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【人相学】『武者鑑』橘逸勢/妙媛/小野小町/在五中将業平

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


橘逸勢たちばなのはやなり
逸勢はやなりは、本朝ほんてう 三筆さんぴつ の一人にして、古今こゝん名筆めいひつなりしが、そのさう はなはだ  悪敷あしく、顔しゆみ、おとがひ しぼり、くちはなあひだ せゝこましく、まゆたかけれども、みじか逆毛さかげおほし。これ不義ふぎくはだつ るの さうなりといへり。

あたれるかな、逸勢はやなり 君恩くんおんわすれ、すこみかど をうらみたてまつることありて、謀叛むほんをこせしに、そのこと あらはれて、承和ぜうわ七年、伊豆いづくに流刑るけいしよせらるゝ。途中とちうにて まかりしとかや。

それかくのごときの さうあるものは、つゝしまずんば あるべからず。たと謀叛むほんをなさずとも、そのとりては、古今こゝん悪相あくさうなり。

※ 「顔しゆみ」は、顔朱味しゅみでしょうか。赤ら顔。


妙媛たえひめ
妙媛たえひめは、逸勢はやなりむすめなれど、本朝ほんてう 廿四 かうの 一人なり。ちゝ つみおかして ながさるゝを かなしみ なげき、泣々なく/\ その あとしたひて ゆくに、遠州ゑんしう 板付いたつきにて 逸勢はやなりそつしけるゆへ、その ところ亡骸なきがらほうむりけるに、妙媛たへひめは こゝに とゞま りて、あまとなり、妙仲めうちうよびて、あととむらひけるに、その 孝心かうしん てんつうじてや、このこと みやこきこえ、嘉祥かじやう 三年、逸勢はやなりれいつみゆるして、帰洛きらくせしめ、せう五位下ごゐのげたまふ。

妙媛たへひめは、ひくく、まろく、こへふとり、じりさがりて、くち大きく、みゝちいさく、手足てあし すべみぢかく、いしき 大きく、まこと唐土たうど無塩ぶえんぢよとも いふべき、醜婦しうふなれど、その 孝義かうぎきよこゝろは いかなる美人びじんにも はづべからず。嗚呼あゝひととしては かくこそありたきものになん。

※ 「いしき 」は、尻のこと。居敷いしき。
※ 「 無塩ぶえん」は、うぶな人、純粋な人のこと。


小野小町おのゝこまち
小町こまちは、元正がんしやうてい御宇ぎようの人とも、また仁明にんめいてい御時おんときの人ともいふ。出羽では郡司ぐんし 小野をの良実よしざねむすめいへり。天下てんかいろれうして、容顔ようがん美麗びれい ならかたなく、哥道かどう名誉めいよなりければ、いふよるもの かずしらずといへど、みづから 美顔びがんたのんで、これかれこゝろ不協かなはずとて、下紐したひもせきゆるさざりしに、いつしか としたけ寄辺よるべなく 乞食こつじきとなりて、関寺せきでらおはるといふ。

小町こまちは、ひたひ蛇行じやこうもんとて、乞食こつじきになるべき さうありしが、わかきうちは、その かほ つやゝか なれば、その もん うすくして、あらはれずとなん。それ美人びじんとて ほこるべからず。醜婦しうふとて、又 はづべからず。人相にんさうは、心身 したがつて、あらはるゝなれば よく/\。

※ 「御宇ぎよう」は、帝が天下を治めている期間のこと。御代みよ御時おんとき
※ 「下紐したひもせき」は、陸奥国むつのくにに置かれた古関。藤原泰衡ふじわらのやすひら源頼朝みなもとのよりとも の攻撃を防いだ所(阿津賀志あつかし山の決戦)として知られているそうです。


ざい 中将ちうじやう 業平なりひら
業平なりひらちゝは、仁明にんめいてい皇子わうじ 阿保あほ親王しんわうはゝ桓武くわんむ皇女わうによ 伊登いとだい親王しんわう にして、行平ゆきひら同胞はらからなり。哥道かだう達人たつじんにて、その 美貌びぼう艶麗えんれいなることは、世人よのひと口碑こうひ膾炙くわいしやする ところにして、今更いまさら いふ不及およばずといへど、美貌びぼう かへつあだとなり、浮名うきなかうむりて、みやこ住居すまゐ 不叶かなはず余儀よぎなく 東国とうごくくだること などあれば、その じつらずして、今人こんじん多く、淫厚いんかうの人といふも、全く 艶麗えんれい なりしゆへなり。その のち帰洛きらくして 元慶げんけい四年に卒去そつきよす。小町こまち贈答ぞうとううたあり。

※ 「口碑こうひ」は、世間のうわさ話。
※ 「膾炙くわいしや」は、世の人々の評判になって知れ渡ること。
※ 「今人こんじん」は、今の世の人、現代の人。
※ 「帰洛きらく」は、都へ帰ること。
※ 「卒去そつきよ」は、身分のある人が死ぬこと。



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