ようこそ、大人の遊びへ

一昨日、【noteの端っこ】マガジン内のわたしの投稿が9本目となりました。10本目を投稿する前に、あたまとこころの中を整理したいので、少し書かせてください。
ご興味のない方、タイムラインをひとつ分流してしまい、ごめんなさい。

わたしの書(描)いたもの

タグとマガジンをつくってから、書(描)いたものを見返しました。言葉と絵を一緒に書(描)いていて、まだ始めたばかりではありますが、今のところは楽しめているかなぁと思いました。

もし、「上手い言葉で文章を紡げないから絵に逃げた」という方がいらっしゃるなら、それは絵描きさんに失礼と思います。絵描きさんの絵は、本物の本気の絵だから。

「言葉と絵が一緒って、絵本や漫画のつもりか」という話になるかもしれませんが、きっと、絵本作家さんや漫画家さんがひどくお怒りになられるだろうな。

まあ、どちらもにしても「自意識過剰!」と笑ってください。笑い飛ばしてやってください。つられて、わたしも笑いたいです。

わたしの書(描)くもの

わたしの書(描)くものは、あくまでも、落書きです。少し調べてみると、落書きとは「第三者から見て、意味や価値のないもの」を指すようです。価値(特に商業価値)のないものを、作り手が自虐するような使い方もあるようですが、わたしにとって、これは自虐ではないつもりです。

わたしの書(描)く【#noteの端っこ】は、わたしにとって、大人の「遊び」です。実力を認められたいとか、有名人や人気者になりたいとか、お仕事やお金に繋げたいとか。ないです。ないない。この場でそうならなくても、わたしはどうせ、死ぬその日まで生きていってしまうので。

大人の遊び

ただ、病気で自宅から出られないわたしでも、画面の向こう側のひとの気配と、言葉、絵、写真、音声、映像などを通したコミュニケーションを感じることができます。せっかく、誰かがいてくれるのだから、思いっきり!一緒に遊びたいです。

とはいえ、鬱になってしまったり疲れてしまったりしたら、きっとやめます。そして、遊びたくなったら、きっとまた遊びます。自分のこころのままに遊んでみたいです。

家族やお医者さんによれば、わたしはひどく真面目に、正しくあろうと生きてきてしまったようで、そういう遊び方が苦手なのだそうです。
ですが、今からでも練習してみたいです。人生はまだまだ長いのだと、たまにお聞きするので。

こんな感じですが、わたしの落書きを気に入ってくださった方がいらっしゃいましたら、楽しくお付き合いさせていただけると嬉しいです。

他の方の【#noteの端っこ】について

他の方の作品については【#noteの端っこ】タグをつけてくださったものを、きまりごとなく、全てマガジンに追加させていただきたいなと考えています。
ノートの端っこに何を書(描)くかは、ひとそれぞれ、自由だと思うからです。今のところ、この姿勢を変えるつもりはありません。ただ、作者さまにお断りされた場合はこの限りではありませんので、ご連絡くださいませ。

他の方の【#noteの端っこ】:追記1

いくつか、作品をいただいて考えたのですが、「ひとりでいたいけれど、なんとなく寂しいな」とか「大きくは書きづらいけど、誰かに読んでほしいな」とか。そういう気分のときにも、このタグをつけて書(描)いてくださって大丈夫です。無力無価値な一般人であり、作者さまのご期待に沿ったリアクションができるかはわかりませんが、わたしが読みに伺います。こちらも、今後のマガジンへの追加は、作者さまとご相談させていただきたいと考えているので、ご連絡くださいね。

他の方の【#noteの端っこ】:追記2

他の方にはどうでもいいことかもしれないのですが、わたしにとっては、まあまあ大事なお話です。
わたしは、持病があり、無職無収入でお小遣いをもらっている身なので、基本的に有料記事は読めません。ごめんなさい。マガジンへの追加も、作者さまとのご相談とさせていただきたいのですが、わたしとしては、読ませていただいていない作品をマガジンに追加させていただくのは、作者さまにとてもとても失礼なことなのではないかなと考えています。実際のところ、どうなのでしょうか。

他の方の【#noteの端っこ】:追記3

悪意を感じられるものについてですが、「端っこだったら叫んでもよいだろう」というお考えの方もいらっしゃるかもしれません。
あたまとこころの中はそのひとの自由だと思うので、ご自身のあたまとこころの中で存分に悪意を込めて叫んでください。悪意を抱いた経験の全くないひとは、あまりいないのではないかなと思いますから。
それに、このタグとマガジンにおいて、悪意があるのかな、どうかなと考えるのは、無力無価値な一般人であるわたしなので、作者さまにそのつもりがあるのか無いのか、ほんとうのところはわかりませんし、読まれた他の方がどう感じられるかもわかりません。難しいお話です。ここで結論を出さず、時間をかけて考えていきたいです。

ただ、一度、カタチにしたら、この世界のどこかにほぼ永遠に残るのではないでしょうか。たとえ、あなたが死んでも、です。(例:何でも鑑定団に出てくる、文豪による、かなーり個人的な、悪口やお金の無心の手紙など。出品されるたびにドキドキします。)
わたしは、書(描)くときも、読む(見る)ときも、そんな風に考えています。まあ、こんな街外れの森の奥深くのnoteで言葉にする必要性をあまり感じないのですが、一応。念のため。です。

まとめ!

どなたからかお話いただいたこと、わたしが考えたことがあったときには、またお知らせさせていただきたいと考えています。

近日、わたしの【#noteの端っこ】10本目を投稿させていただく予定です。
適当に遊んで、適当というやつを教えてやってください。今後とも【noteの端っこ】マガジンと「ただの読み手・もも」をよろしくお願いいたします!