見出し画像

江戸の花名勝会 角田番外(河原崎権十郎)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『江戸の花名勝会 角田 番外

ちよづとごらん あそばせ
大当りの江戸ゑしゆう ○やこつくしいこと
ごひいきの三升の 白ふぢ大当り

江戸のはなの 名所絵は
彼方からからの逢物也 関屋の里

おしゃべりに興じる女性たち。人気の役者絵を手にした若い女性が「ご贔屓ひいきの市川團十郎の『白藤お俊』が大当たり!」と話しています。

『白藤お俊』は、『お俊伝兵衛』に力士の白藤源太を加えた旧作の書き替えで、新たに本所の下駄の歯入れ殺しの巷説が取り入れられています。文化七年(1810年)江戸市村座初演、正式名は『勝相撲かちずもう 浮名花触うきなのはなぶれ  』。

三升みます」は、 歌舞伎の名跡「市川團十郎」の定紋です。


元隅田川の辺り 牛田にありて
春は花鳥 なつは海舟 秋は風月 冬は雪の松
四季ともに 風流の名所にして
名ぶつには 早なすとおいもが出ます そうでござり升

お付きの御年寄らしい女性が身を乗り出して話すのは、元隅田川の辺りの話。荒川沿いの牛田堤うしだづつみです。この辺りは「関屋の里」と呼ばれていました。

「春はお花見、夏は舟遊び、秋はお月見、冬は雪の松
四季を通じてすばらしい名所でして
名物は 早茄子と里芋だそうでござります」

関屋の里は、日光街道の最初の宿しゅくとなる千住宿があり、また、当時江戸の三大市場と謳われた千住青物市場もありました。

🍆

わたしやのさとは ねりまでござり升から
ニタまた 大こんのたねがでます
此次へ○ます名所ゑは ありまから
友咸○しまから さねもりとしまかう

○○がらの平太さねなが
ほいごめん
 あそばせ つい すべりました

お付きの女性は続けて、「私ゃの里は練馬でござりますから、ふたまた大根の種がでます」と話します。練馬といえば大根です。

「大根の種」というのは、役者と大根、種と役者の卵 といった掛詞かけことばになっているのでしょうか。あえて「ふたまた大根」と言っているのも何かに掛けられているのだろうと思います。


銘露や関屋漕ぬく舟茄子
夜専吟

漕ぐ舟と、舟茄子(茄子を舟に見立た料理)が掛けられています。関屋の里では、早茄子を使った「なすの舟焼き(茄子を縦割りにして田楽味噌を塗って焼いたもの)」が名物だったのかもしれませんね。


関屋の里

名にしあふ ふじとつくばの 山合に
露の情の 一夜妻
いつもほのめく千草の里へ

人目 関屋を しのびつゝ 木の間かくれに
逢夜さは 水に角田の月もいや


白ふじ 河原崎権十郎 三升


河原崎かわらさき権十郎ごんじゅうろう  の「菱宝結び」がクリスマス飾りのように見えてモダンな感じ。🎄

河原崎権十郎の替紋「菱宝結び」



江戸の花、名勝会には、「四季花やしき  百花寺」「かし座縁  植木屋」とあります。

これは、現在の「向島百花園」のことと思われます。文化元年(1804年)頃に開園された花園で、「百花園」という名前をつけたのは江戸琳派の祖である絵師の酒井さかい抱一ほういつ、門の額を書いたのは狂歌師の大田南畝おおたなんぽです。一年を通じて詩歌にゆかりの深い草花を楽しむことができ、多くの文人墨客が訪れるサロンのような場所になっていたそうです。

添えられている絵は、瓢箪の水入れ、煙草盆、左奥のざるは里芋、手前の笊は茄子が描かれています。歌舞伎談義に花が咲いた後は、おやつに里芋を食べたのかもしれませんね。

春はお花見、夏は舟遊び、秋はお月見、冬は雪の松
四季を通じてすばらしい名所でして
名物は 早茄子と里芋だそうでござります



筆者注 ○は解読できなかった文字を意味しています。ただ、文意がわからない箇所もあるので自信がありません。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