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濃縮された100%オレンジジュースのような

ついこのあいだ、人生のなかでもトップレベルに濃縮された3週間を過ごしたとおもう。

身体の変化から来る心の変化。

心の変化から生まれた行動の変化。

行動により動き出した、大切な人たちとの関係性。

そして、身体と心が一体となったり相反したりの繰り返し。

身体が落ち着いた今、やっと振り返ろうとしている。先週まではちょっと考える時間が出来たら涙がツツゥーとなる状態。悲しくないのに身体が悲しんでいるという不思議な体験。仕事に集中できないでしょ?と言われたがいつもより集中していたと思う。集中せざるを得なかった、が正しい気もするけど。

1月第三週に、来るはずの生理が来なくて、でも生理前のようなお腹が張る症状はあり「あれ?ちょっと遅れてる?、」とあまり気にもしていなかったが、数日たつにつれて、ただの勘に違いないのだが違和感が。でも私には自信があって。8月に救急車で運ばれ盲腸の手術入院をして以来、私は自分の身体に耳を傾けるような、会話するような関わりかたをしてきているように思う。自分が身体の良き理解者になってきている気がしているから自信があった。「妊娠」なんてそれまで計画をしてきたわけではなかったし、直近で考えてはいなかった!だから自分のなんかいつもと違うかもしれないという違和感と妊娠の可能性を結びつけられた私は天才か、天才じゃないならば、身体の神秘、なんじゃないかしら。

でもでも違う可能性もあったから、私はそわそわしながらネットで「妊娠・検査するには」みたいな(なるには検索みたい笑)検索をして検査キットを知った。薬局にいって恐縮しながらレジのお兄さんから検査キットを受け取った。さらには違ったら恥ずかしいから家には帰らずコンビニのトイレに駆け込んで、いざ検査。終了線よりも濃く出た陽性線を見たときの感情は、なんとも言えない複雑すぎるものだった。

「喜ぶべき出来事だ」という義務のような言い聞かせるような感情と、「こんなにすぐ?」「このあとどうしよう」という困惑で泣きそうな感情が、ぐちゃぐちゃになって、トイレをコンコンと叩く音でやっと立ち上がってコンビニを出たという。

家に帰りながら、相手に言うべきかまだ言わないべきか心が決まらなかった。相手が喜ぶかも分からなかったし、それよりも、自分がどういう捉え方でもって相手に伝えるか、自分の立ち方が分からなかった。

夜になっても眠れなくてそわそわして相手にも「どうしたの?」と言われ「なんでもないよ~」と、嬉しいような困ったような返事をしてた。

当然夜も眠れない。頭の中でずっとずっと考え続けた。相手が喜んでくれるか、喜んでくれたとして親にはどう言うか。ただでさえつき合っている人がいるとも言ってない、仙台に戻ってきて地元の人を見つけなさいと年末年始の帰省で言われたばかり。これから起きることがぜんぶ恐怖で心がいっぱいになってそのときもう夜中2時。・・・たたき起こしてしまった!笑

隣ですやすや寝ている人をたたき起こして検索キットを見せただけ。まだ自分の心の立ち方が分からなかった私はなんと発したらいいか分からなくて、ただただ見せた。相手の反応はよく覚えてないけど、怪訝そうな顔したあと事を理解したらしく喜んでギュッとしてくれた。明るい人だから「わーい」とか言っていたな。私はちょっとホッとした。妊娠の事実を喜んでくれる人がこの世で一人確実にいるのだということ。私はそれでちょっと心が支えられた気がした。そのあと相手はまたすやすや眠りに戻ったけれど私は目がパッチリ空いたまま。眠れず笑。3時から茅のやでだしをとり味噌汁をつくりはじめ朝御飯の支度をし5時には食べ終えるという。その1日だけで数日分は経ったような心の疲れかただった。

翌日翌々日と、これからの話を相手とたくさんした。相手はポジティブだけど私は不安だらけ口にした。しかし結論に至ったことは「すぐにでも私は親に、結婚を前提につき合っている人がいるということを話す必要がある」ということ。私の母は、とてもちゃんとした人で順番を守らないことを知ったらたぶんとても激怒する。そして私が仙台か山形に帰ってきて相手を見つけ結婚して仕事をやめて主婦になることを描いているから、いろいろ現実や未来は違うことを話さなければ。

