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【人相学】『武者鑑』小宰相局/三位中将通盛/齋藤瀧口時頼/雑司横笛
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小宰相局
局は通盛の室にて、故 刑部卿範方の娘なり。上西門院 に 宮仕 して在けるを、通盛 恋慕なしける由聞へければ、女院あはれに思しめされて、御 媒して妻に給ふ。
後に、通盛 湊川にて討れしときゝ、悲哀にたへず、或 夜 潜に舷に忍び出て、満々たる海底に沈んで失にける。
僅に 春秋十九才なりし局は、耳の根に小さき黒痣ありて、舌至つて薄く 大にして短し。是、水難の相ありと局の乳人 常に油断なさゞりしに、少しのひまに忍び出て入水なしけるとなり。
※ 「舷」は、船のへりのこと。船端。
※ 「 春秋」は、ここでは年齢という意味。
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三位中将通盛
通盛は、清盛の舎弟 門脇宰相 教盛の総領たり。智勇共に薄しといへど、了得 雲上の交りをなす。故に哥道には妙を得たり。
其相 論ずる所なけれど、舌短く、胸突然と出張り、臍小さく低たり。是、思慮うすき相といへり。左も有なん。
彼 局をも西海へ伴はれしに、一の谷の山の手へ向ふ時、只 名残をしさに、泣つ口説つにして 別れを惜んでをかれし所へ、舎弟の能登守 教経来り、大いに恥かしめて 出陣をうながされ、余儀なく戦場に向ひ、竟に討死を遂られたり。
※ 平清盛--〔弟〕平教盛
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〔嫡男〕平通盛(=公盛)
〔次男〕平教経(=国盛)
※ 「臍」は、へそのこと。
※ ここでいう「戦場」は、寿永三年(1182年)二月七日の一ノ谷の戦いのこと。
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齋藤瀧口時頼
時頼は、左衛門 茂頼の子にて、小松内府の侍たりしが、横笛と馴染しを、父 怒りて縁を剪せんとす。時頼 こゝに発心して、十九歳にて髪を切て、嵯峨の 往生院に 行澄して在けるが、後亦、高野山に入て、道心堅固なりしとかや。
夫人は 色欲の二道は去がたきの最第一なるを、如此 愛念を 飜すは、又《また》 |有がたき人あらずや。
時頼は、乳小さくして、乳頭に長き毛を生じ、寒中にも身中 常に汗を出せしといふ。是、孤獨の相とて、出家する人に多くありといへり。
※ 「齋藤瀧口時頼」は、斎藤以頼の子で平重盛の臣。滝口入道。
※ 「道心堅固」は、仏道に帰依する心がかたい様子のこと。
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雑司横笛
横笛は、建礼門院の雑司なりしが、時頼と通じて 深く言かはせしに、其 父の不興を受て、時頼は出家なせしときゝ、嵯峨へ尋ね行しに、時頼法師は棄恩入無為の悟道の迷ひとなるべくとて遭ざりしかば、嘆き悲み、よるべなき身をかこちて、桂川の千鳥が淵に身を投げて死す。其時、年十七才といへり。憐なりしことどもなり。
横笛、未 嬰児の時分、或 相者此 児 甚 長寿の相ありて、又、夭死の相ありといへり。是 長寿なるも 自 天年を縮る故にやあらんかし。
※ 「雑司」は、雑仕。宮中や貴人の邸に仕え、雑役などに従事した女性のこと。雑仕女。
※ 「棄恩入無為」は、恩愛の情を捨てて、世俗の執着を断ち切り、悟りの道にはいること。出家受戒の際に「棄恩入無為 真実報恩者」と唱えるそうです。
※ 「相者」は、人相を見てその人の運命や吉凶などを判断する人こと。人相見。
※ 「 天年」は、天から受けた寿命のこと。天寿。
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