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言語物理学のすすめ

 近い将来、「言語物理学」なるものが最先端科学になると思う。

言語物理学とは、現在明確な定義があるわけでもなく、体系的な学問として成立しているものでもない、単なる私個人の造語なのだが、直感的には言霊と呼ばれる種類の言葉の持つ物理エネルギー的な側面と、現在でいうところの量子力学が融合した学問である。
別の言い方をすると、言葉の持つエネルギーを科学的に解き明かし、その力を意識的に活用するための学問と言えるかもしれない。

言葉そのものがエネルギーであることは、疑う余地のない事実であろう。
言葉によって誰かを勇気づけたり絶望させたりすることは、言葉の持つ力の一側面であること我々は無意識の内に理解している。
ただしこの言葉の作用は、言葉の意味性が脳神経を介して伝達することで生じる現象であるのか、あるいは言葉そのものが持つ物理的エネルギーが直接受けての脳神経あるいは肉体に直接作用した結果であるのかは、おそらくは現在の化学体系では明確に説明することができないように思う。
言葉がどのように作用して、有機的無機的第三者の行動や感情、あるいは様態に影響を与えるのか、実はよく分からない。

例えばオペラ歌手の高い歌声が、ガラスを割るということは、神秘的ではあるもののよく知られた物理現象である。これは言語の持つエネルギーではなく、物理振動としての音声とガラスの共振による物理現象だと説明できる。

では「ありがとう」という言葉をかけられた際に感じる、うれしさや満たされた気持ちはどうだろう?
これはありがとうという言葉の意味の相互理解を通じて生じる感情的、脳神経的な作用の結果であるのか、あるいは「あ・り・が・と・う」という言葉の持つ何らかのエネルギー、例えば波動その他の力が作用した結果であるのかはっきりしない。一般的には前者であると解釈されていると思うが、実はよく分からない。

もし前者であるならば、「ありがとう」という言葉による感情の変化は、日本語の意味を理解しない者にとっては発現しない現象となり、後者であれば言語の理解とは関係のない、普遍的な現象ということになる。そしてその場合、作用の対象は人間や動植物に限らないばかりか、有機性の有無にさえ関わらず対象が及ぶことになる。

「ありがとう」等の言葉をかけた水は綺麗な結晶を結び、「ばかやろう」等の言葉をかけた水はいびつな結晶を結ぶ、といった話がある。
現在、この種の現象は、ある種宗教的な事象として盲目的に信じる者と、非科学的だと言って強く否定する者とが存在する、オカルティズムの分野に属するテーマのように思う。

言語物理学とは、日常的に体験する言葉の影響を説明し、言葉により物質の様態に変化を生じるのかどうかに対する明確な答えをもたらす学問である。
そして言葉のもつエネルギーの作用が存在するという立場に立った際には、その学問とは、人類が生み出すことのできる究極的なフリーエネルギーの獲得につながるものである。

直感的に思うことは、言語がもたらすエネルギーは、原子が生み出す破滅的なエネルギーよりも圧倒的に大きな力を持ち、そして圧倒的にクリーンで、かつ無尽蔵なものではないか。

仮に言葉の持つ力が原子の力を超えるものであるならば、どうだろう?世界は全く変わってしまう。全ての発電設備が不要となるばかりか、医薬品も病院も不要となる。農薬もいかなる化学物質も必要とされない世界になるのではないか。

言葉のエネルギーが体を癒し、植物を育て、環境を育む力を持つのであれば、それは本当に無尽蔵でクリーンな究極の力だろう。人の数だけエネルギーは生まれ、言葉の数だけエネルギーは拡大する。その言葉の作用を知ることは、人類にとっても宇宙にとっても必要なことではないだろうか?

そして言語物理学が体系化される時、おそらくは、日本語が注目を集めることとなる。エネルギーを最大化することができる言語として。
その時、祝詞の意味も消えていった古の言葉の意味も明らかになるだろう。
そして人間社会と地球と宇宙の調和も、再び訪れるだろう。

言葉の持つ力を正しい方向に向けること。
その時言語物理学の課題は、そのような倫理的な側面になるだろう。

ではまた次回。


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