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【人相学】『武者鑑』楠正行/弁内侍/氏清室/山名氏清

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


楠正行くすのきまさつら
正行まさつらは、正成まさしげ総領そうれうにて、ちゝより櫻井さくらゐえきおいて、王室わうしつ 恢復くわいふく遺言ゆいげんをうけ、またはゞ教諭きやうゆによつてとゞまり、昼夜ちうや 復讐ふくしうわすれずといへど ときいたらず。

しかも、正行まさつら面上めんじやうにくなく、白眼はくがんつね青色せいしよくおびひたい ほそながく、みゝたれて、にして 不連つらならずこれ 夭死わかじにさうなりと。

おのれさうし、そのうへ多病たびやうなりければ、いたづら牗下ようかさば、なん面目めんぼくあらんやと。つひいくさおこして しば/\ 尊氏たかうぢたゝかひ、毎度まいど るといへど、全功ぜんこうをなさず。廿五さいにて自尽じじんす。まことをしむべきの英雄ゑいゆうたんずべきの人傑じんけつなり。


弁内侍べんのないし
内侍ないしは、吉野よしの御所ごしよ官女くわんぢよなり。あるとき高師直かうのものなをためうばはれゆくを、正行まさつら 途中とちうにていであひ うちちらして内侍ないしとりかへし、御所ごしよたてまつ れば、てい 叡感ゑいかんあま内侍ないしくだされれば、正まさつら よろこんでつまとなし、正教まさのり生産うましむ。

のち正行まさつら 討死うちじにしてよりあまとなり、大和国やまとのくに 龍門りうもんいほりむすびてありしとかや。

内侍ないし美顔びがん言葉ことばつくしがたく、ことまゆ ゑがきたるごとく うつくしくきよらかなりしといふ。これ陰人いんじん助力たすけるのさうといへり。


氏清室うぢきよのしつ
氏清うじきよしつは、良人おつと 討死うちじにのち郎■らうとう [當+从] らのたすけで、紀州きしう根来寺ねごろでらおちゆきるに、輿こしうちにていつか自害じがいしてありければ、おどろきて介抱かいほうするに 段ゝだん/\いきいでたり。

このとき子息しそく 時清とききよ満氏みつうぢいのちをしみて、法師ほうしさまかへえてありしが、この こときゝて、たづねゆきはゝあはんといふ。

はゝ いかつて、武士ぶしとして ちゝ討死うちじに余所よそにする不覚人ふかくじんには目通めどほ不叶かなはずとて不逢あはずつひいきたへたり。まことに、烈婦れつふともいひつべし。このしつたなそこ中心なか●●にかくのごときのもんありしが、これ みづから するの手相しゆさうとはいへど、可惜をしむべき婦人ふじんなり。

かくのごとき紋


山名やまな氏清うぢきよ
氏清うぢきよは、伊豆守いづのかみ 時氏ときうぢ四男よなんなるが、足利あしかゞ おん相伴しやうばん しゆう 五家ごけ隨一ずゐいちにて、箇国かこくれうし、なに不足ふそくなき身分なれど、婿むこ 播磨守はりまのかみ 満幸みつゆき将軍家しやうぐんけうらむることあるゆへに、一族いちぞく合躰がつたいして南朝なんてうおん味方みかたぞくし、明徳めいとく二年十二月大晦日おほみそか みやこおしよせたりしが、きやうぜい つよくして、おほい敗北はいぼくなし、氏清うぢきよ以下いか 八百余人よにん不残のこらず乱軍らんぐんのうちにせり。

氏清うぢきよは、りやう眉頭まゆがしらより 眉尾まゆ●り白気はくき弓刀きうたうかたちをなせしが、これ 劔刀けんたうめいうしなふのさうなりとて、このたび叛逆ほんぎやくつまいさめけれど不聞きかずして、つひほろぶ。



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