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映画『怪物』、音を聴く

映画『怪物』を観た。
鑑賞して数日経った今も、ふと色々考えてしまう。

同じ時刻で起こっている、それぞれの人物視点の描写。
学校のシーンで、金管楽器の音が鳴り響いていた。
ただの音出しとは思えないような2つの音が耳に残る。
終盤に校長先生と主人公くんの音楽室のシーンで、その音の正体が判る。

この印象深いシーンを、自分のことに置き換えていた。



私は10歳から、自分の思ったこと感じたことに蓋をして過ごしていた。
その思いに至ったことは、過去の投稿で記述している。


しかし、中学校で出合った吹奏楽で変化が起こった。

喜怒哀楽に音を乗せて、
楽器に大きく音を吹き込む。
激しく。
ある時は、弱い呼吸で。
ゆったりと。
楽譜に自分の気持ちを乗せることができた。

演奏が終わった後に感想を伝えてくれる人がたくさんいた。
とても有難かった。

そこから長いこと楽器を吹き続けた。

最近になって、なぜ自分が楽器を吹き続けていたのか分かった気がする。

楽器でなら感情が出せた。
伝わることが大きな喜びだった。

そこだ。

普段、我慢ガマンの私が、親にワガママを言った。

楽器を買って欲しい。


その楽器を今、娘が吹いてくれている。
古い楽器で申し訳ないとも思うが、
音がヌケて吹きやすいと言ってくれた。
(吹き込んだ楽器のほうが吹きやすいのは確かである)

娘は、私よりも良い音を出している。
娘なりの感情でこの音を出しているのかと思うと
胸がいっぱいだ。

私は、娘の楽器の音源を毎日のように聴いている。
毎回、なんて良い音を出しているんだと感動しながら。
親バカ。

娘には『また聴いているの?』と笑われる。

いいのだ!

私は、娘の思いを、音を聴いている。

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