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『かなめ石』下巻 三 妻夫いさかひして道心おとしける㕝

寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井あさい了意りょうい。上巻では、地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。マガジンはこちら→【 艱難目異志(かなめ石)

下巻三章では、妻と間違えてうっかり別の女性の手を引いて逃げたため、妻から離縁される入り婿の男性のエピソードが書かれています。なんとも気の毒な話です。

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三 妻夫めをといさかひして道心だうしんおとしける㕝

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

そのころ都のうちに俄道人おこして浮世をめぐる痴者しれものあり。みづから新房あたらしばうとかや名をつきてかたのごとくまゝなるだうけものなり。

※ 「道人」は、仏道の修行をする人のこと。
※ 「痴者しれもの」は、愚かな者、ばか者。
※ 「だうけもの」は、道化者どうけもののことと思われます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

五月四日は大事の日にて、なゐふりつゝ大地がさけてどろの海になるか、しからずは火の雨がふりて一めんにやけほろぶなか、いかさま世の中めつすべき境目さかひめ也といひはやらかす。

京中の貴賤きせん上下聞つたへ、の涙を流しておそれかなしむもあり。又、いかなる事にもさやうにはあるまじきぞやといふものも有けり。

※ 「なゐ」は、地震のこと。
※ 「いひはやらかす」は、流行はやらかす。

ある町人の身上しんじやうもまづしからず、ともかうもしてすみけるもの、此沙汰をきくに、おそろしさかぎりなく、手ふるひ足わなゝき、目くらみむねおどりて、うつゝ心になりしかども、男たらんもの色にいだしておそれまどはゞ人のためわらはれんも口おしくおもひて、さらぬやうにてふせりる。

※ 「ともかうも」は、ともかくもという意。
※ 「沙汰」は、ここでは噂のこと。
※ 「うつゝ心」は、現心うつつごころ。夢見るような気持ち、うつろな心。
※ 「色」は、ここでは顔色、表情のこと。
※ 「わらはれん」は、わらわれん。

「今やゆりいでゝ泥の海になるらん、火の雨ふるべきか」とおもひける所に、あんのごとくひつじのこくばかりに北のかたよりだう/\となりひゞき、しきりに大なゐゆりいでければ、「すはや、今こそ草木さうもく国土こくどひとも鳥もけだものもみな一どうに成佛する也。もしやのがるゝ事もあり。あしにまかせてにげてみよや」とて、つまの女房が手をひつたて、みなみをさしてかけゆきつゝ七条川原に出たり。

かくてゆりやみければ、しばらく心をしづめてつら/\見れば、子をひきてうちつれにげたるは妻の女房にはあらで、さしもなき熊野くまの比丘尼びくにの地しんにおそれてにげこみたるを是非ぜひなく手を引て七条川原までにげきたりぬ。

※ 「あんのごとく」は、思った通りに、案の定。
※ 「ひつじのこく」は、ひつじこく。午後の一時から三時頃のこと。
※ 「すはや」は、突然の出来事に驚いて発する語。あっ、やっ。
※ 「成佛」は、成仏。死ぬこと。
※ 「手をひつたて」は、手を引っ立て。手をつかんで無理やり連れていく。
※ 「さしもなき」は、しもき。たいしたこともないの意。
※ 「熊野くまの比丘尼びくに」は、地獄極楽の絵解えときをしながら、熊野三所権現勧進のために諸国を歩いた尼僧のこと。歌比丘尼。参考:『国史大辞典(歌比丘尼)』『仏教辞典(歌比丘尼)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

くちおしき事かな。さこそ人のわらひぐさになるべしとおもひつゞけて我ながらをかしく、日ぐれかたに家にかへりしかば、

妻の女房大にはらをたて、
「日ごろそなたの思ひ給ひけるしるしには、我をば打すてゝかつたいあまが手をひきてにげ出給ふ。はらたち、さようの焼尼やけあま来世らいせまでもそひ給へ。我には隙をあけて、入婿いりむこなれば出ていね」とてふりくすべければ、

おとこのいふやう「人たがへといふ事はためしなき事か、わごぜかとおもひてとりちがへたり。それをふかく腹立はらたつ悋気りんきなり。わがよむ哥をきかしませ」とて、
  なゆよりも つまにふらるゝ くるしさ
    きげんなをしと いふは世なをし
といへば

※ 「をかしく」は、可笑おかしく。
※ 「日ぐれかた」は、日暮れ方。
※ 「痴《かつたい》あま」の読み「かつたい」は、乞丐かたいのことと思われます。ここでは、乞食、物乞いという意。
※ 「そひ給へ」は、添い給へ。
※ 「ふりくすべければ」は、ふりくすべければ。ここでは、嫉妬するという意。
※ 「人たがへ」は、人たがえ。
※ 「わごぜ」は、我御前わごぜ。あなた、おまえさん、主に女性を親しんで呼ぶ語。
※ 「悋気りんき」は、嫉妬のこと。
※ 「哥」は、歌。
※ 「なゆ」は、地震のこと。
※ 「世なをし」は、地震けのために唱える呪文「世なしをし/\」で、「きげんなをし(機嫌なおし)」とかけられています。

ふうふいさかいしてりべつのところ
(夫婦諍いして離別のところ)

女房いよ/\腹をたて
「何の哥どころぞ、聞たうもなし。今はこれまでなり。そのあまが所へゆかしませ」とてつきいだす。

けしかる地しんのおめきにとりさふる人もなし。男ちからなく出るとて、門柱かどばしらかきつけゝる。

  出ていなば 心かろしと いひやせん
    このいさかひを 人はしらねば

※ 「けしかる」は、しかる。
※ 「おめき」は、おめき。叫び声を上げること、わめく。
※ 「とりさふる」は、ふる。仲裁すること。
※ 「いなば」は、帰ればの意。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

涙とゝもに追出され、今は世にすむべき甲斐かひはなし。俄にかみをそりてこゝろもおとしぬ。あを道心だうしんをおこし、こゝかしこ、しれる人のもとにたちよりてきのふけふとするほどに、水無月文月ふづきはすぐれどもなゆの名ごりはいまだやまず。

※ 「あを道心だうしん」は、よく考えずに起こした信仰、なま道心。
※ 「きのふけふ」は、昨日今日。

そのあひだに国々所々をめぐりて、このたびのなゆにてくづれそんぜしありさまこまかに見聞つゝかたり侍りしこそたしかなれ。

※  「くづれそんぜし」は、くづそんぜし。



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