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はじめまして。モモです。

自己紹介(昭和の時代の略図みたいな生い立ちすだねって、ある方に言われた。そんな、生い立ち。読んでみてください。)

はじめまして。モモです。
千葉県唯一の村、長生村で、ご縁を結ぶおむすび🍙カフェ。モモカフェ。を、経営しています。
ただのカフェじゃ、なく、人が集まる場所と化しているのが、ご縁を結ぶおむすびカフェの名の由来です。

わたし、本名は、茂子といいます。
いまどき珍しい名前でしょ?
いまでは、お気に入りですが、過去は、、、
それはそれは、名前が嫌いでした。
やっぱり同じくらい、自分が嫌い。でした。

茂子は、青森出身の両親の元に、東京のとあるアーケード商店街に焼き鳥屋さんの長女として、産まれました。

茂子の父は8人兄弟の末っ子。15歳で青森のうちを出て、集団就職で浅草の料理屋へ(今のお店に独立まで、住み込みで修行したそうです。)

母は、5人兄妹の真ん中。やはり、15で青森のうちを出て、静岡の紡績工場で働きながら、高校短大、自力で仕送りをしながら、出たそうです。妹を高校へ進学させた資金も母が出したとか。。

そんな、頑張り屋さんの両親、父が29歳で独立し、24歳の母とお見合い結婚。東京で身寄りもないなか、一年後に産まれたのが、わたしでした。
そして、なんと、一年も経たずに妹が産まれ、
茂子は、お姉ちゃんになったのでした。
(お姉ちゃんであることがすごく辛かったわたしのお姉ちゃん人生が、スタートしました。)

わたしが物心ついたときには、母は、自営業の父のサポートと家事と3人の育児に追われ、父は毎日遅くまで仕事でしたので、頼る人もいない、母は子育て鬱の状態でした。毎日、泣いたり、死にたいと言っていました。そんな母のわたしに対する口癖は、

あなたはわたしに似てダメな子。

お姉ちゃんなのに意地悪で下の子の面倒を見ない。

妹は、父に似て良い子で、あなたはわたしに似てしまって、やだわ。ごめんなさい。

でした。

その言葉を、そのまま受け止めた小さなわたしは、

物心ついた時には自分が大嫌いで自分じゃなくなりたい。なんで、わたしはわたしなんだ。と、
年子の妹になりたいと、思って、幼少期を過ごしました。

つづく


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