【仏教】生きづらさを生む思考と教え
人に迷惑をかけてはいけない
私は、幼少期から親や祖母からそのように教えを受けました。
その結果、職場でうまく仕事ができず、いじめを受けた際でも、それを受け入れるしかないと考えるようになり、自殺を考えるようになりました。
人に迷惑をかけてはいけないという考えは、日本の「集団」に対する教えとしては異常でありながら、日本の文化の中で重要な役割を果たす唯一にして最大の武器です。
個人の個性を抑えつつ、集団としての統一を図るというのがその考え方です。
このような戦略は、戦時中でも私たちの先祖が採用し、世界中に衝撃を与えました。 また、「やる気のある無能は即座に排除せよ」というのは、実際に戦時中の日本軍で行われていたことです。なぜなら、やる気のある無能は集団の秩序を乱すからです。やる気のない無能は指示通りに動くだけですが、やる気のある無能は統率できずに自発的な行動をとったり、チーム全体を不安にさせる可能性があるからです。
現代の日本でも、この思想は変わらず蔓延しています。職場ではやる気のある無能をいじめて退職に追い込むような状況がまさにそれです。
「みんな、あの人のせいで困っているんです」などと言って、その人がいじめられても仕方がないと思っている人が多く存在します。
その結果、「普通」とされる範囲から外れた人々は、やめても構わない、死んでも構わないとされ、その思想や空気感が人々を追い詰めることになります。
人は人に迷惑をかけるもの
国外では、こういう思想の人が多いです。
だから、自分が迷惑をかける事も容認し受け止めているため、人が迷惑をかけてきても容認できるのです。
本来、人は人。同じ人などないので、できる人もいればできない人もいる。そのはずなのに、日本では世間の言う”普通”に当てはめ、外れた人をおかしな人、みんなが迷惑している。と声高に叫ぶのです。
圧倒的に自殺者が多い理由はそこにあると思います。
集団にとって利のある存在でなければ、死ね。そんな思想がはびこる戦争をしていた時代から、根底にある思想は何も変わっていないのです。
やる気のある無能へ
私は、まさにこのやる気のある無能なタイプです。やる気があり、独創的な発想で周りを導いたりしますが、集団で何かをやる事がとても苦手です。戦時中であれば真っ先に殺されていただろうと思います。
しかし、時代は変わり令和の時代になった今、やる気のある無能にも生きられる道ができてきました。
集団に属さないという生き方です。
私は15歳から働き始め、30歳目前の今ようやくやっとその生き方を身につけました。それまでは、世の中の集団に馴染もうと努力を重ね、それでも認めてもらえず悔し涙を何度も流しました。
しかし集団でうまくやっていくスキルなどもはや必要ないのです。
集団でいるより個人で思いっきり仕事をしている方が私たちは圧倒的な結果をだします。
集団から一目を置かれるほど。
何も心配いりません。
最後に、織田信長が言った言葉で私が好きな言葉を紹介します。
”いつの時代も変わり者が世の中を変える。”
ここで言う変わり者とはまさに、我々なのかもしれません。
容赦なく世の中を変えていきましょう。
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