そこから私は超特急に乗ったように動き出した。もともと半年前から私は親に言う言う詐欺を働いていた私が。帰省する前に「今回こそ親に話してくるね」と言い、東京に戻ってきて「ごめん、また言えなかった」を繰り返す。相手は「そっか笑」と笑いながらたぶん諦めの気持ちをうまく携えながら気長に待っていてくれたんだとおもう。

そんなこんなで、妊娠が分かった次の土日に帰省。親につき合っている人がいるということを初めて話した。お父さんと妹はいいじゃない、と意外とあっさり。お母さんの顔は曇ったまま「そうなの…。まぁ良かったね」と。

二週間後には相手に山形に来てもらい親に会ってもらい。みんなで中華を食べ、私は「お酒を進められたらどうやって怪しまれずに回避しようか」と考えながら。男1人だったお父さんは一緒にビールを飲む人がいて嬉しそうだったな。妹は自由な発言をすることでうまい具合に場を和ませてくれた。お母さんはよそ行きの顔だが優しい。

家族とのランチが終わったあと、なんか信じられない達成感と脱力感があった。半年以上私は親に相手のことを言えなくてなんかこのまま私は一生つき合う人は居ても事は進められず結婚はしない人生かな、と思っていたし。親に反対されるとムキになり反抗して、でも押しきるわけでなく自分で傷ついて何も変化をさせないことを選ぶ自分がわかっていた。だから事をぐわっと推し進めてくれた、小さな存在に大感謝だった。

家族とランチを終えた翌日、流産した。

ランチを終え東京に戻ってきた夜が本当に激痛だった。お腹が痛くて痛くて、身体が何かを使命感もって押し出そうと一所懸命なのだと思った。痛すぎて丸くなって寝てはトイレにかけ込み寒くなって布団に戻り、ネットで「流産・症状」を検索するの繰返し。終わりに近づいていくのが分かった。押し出そうとする身体の覚悟を私は受け入れざるを得ないなと思った。そして朝方に終えた。何かが出たとあのニュルリとした感覚でわかったし、出たあとはだいぶ身体の痛みが減った。不安すぎてその日休日だったから病院探しまくってタクシー乗りまくって病院に行き、診断してもらいちゃんと実感をした。「悲しいな」と頭で考えてはいなくてたぶん心で泣いた。珍しい体験だった。たいていは、何か出来事に対して「悲しい」と思って我々は泣く。でも今回は頭で悲しいと考えてはいなかったようにおもう。というのは、物事がいろいろ動いている中で心を割く余裕がなかったのも理由かもしれないし、感謝が大きすぎて、無事家族とのランチを終えた直後にまるで役割を果たして終えたように思えて、なんか当然のような、受け入れるべき終わりのような感覚があったようにおもう。でも身体はちゃんと悲しんでいて涙が流れていたんだとおもう。

そんな感じで、まるで濃縮オレンジジュースのような濃くて生々しいがゆえの甘さと苦味のある3週間が終わった。

病院から自宅へ帰るまでの道で、今回の小さな存在に「すすむくん」と命名した。家族に対して怖くて全然ことを進められずにいた私を一気に動かしてくれた素晴らしい存在にぴったりの。そんな話をしながら私はカレーを、相手はパスタを食べ帰宅した。一整理して帰宅させてくれたことにとても私は救われて、またこの人と日常に戻ろうとすんなりと思えた。

流産したらまたすぐに子供が欲しくなるものよ、と会社の上司が教えてくれたけど、

私は子供自体が欲しいというよりは、この出来事をまた経験したいと思うようになっている。こんなに身体と心で実体感することってあまりない。ありありと人に伝えられるし伝わるだろう感情をもてたこと。感じ考えることが怒濤にやってきて心身ともに揺さぶられ人とぶつかり価値観をまた形作ってくれるような経験を、またしたい。