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小学校1年生の究極兵器「タダノちゃん」降臨で、いい大人が萌えたりしんみりしたりの大騒ぎだw

昨日、今日とおいらに起きた「事件」を記事にしたい。

まず、なぜに教師でもないおいらが小学校へ出入りしているのか?なのだが、簡単に言えばボランティアもどきなことをしているから、になる。
小学校の教育要領が変わり、英語の学習が時間割りに加わったのはご存じの通りだが、かと言って子供たちが皆それをわかっているわけでもない、と。
当然、英語の塾へ子供を通わせている家庭もあるが、全部が全部そうではない。なので、どうしても子供たちのあいだで温度差が生じてしまうようなのだ。

そこで、授業のフォローやまず関心を持たせようという試みが進んでいて、例えば昔は親が教えたり、年上の子供から伝授されるものだった「手遊び」や「ごっこ遊び」を、ボランティアの大人が学校に来て子供へ教えるということもやっていて、英語もその一部として子供にまず触れさせよう、となっている。
おいらは、人づてにその話を聞いて面白そうだと思い、去年の11月から参戦している。

教室では、子供から出る質問に答えたり、英語の歌を一緒に歌う、といった事をやっていて、学習というよりアメリカの幼稚園みたいと言った方が近い感じだ。
それでも、野球がわかる子供には「ゲッツー」や「ナイター」は日本でできた言葉で、アメリカの野球ファンには通じないんだよ、帰ったらお父さんに言って自慢したら面白いよ、なんて話はしている。

そんな緩い状況なので、まだ英語に関係のない1年生の子供が、知ってか知らずかやってくることもある。大抵は何を話しているのかわからない、とすぐに退散してしまうが、中には興味を持って近づいてくる子もいるわけだ。

前置きが長くなったが、この話の主人公はそんな所に登場した小学1年生の女の子になる。たまたま、おいらと名字が同じだと名札を見て気がつき、なついてきたという「だけ」で、おいらにとっても他の子に比べると体がまだ小さいなぁとか、元気があってあれこれ興味を持つ子だな、くらいの「大勢の中の1人」だった。強いて言えば目立ちたがり?くらいの付加情報はある、程度の印象だった。
ただ、同じ名字なのでおいらもすぐに「タダノちゃん」を覚えたし、逆にその部分くらいが特別だった。
で、その「タダノちゃん」は、おいらがいるとわかると英語の輪の端に入り、幕引きになる午後5時までそこにいるようになった。
まぁ、3月になって日は延びたとは言え、1年生がその時間まで学校にいるのも、おいらの中では心配になってはいたわけだ。

それで昨日、おいらは「タダノちゃん」へ、英語の話を始める前に
「最後まで学校にいて大丈夫?おうちの人、心配しないかな?」
と聞いてみたのだ。
したら「タダノちゃん」は、目を見開いてぼとぼとと涙を流し始めたと思ったら、大声で
「うわーん!」
と泣き始めた。
他の子供がほぼ同時にびくん!と体を震わせたほと、まさに衝撃が教室内で爆発したような、そんな号泣だった。

一応、おいらは幼稚園教員の免許も持っているので、気は動転しながらも思い付く「宥め手」を繰り出してはみたものの「タダノちゃん」を泣き止ませることができず、仕方なく職員室へ走り込んで教頭先生に顛末を話し、場を収拾してもらう騒ぎになった。

教頭先生は泣き続ける「タダノちゃん」を保健室に連れていき、おいらは残っていた子供たちへ英語の話をした。
終了時間になり、また教頭先生の所へ行って頭を下げると、先生は笑って
「よくあることですから」
と言った。
そして
「あの子は母子家庭です」
と教えてくれた。
要するに、授業が終わって家に帰っても、誰もいないからギリギリまで学校にいて時間をつぶしている子供だ、ということだった。
だから、おいらの英語の話もお母さんが帰ってくるまでの「繋ぎ」だっただけの事だったわけだ。

