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夫婦 美しい最後

なんでこの人と結婚したんだろう。

ふと人生でそんなこと感じたことはないだろうか。
私は先日とても美しい夫婦の最後を見た。
本当に誠実で謙虚で、それでいて現実的でじみ深くあった。

夫を中心に人生が回っていた

先日叔父が急逝し、その葬儀に参列した。
その時、叔父の娘さんがこのようなことを言っていたのが印象的だった。

お母さんの人生は本当にお父さんを中心にくるくる回ってきた人生だった
もう本当に50年間そうだった

実家も近所だったので叔父と叔母の関係性は近くでよく見てきた。
典型的な亭主関白。叔父が一声「おーい」と言えば叔母が飛んでくる。
これは葬儀の日に聞いた話だが、冬場の出勤前には叔母が事前に車のエンジンを入れ車を温めていたそうだ。

すごい、凄すぎる……!!できない、そんなこと考えることすら…!!!

よくこんな人と結婚できたね。よく一緒にいられる。
お父さんの一体どこが良かったの?
ー腐れ縁よね、仕方ない仕方ない。

そんなことも娘さんが言っていた。
娘さんは「父親みたいな人との結婚は考えられない」と。
私達同世代の女たちは一斉に頷いた。

夫中心の人生を生きてきた叔母の人生は不幸に見える?
どうだろうか。

必要とされた女性は幸せ 妻でいることが価値

叔母は確かに苦労も多かったし、我慢も多い人だった。
すごく我慢強い人でもあって夫の愚痴をこぼすことは無かった。
叔父は叔母無しでは正真正銘『生きていけなかった』のだ。
叔母は必要とされた。求められることは人にとって幸せだ。

叔父の方が確かに立場は上だったけれど、叔母なしではダメだった。

「結局あなたは私なしでは生きていけないのよ」ってことだ。
これってある意味男女の恋愛関係の綱引きで圧勝している状況じゃないだろうか。
叔母は50年の人生をかけて、この圧勝を勝ち取った。
女として50年の大恋愛をして「求められる」幸せを感じていたのでは。

葬儀中の叔母は本当に悲し気だった。
叔父が意識も薄れる中で「おーい、おーーい」と叔母を呼び叫んでいたそうだ。

意識はほとんど無かったんだけどね、私が来たって分かってくれたのよ。

叔母が涙を堪えて言った言葉が愛にまみれて心に響いた。
素直に「美しいな」と思った。

私達夫婦は美しい最後を迎えるのだろうか

叔父と叔母の美しい最後を目の当たりにして、自分の愚妻っぷりを反省しつつ考えた。

私達夫婦の最後は美しいだろうか。

叔父と叔母が支え合いながら散歩をする後ろ姿には人生の何たるかが濃縮されていた。若いカップルが口づけをし抱きしめ合う姿よりも愛が溢れていた。

叔母は専業主婦で夫に尽くし続けた。
仕事に行くより大変だろうってくらい。休日もなく尽くしていた。
叔母は仕事をしなかったが、妻である”存在価値”があった。

私は専業主婦をしたが、夫は有難い事に何でもできるし私が居なくても困ることは無いと断言できる。だから、専業主婦時代に自分の存在価値がみるみる無くなった。

「専業主婦です〜(小声)」になちゃったのだ。

今時の男性って割と生活力のある人が多い。
だから妻でいる存在価値だけだと足りない感時がしてしまうのだ。
そう、ちゃんと現金で自分の存在意義を示さなきゃいけないような。


女として「求められる」ことは幸せ?なのかも。
求められ方っていうのは時代によって変わるけれど。


私たち夫婦はどの点で「求め合って」いるのだろうか。
うちの場合は家事や収入といった経済面で求めているのではないことは明らか。夫は何でもできるし、収入は彼がメインだから。

今は子ども達の母親として私が必要な様子。
このままでは子育て終了後に夫婦関係もバーンアウトしてしまう可能性大なのが私達夫婦の実情。皆さんのご主人はどの点であなたを求めている?


私達は年老いて隣をどんな様子で歩いているだろうか。
その姿に美しさはあるだろうか。


とにかく悲しいけれど私は美しい人達を見た。
忙しない日常の中で忘れ去りそうだが、不意にきっと思い出す光景。
アインシュタインが述べたようにこの世でもっとも大きなものは「愛」というのは事実であることを目撃した。



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