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2040年の世界 育母制度とM博士

はじめに

前回、この物語の主人公であるピラニータに所属するソラや、ピラニータのグループ内について書きました。
今回はピラニータが社会問題として注目され始めた頃に導入された育母制度と導入を強く主張したM博士について書きます。

育母制度の提案者M博士

M博士という人

M博士は一見すると、クールな印象を与える女性研究者だった。スラリと細身で切れ長の目と通った鼻筋、卵形の整った顔立ちは、まさにクールビューティーで、その外見と理路整然とした話し方から、冷たい印象を人に与えた。しかし、実際の彼女は自分の子供と犬にメロメロで犬の肉球とその匂いとサンリオのキキララをこよなく愛する、いわゆる「ツンデレ」キャラだった。

そして、M博士は変わった趣向の持ち主で匂いフェチである。特に犬の肉球の匂いは大好物だ。植物は草の青々とした匂いと枯葉の匂い、白百合と金木犀の香りが好きでかつては白百合と金木犀をベースにした香水を愛用していたが、ある出来事をきっかけに使用をやめている。

その出来事とは、第一子が乳児だった頃のこと。ある夜、シャワー後にスキンケアをしていた彼女に、飼い犬の柴犬が誤って香水をこぼしてしまった。香水まみれになった彼女が赤ん坊を抱くと、普段はほとんど泣かない長女が激しく泣き出したのだ。夫の「香水のせいじゃないの?もう一回シャワー浴びてきたら」という助言で再度シャワーを浴び、香水の匂いを落とすと、赤ん坊は泣き止んだ。

この経験から、M博士は母子関係と匂いの関係に強い関心を抱くようになる。

M博士は研究者であると同時に、良き母親でもあった。乳幼児の行動が彼女にとっては大変興味深く、自分の子供を何時間でも飽きずに見ることができた。彼女は乳幼児の発達と行動に関する論文や文献を読み漁っていたので、ある程度の乳幼児の行動に関しては何のためにこの行動をしているのか検討がついた。そのおかげで、彼女は母親として子供に対してその場その場で適切な対応を取ることができ、子育てに関するストレスを感じることはほぼなかったと言える。

とはいえ、なぜ、子どもが今こうした行動をしたのかよくわからないこともたくさんあり、子どもがなぜその行動に至ったのか推測することも彼女を楽しませた。これは、彼女の研究者としての資質と母性がうまくマッチしたケースである。

M博士の研究と母性の融合が、後の育母制度という革新的な概念を生み出す原動力となったのだった。

M博士のプロフィール

M博士は、母子関係研究の第一人者として知られる女性研究者です。彼女の人生と研究は、個人的な経験と社会的な出来事によって深く形作られました。

M博士は元々、仕事熱心で結婚や子育てには興味がないと考えていた女性でした。しかし、晩婚ながら結婚し、3人の子どもを授かりました。子どもの誕生により、自身の強い母性に気づき、人生の優先順位が大きく変化。仕事は継続しつつも、子どもたちが生活の中心となりました。

その後、2025年の大災害で3人の子どもを全て失うという悲劇に見舞われます。夫は生存しましたが、深い喪失感から立ち直れず、最終的に離婚に至りました。この経験が、後の研究方向性に大きな影響を与えることになります。

経歴

1. 助産師として約10年間の臨床経験
2. 看護学の博士課程に進学(専攻:母子保健学)
3. 博士号取得後、大学研究機関で研究職に就任
4. 災害後、研究の焦点を代替的養育環境と愛着形成メカニズムに移行
5. 遺伝学と脳科学の専門家との共同研究を開始

研究内容

1. 代替的養育環境の研究:
- 血縁関係のない養育者と子どもの関係性構築に関する研究
- 施設養育と個別養育の比較研究
- 災害後の社会における新たな家族形態の探求

2. 脳科学と母子関係:
- 母子の相互作用が子どもの脳発達に与える影響の研究
- 愛着と脳の可塑性の関連性の解明
- 喪失経験が母性的反応に与える影響の神経科学的研究

3. 遺伝子と匂いによる愛着形成メカニズムの研究:
- MHC遺伝子と体臭の関連性分析
- 匂いが愛着形成に与える影響の神経科学的研究
- 遺伝子情報に基づく匂い推測システムの開発
- 育母制度のためのマッチングシステムへの応用研究

M博士の研究は、自身の喪失経験と母性への深い理解、そして助産師としての臨床経験を基盤としています。彼女の研究目標は、血縁関係に依存しない新たな愛着形成の方法を科学的に解明し、災害後の社会における子どもたちの健全な成長を支援することです。

育母制度の成り立ち

2040年の時点で、育母制度は導入されてから10年が経過しました。この間、幾度もの試行錯誤を重ね、現在の高い完成度に近づいていきました。

大災害は日本社会に壊滅的な打撃を与え、多くの高齢者と子どもが犠牲となりました。生き残った人々も深い心の傷を負い、日々の生存と基本的なインフラの再建に全精力を注ぐ日々が続きました。食料や住居の確保、仕事の再建など、自身や家族の生存に直結する問題に追われ、子育てどころではない状況が社会全体に蔓延していました。

このような極限状態の中、新たな命を育む余裕は失われ、出生率は大災害前と比べて急激に下落しました。さらに悲劇的なことに、既にいる子どもたちさえも適切に保護することが困難になりました。親たちは自身の生存と再建に必死で、子どもたちへの十分な ケアを提供できず、多くの子どもが事実上の「孤児」状態に陥りました。