その話を聞いて、おいらはうちの婦長さんのことを思い出した。
彼女も母子家庭で、おいらと付き合いだした中学2年の時に、部活が終わって一緒に帰ると、最後はいつも真っ暗な部屋へと入っていったものだったからだ。
だからいつも、部屋に入ってご飯を食べていって欲しいとか、まだ帰らないで、と夜9時になろうとしている時でも、おいらを引き留めよう引き留めようとしていた。
あの「別れがたい感覚」が、小学校を出て、自分の部屋に戻るまでの間、何度もおいらの中に甦ってきたのだ。

仕事を終えた婦長さんが晩御飯を食べにくるというので、おいらは野菜炒めを作って待っていた。
婦長さんがやって来て、一緒にご飯を食べながら、おいらは「タダノちゃん」の話をした。
「・・・というわけでさ、滅茶苦茶泣かれて大変だったんだよ」
おいらが苦笑すると、無言で話を聞いていた婦長さんが
「ふーん。中学の時は私をナンパして、今度は小学校女子をナンパしたんだね。ふーん」
と言った。

え?はい?ナンパ?誰が?おいらが?誰を?「タダノちゃん」を?
いやいやいやいや、婦長さん、違う、それは全然違ぁーう!ナナメ上過ぎる間違いだよ、それぇぇ!

おいらは必死に話を元に戻そうとするものの、婦長さんは黙々と野菜炒めを食べ、お茶を飲み終わると立ち上がり、そのまま帰ってしまった。
とりつく島もなく放置されたおいらが、SNSに顛末を書き込むと、それを見たネットの知人が
「嫉妬してもらったんですね」
などと無責任千万の返しを入れてきて、さすがに7歳児にいい大人がそんなことないでしょうよwなどと応戦しつつ、その日は終わった、と。

おいらとしては、同じ中学時代を思い出したにしても、今もやっぱりお父さんのいない子供はいて、切ない気持ちを久しぶりに味わったよ、という話をしたかったのに、帰ってしまった婦長さんからは、今に至るまでメール一つも返ってこないという「ひどい扱い」を受けている、というね。

そして今日。
また小学校へ行くと、授業が終わり、どこで時間をつぶそうか、という感じだった「タダノちゃん」に見つかってしまう。
あ、英語の話は別にして、とにかく昨日のことは謝らないと、と心の準備を始めたおいらの所へ「タダノちゃん」がとててて、という感じてやってきた。
そして、彼女はペコリと頭を下げると、
「昨日はゴメンナサイ。英語の話、聞きたい」
と顔を上げながら言ったのだ。


おいぃぃ!何この子、どこの究極兵器なんだぁぁ?

もうね、一撃で心臓撃ち抜かれましたよ、着てたはずの防弾チョッキ?鎧的なモノ?貫通です、ぽっかり空いた穴から向こう側が見えるレベルでズキューン!ですよ、参りました。

まさか、7歳児の一言に萌えを教えられるとは。
いや、ついさっきまては、世に言う萌えとは、要するにおいらにとっては「いちご100%」西野つかさ、あの娘が履いているイチゴ模様のパンツみたいなもんだと思ってました、錯覚でした、勘違いなだけでした、リアルに小学生女児が炸裂させる一撃だったんですよ、ええ、そうだったんです。

いやぁ、素直に謝れるって、こんな破壊力のあるもんなんですね。
当然、おいらも「タダノちゃん」に、知らなかったこととは言えゴメンナサイ、と謝罪しましたよ。
こんな清々しい気分を味わえるなんて、小学生を舐めたらあきまへんなぁ。勉強になりました、きちんと1人の人間として扱わないといけないってことです。

まさか7歳女児に教えられるとはなぁ。

もちろん、その後は「タダノちゃん」も英語の輪の一員になり、午後5時までそこにいましたよ。なんか、今日は時間の流れが速かったような気がするw

でも、小学校を出る時に、大人のおいらはこんな事も考えていたわけですわ。
それは二つあって、一つはこのまま何もなければボランティアもどきが今月で終わること。
そしてもう一つは、今日萌えてしまった事を婦長さんに言うべきか?ということ。

答えは「タダノちゃん」にも婦長さんにも、どちらにも黙っていよう、でした。姑息な大人で、ゴメンナサイ。

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