【人相学】『武者鑑』日本武尊/乙橘媛/神功皇后/武内宿祢 5 mominaina 2024年2月21日 20:04 出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二』日本武尊やまとたけのみこと尊みことは、景行けいこう天皇てんわう 第だい二の王子わうじにして、初はじめ 小碓をうすの尊みことと申 奉たてまつ る。寔まことに 武勇ぶゆう絶倫ぜつりんにて、十六御さいの御時とき、川上かはかみの ■師たける [■は白+儿+斗] をうちとり玉ひ、夫それより 東国とうごくの 荒夷あらえびす らをこと/\く誅ちゆうし給ふ。尊みことは、御丈おんたけ 一丈ありて、容貌ようぼう魁偉くわいゐにして、勇猛ゆう●う並ならぶかたなく在おはしけれども、惜をしいかな、御頭かしらに 少すこしの 偏欹ゆがみありて、眉まゆ濃こく 短みじかく、中眼ちうがんにして 水溝みぞなく、一面いちめんなりしとかや。是これなん 世よを早はやく辞じし玉ふの 御相さうなりしといへり。将はたして、御年とし 三十歳さいにて、伊勢いせの 能褒野のぼのにて 薧かくれ 給ふに、白鳥はくてうと化けして、神しんと成なり玉ふ。是これ、天明てんめい自然しぜんの 相さうに 叶かなふ を 示しめし給ふもの也かし。※ 「川上かはかみの ■師たける [■は白+儿+斗] 」は、川上梟帥かわかみのたける。乙橘媛おとたちばなひめ穂積ほづみ氏うぢ 忍山おしやまの 宿祢すくねの 女むすめにして、日本武尊やまとたけのみこと の 御ご愛妃あいひなり。尊みこと 東征とうせいの日ひ、上総国かずさのくにへ 渡わたらんと做なし給ふ。海中かいちうにて、俄にはか に 暴風ぼうふう 起をこりて、御舟ふねの 覆くつがへらんとする時とき、是これ 竜神りうじんの 祟たゝりなれば、尊みことの 御命いのちに換かはらんと、姫ひめは 千尋ちひろの 海底かいていに 沈しづんで、水みづの泡あわと消きへ給ふゆへにや、風かぜ 治おさまりて、御舟ふねは 恙つゝがなく 上総かづさへ 着つきしとなん。媛ひめは、古今こゝんの 国色こくしよくあれど、髪かみの中なかに 青あお黒くろき 血脉すじありて、■いね [■は穴+木+未] るに眼め口くちを閉とぢ玉はざかしとかや。是これ、水みづによつて、世よを去さり玉ふ相さうなりといへり。寔まことに、節女せつぢよといふも、愚おろかにて 操みさほ めでたき 鑑かゞみ なり。※ 「 国色こくしよく」は、その国で一番の容色、絶世の美女のこと。神功皇后じんぐうくわうごう仲哀ちうあい天皇てんわうの 御后きさきにして、應神おうじん天皇てんわうの 御母はゝ也。天皇てんわう軍中ぐんちうに 崩かくれ給へば、皇后くわうごう 自みづから 斧おのを 提さげて、三軍さんぐんを下知げちし、筑紫つくしの 熊襲くまおそを討うちとり、夫より三韓さんかんを征伐せいばつありしに、忽たちまち 降参かうさんを做なす。御 寿ことぶき 百歳さいにて 崩御ほうぎよあり。皇后くわうごうの御㒵かほは、不肥こへず 不痩やせず、中肉ちうにくして、眉まゆ頭がしらに 痣あざありて、鼻はま圓まろく、歯は小ちいさけれど、列なみよく、歯は貟かず 三十二枚まいあり。耳みゝは 長ながく 光ひかりありて、周身●うしんの 皮膚ひふ 細こまやかに 艶つやありて、小児せうにの 肌はだへのごとし。長寿ちやうじゆ の 御相さうなりしといへり。武内宿祢たけのうちのすくね宿祢すくねは、景行けいこう天皇てんわう 十六年に 出産むまれ、帝王ていわう 六代に 奉仕ほうじして、忠勤ちうきん類たぐひなし。就中なかんづく、神功じんぐう皇后くわうごう 三韓さんかん 御ご征伐せいばつの 砌みぎり、その功こう 莫太ばくたいなるは、人ひと 皆みな 知しる 所ところなり。仁徳にんとく天皇てんわうの七年、三百十一歳さいにて 薧こうず。大江おほえの匡房またふさ 云いはく、宿祢すくねは 面おもて長ながく、少すこし 痩やせたれど、額ひたい 濶ひろく、豊ゆたかに 高たかし。眉まゆは 濃こく、緑みどりの如ごとく、眼めは 細ほそく、烏晴くろだま 大おほいに 金こがね の 光ひかりありて、口方くちかたに 濶ひろく、耳みゝ厚あつし。一身いつしん 七尺、声こゑ 鐘つりがね の如ごとくして、常つねに 気き緩ゆるく、自然しぜんとして恐おそれず、座ざする体てい、恰あたか も 山やまの如ごとし。是これ、類たぐひなき 長寿てうじゆの 真相しんさうなりといへり。『武者鑑』の人物一覧はこちら → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖 ダウンロード copy #古文 #古文書 #人相 #日本武尊 #神功皇后 #人相学 #弟橘媛 #武者鑑 #武内宿祢 5