虐待というよりもネグレクト、つまり養育の放棄が社会問題として浮上し、路上に放置されたり、最悪の場合は捨てられたりする子どもたちが後を絶ちませんでした。大人たちも、自らの トラウマに苦しみながら生きることで精一杯で、次世代を守り育てるだけの心の余裕を失っていたのです。

この深刻な社会状況は、重大な危機として認識されるようになりました。​​​​​​​​​​​​​​​​

2030年頃には、ARIAの采配のおかげで社会がだいぶ落ち着きを取り戻してきました。しかし、災害による子供の激減と出生率の低下によって、政府は喫緊に少子化対策を迫られることになります。ちょうどこの頃、ピラニータが社会問題として注目を浴びることとなりました。

このような状況下で、ある母子関係の研究者から革新的な提案がなされました。従来の児童保護施設では、子どもたちが頻繁に施設や担当職員の変更を経験し、時には職員からの虐待も報告されており、これが子どもたちの情緒不安定の原因となっていました。この研究者は、一人の大人が一定期間継続して子どもを育てることの重要性を強調し、それが子どもの健全な発達に不可欠であると主張しました。

同時に、大災害で子どもを失った多くの女性たちから、「虐待で子どもが亡くなるくらいなら、自分たちが育てたい」という声が上がっていました。この切実な願いと、子どもたちの保護と育成に合致する形で、育母制度のアイデアが生まれました。

政府は、出生率を上げることに躍起になるよりも、今いる子供を社会全体で大切に育てるという方向に舵を切りました。虐待やネグレクトを素早く察知し、即座に国が介入・保護できるように、全ての新生児の肩にチップを埋め込むことが提案され、大きな議論を呼びました。

育母制度は、保護された子供たちに個別のケアを提供し、健全な成長を支援することを目指しました。この制度により、血縁に頼らない新しい形の親子関係が生まれ、社会全体で子どもを育てるという理念が具現化されたのです。​​​​​​​​​​​​​​​​

育母制度とは

育母制度は、2030年に導入された革新的な子育て支援システムです。この制度は、虐待やネグレクトの被害を受けた子どもたち、または様々な理由で親による養育が困難になった子どもたちを、専門的な訓練を受けた女性(育母)がマンツーマンで養育する仕組みです。

対象となる育母は、35歳から60歳までの女性で、厳格な選考プロセスを経て認定されます。このプロセスには、心理テストや倫理観テスト、遺伝子検査、300時間にも及ぶVRトレーニング、そして実地研修が含まれます。

子どもと育母のマッチングは、高度なAIシステムによって行われ、相性や適性を綿密に分析します。マッチングが成立すると、育母と子どもは国が管理する専用の施設で共同生活を始めます。この生活は子どもが15歳になるまで続きます。

この制度の財源は、政府の予算だけでなく、企業や個人からの寄付、クラウドファンディングなど、多様な方法で確保されています。社会全体で子どもの養育を支える、という理念が制度の根幹にあります。

むすび

育母制度の発想の基となったもの

虐待で子供が亡くなってしまうというニュースは頻繁ではないにしろ決して少なくはなく、そのニュースに日本社会全体が心を痛めていると私は思います。
幼い子供が、大人でも想像を絶するような痛みと精神的な苦しみを日常的に味わっていたという事実は誰もが想像したくないことだからです。

こういったニュースが入ってくるたびに役所の特定の部署が責められるわけですが私は調べたことがないので、どこまでその部署が家庭に介入できるのか、またその部署の人手が充分に足りているのかわかりません。ただ、何度も何度も同じようなことが繰り返されるということはシステム自体に欠陥があるのではないかと考えます。

また、子供を自分の所有物のように考える意識は、日本に限らず世界中で根強く残っているように思います。この考え方は親だけでなく、社会全体にも潜んでいるかもしれません。そのため、たとえ子供が危険な状況にあっても、国が家庭に強く介入し、子供を保護することが難しくなっているのではないかと思います。この「子供は親のもの」という固定観念が、悲劇を繰り返す一因となっているのではないでしょうか。

もしシステムを変えられるとしたら、どのようなシステムが子供たちを守れるのか。そんなことを、私はよく想像します。

2040年の世界に存在する育母制度はそんな私の想像から始まりました。

それから、ある時、私が虐待で命を落とした子供のニュース記事をネットで読み、そのコメント欄に目を通したとき

「虐待で命を落とすくらいなら、私がこの子を育てたかった」
というコメントを見つけました。

このコメントもまた育母制度のアイデアのひとつとなりました。

『カラマーゾフの兄弟』に描かれる幼児虐待

幼児虐待は決して現代に始まった問題とはいえないようです。なぜならば、約140年前に書かれたドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』にも、虐待の描写が登場します。

物語の中で、無神論者の次男イワンが、敬虔な信者である三男アリョーシャに、ロシア国内の幼児虐待のニュースを語ります。

第5編「プロとコントラ」第4章「反逆」で、イワンは5歳の少女が両親から受けた残酷な虐待について語ります。その描写は、現代の日本でニュースになるような虐待事件と何ら変わりがありません。

この事実は、子供への虐待が時代や国を超えて存在する深刻な問題であることを示しています。
いつになったらこういった事はなくなるのでしょうか。このような問題は、140年前どころか、おそらくそのずっと以前から、世界中どこの国にも存在していたのでしょう。

次回は育母制度に登録したある1人の女性について書きます。彼女はこの物語の中でソラと並んで、もう1人の主人公でもあります。​​​​​​​​​​​​​​​​


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