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五月と記憶

風がレースカーテンを捲り上げ、 睫毛の先を通り抜けて、 わたしの前髪を掬う。
気だるさを誘うシャンプーの香り。
この季節の風は水色、風呂上がりの肌の感じと似ている。

昼下がり、瞼の重さを感じながら壁に背を預けている。瞼を閉じる瞬間はいつも曖昧で、微睡のなかを泳いでいるうちに巡り合ういくつかの記憶。


こどもの日、よく家族でプールに出掛けていたことを思い出した。まだ仲が良かった両親と、喧嘩ばかりしていた弟妹の顔。手を繋いで駐車場を渡り、車ではキマグレンの音楽が流れている。
プールあがりの肌は、ちょうど今のこんな感じだった。

もう遠くへ行ってしまった時間。

幼い頃のことを思い出そうとすると、まるで他人の記憶をのぞいているような非現実感に覆い尽くされる。もの寂しいこの感覚が、いつもわたしをひとりぼっちにする。けれど、忘れてしまうのはもっともっと悲しくて、耐えられない。
記憶のかけらをひとつも落とさないように、今日も書き綴っては、これでいつでも今を思い出せると安心して1日1日を見送ることができている。


5月の心地良い風を浴びながら、すこしだけ悲観的な気持ちになっている自分がなんだか可笑しくて、でも実際のところ、人間には何故かそういうところがあるんじゃないかとも思ったりしている。あんまりに綺麗だと、全て手放したくなってしまうような、幸せがつづくと不安になるような。


無邪気でいることが許されていた少年時代・少女時代を通過し、気づけば大人としての扱いを受けるようになっていたわたしたちは、そのうちに雨ざらしの独りに慣れてしまったのかもしれない。


空も葉も月も綺麗すぎる5月は、すこしだけ危険かもしれない。


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