっていき、
旦那も私のことが嫌いになっていく。

ふとした会話やきっかけから喧嘩になる回数が
あっというまに増えた。

産前は、喧嘩なんかしたことなかったのに。

お互いどんどんきつい言葉をかけあう。
そんな喧嘩を繰り返していった。

振り返ると最後の入院となった9月。
「春までにもう1回入院したら保育園やめよう。」
そう決めた。

もう限界はとっくに超えていたが、
1歳入園が厳しいエリアのため0歳入園をした
という経緯があったので、
今すぐ保育園辞めよう!とは思えなかった。

辞めたら次の園はない=私の失職になる。

そして、その頃から息子は
少しずつ強くなってくれた。

変わらず病気はもらうが、自宅看病で
こらえられるようになった。
私の看病スキルもあがってきて、やっと少し、自分のこともできるようになった。

旦那も変わらず仕事、家事、育児は
出来る限り頑張ってくれていた。

それでも「産後の恨みは一生」とは
良く言ったもので、
私の不満はどんどん増えていく。

大好きだった旦那を嫌いになってしまうことは
シンプルに悲しかった。

子供が産まれてもっと幸せになると
思っていたのに、なんで子育ては
こんなに過酷なんだろうか。

それでも我が子は可愛い。守りたい。

入院せず冬を超えて、2024年4月。
無事、退園せずに、1歳クラスに進級できた。
息子は1歳半になり、
5月にはやっと保育園を全日登園できた。

そうして息子は落ち着いてきても、
夫婦仲の溝はまったく落ち着かなかった。

私が実家に帰りたいと訴えたり、
旦那が離婚したいと言うことがあった。
もうずっとずっと限界なのだ。

先日、また大きな喧嘩になって、
書くのもためらうような言葉で
罵倒されたが、旦那からすると
自分はそれ以上に今まで傷付いてきた、と。
私は無意識に人を傷付けると。

お互い、自分のつらさしか見えていない。
思いやりなんてお互い持てない。

夫婦関係の破綻、というのが
まさにぴったりだ。

こうやって「価値観の違い」という離婚が
世の中にたくさん生まれるのだなあと
ぼーっと考える。

ここからどうなっていくのだろう。
旦那は、離婚したいの一点張り。
私は、息子のために離婚しないの一点張り。

離婚して、シングルマザーになって、
地元に帰る?

再構築を2人でしていくなら、
どうやってこの溝をうめていくの?

ぐるぐるぐるぐる、考える。

私はやはり息子の幸せが最優先。
息子はパパのことが大好き。
そんなパパを奪えない。

私の幸せは息子が幸せでいること。
その覚悟が私にはある。

でも再構築の未来が見えない。
またささいなことで喧嘩になって、
もっとひどくなっていって、
「あの時離婚しておけばよかったなあ」なんて
思うのか。それは嫌だな。

ぐるぐるぐるぐる、考える。

私は今とてつもない人生の岐路にいる。
どっちに歩んでいこうか。

もうすこし、ぐるぐるぐるぐる、してみよう。

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