マミーの人生相談室

マミーこと秦百香里です。読み方は「はた」ではなく「はだ」です。

そして、名前は「ゆかり」と読みます。

変換する時には「ひゃくかおり」と打って「百香里」と出して、ふりがなを「ゆかり」と打っている内に、「ゆかり」と打つと予測変換で「百香里」が出るように私のiPhoneは学んでくれたので、楽に打ち込めるようになりました。

PCも「ひゃく」と打つと「百香里」が予測変換の中のトップに出てくるようになりました。

賢い機器たちだと思います。


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こんなマミーですが、私の人生を読んでください。


私は今こそ⤴️の写真のように明るくて、活発な55歳ですが、子どもの頃はとても抑圧された毎日でテレビで映画を観て泣いていたら、

「何泣いてるの!大きな涙出して笑」と母に馬鹿にされ、

お笑い番組を観て大声で笑っていると

「うるさい!もっとボリュームを下げなさい!」と言われ、泣いても笑ってもいけない環境でした。

この年になった今でも80歳を前にした父から

「大きな女の人がいると思ったらお前か。」と葬儀などで会うと言われる私です。

子どもの時にはとても辛くて、なぜ私ばかりそんなふうに言われて、弟や妹は言われないの?って思っていたけど、ある時から考え方が変わり、

「そんな風に言われるのは何もしなくても目立っていると言うことだから、いいじゃん!」って思えるようになりました。


どうしてそんな考え方になったのかを何回かに分けて書こうと思います。


なんせ55年の人生を書くのだから、何話になるのかもわかりませんが、興味がある方は是非読んでくださいね。

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2019年11 月24日の札幌。


私が初めて生きていていいんだって思ったのは18歳の時、何かに突き動かされるように行くことになったアメリカ🇺🇸留学の時でした。

35年前、四国の田舎者がアメリカの大学へ留学するなんて宇宙旅行に行くくらい稀な時代に地元の県立高校を卒業したての18歳の女子が1人で東京成田空港からアメリカのLAまで行くんだから、「百香里には生きているうちにはもう会えない」くらいに親戚のばあちゃんは言っていました。


一年の約束で旅立った私はアメリカのLAで飛行機を乗り継ぎアイオワ州デモイン市へ到着しました。

そこで友人の女性に迎えてもらい、無事その女性の自宅へ到着したのでした。

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19歳のマミー🤣


つづく

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