【人相学】『武者鑑』内大臣宗盛/熊野御前/袈裟御前/遠藤武者盛遠 8 mominaina 2024年1月26日 17:58 出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二』内大臣ないだいじん宗盛むねもり宗盛むねもりは、清盛きよもりの三男さんなんなり。實じつは、至いたつて 下賤げせんの者ものの子こなりし共ともいふ。寔まことなるかな。勇ゆうもなく、智ちもなく、仁じんもなけれど、其その 相貌さうぼうは 眉まゆ長ながく、眼め大おほきく、鼻はな圓まろく、口くち耳みゝ共ともに大きく、額ひたい高たかく、極きはめて貴たうとき高運かううんの相さうありしが、常つねに独ひとり言ものいひ、或あるひは、木きの葉はの散ちるを見みても 独ひとりにた/\微笑わらひ、又または食しよくせざるに 舌鼓したつゞみを拍うつ。是これ 又また極きはめて癡漢あほうの相さうなりしといへり。然しかあらん。平家へいけ 惣大将そうだいうしやうの身みを以もつて 死しを恐れ、忽たちまち擒とりことなりて、臆病おくびやうの名なを後世こうせいに流ながすこと、口くち惜をしきことならずや。嗚呼あゝ、重盛しげもりの舎弟おとゝに此この人ひとありとは。熊野ゆや御前ごぜん熊野ゆやは、遠州ゑんしう池田いけだの駅えきの倡家しやうかの娘むすめにして、容顔やうがん類たぐひなかりしかば、宗盛むねもり 都みやこに召めし寄よせ、寵愛ちやうあい 大方おほかたならざりしに、熊野ゆやは是これを 不恰よろこばず、ただ 故郷こけうの母はゝを慕したひ、寝食しんしよくをやすくせずして、余あまりの恋こひしさにや哥うたを詠えいず。宗盛むねもりも、其その 孝かうを感かんじて、暇いとまを給ひければ、池田いけだに戻もどりて母はゝに孝養かうやうを尽つくしけるとなり。斯かくる 孝心かうしんの厚あつきを聞きゝては、其その 美貌びぼう、又また 思おもひやらるゝことぞかし。都すべて、意中こゝろは、先まづ 相さうに顕あらはるゝといへば、心こゝろ清きよければ、悪女あくぢよもいつしか美女びぢよともなりぬべし。思おもひ裡うちにあれば、色いろ外ほかに顕あらはるゝの道理だうりなれば、第一だいゝち視目みめより心こゝろの清きよきを、誠まことの美人びじんともいふべし。袈裟けさ御前ごぜん袈裟けさは、本名ほんみやう 阿都万あづまといへど、其その母はゝの名なを 衣川ころもがはと言いへば、對つひしての渾名あだななり。従来もとより、国色こくしよくあれば、早はやく 渡邉わたなべ左衛門尉さゑのもんぜう 渡わたると言いへる者ものへ嫁かすに、従弟いとこなる 盛遠もりとほに懸想けさうされて、孝貞かうていの為ために 命いのちを捨すてて、節せつを立たてし㕝ことは、すでに林はやし羅山らざん先生せんせいも 鳥羽とばの恋塚こひづかなる袈裟けさの碑銘ひめいを撰えらんで、貞操ていさうを讃ほめられしなり。其その相さうを言いへば、黒眼くろめ勝がちにて、眼尻めじりに黒子ほくろあり。口は小ちいさく、歯は並なみ細少こまかに並ならびよし、是これ、貞心ていしん深ふかき 表しるしなれど、常つねに内気うちきのやうにて、ものすくなくいひ、下眼しためづかひ多おほかりし。如斯かくのごとき の相さうは、災難さいなんの死しを遂とぐること有ありと言いへり。遠藤えんどう武者むしや盛遠もりとほ盛遠もりとほは、袈裟けさに横恋慕よこれんぼして、叔母おば 衣川ころもがはに迫せまり、袈裟けさを節せつに殺ころして懺悔ざんげなし。忽地たちまち、発心ほつしん 出家しゆつけして、袈裟けさの後世ごせを吊とむらふ。文覚もんがく 上人しやうにん、是これなり。後のちに罪つみありて、伊豆いづへ 配流ながさるゝといへど、実じつは、頼朝よりともへ平家へいけ追悼つひとうの倫㫖りんしを下くださるゝ 密勅みつちよくを 受奉うけたてまつりしといへり。初はじめ、盛遠もりとほたりし時分ぢぶんは、面貌めんぼう 猛悪もうあくなりしに、那智なちの滝たきにて三七日 荒行あらぎやう 做なしてより後のちは、全身ぜんしん皮膚ひふに光ひかりを出いだして、誠まことに貴相きさうとなりしといへり。所謂いはゆる、悪あくに強つよきは、善ぜんにも強つよきの 理ことはりならんかし。『武者鑑』の人物一覧はこちら → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖 ダウンロード copy #古文 #古文書 #人相 #人相学 #文覚 #武者鑑 #平宗盛 #文覚上人 #遠藤盛遠 #袈裟御前 #熊野御前 8