見出し画像

『かなめ石』下巻 二 諸社の神託の事

寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井あさい了意りょうい。上巻では、地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。マガジンはこちら→【 艱難目異志(かなめ石)

下巻二章では、地震発生から数日後、各地で行われた湯立ゆだて神事しんじ湯立ゆだて神楽かぐら)の様子が描かれています。

📖

二 諸社しよしや神託しんたくの事

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

このたびの大地しんに貴賤きせん上下おどろきさはぎ、此ゆくすゑには又いか成事かおき●●ずらんと、やすきこゝろもなし。京都はいふにをよばず、田舎ゐなか辺土へんどの村里在郷ざいがうかたの禿●ほこら小宮までも、俄に神前の草をむしり、灯明たうみやうをかゝげ、幣帛はいはく御供ごくうをそなへ、散米ざんまい御酒みきをたてまつり、猶そのうへにをまいらせ、さま/\に追従ついぜういたし「このなゆやめ給へ」といのるほどに、神々の御たくせん、日頃ひごろ述懐じゆつくわいを仰せらるゝこそまが/\しけれ。

※ 「おどろきさはぎ」は、驚き騒ぎ。
※ 「いか成事」は、いかなること。
※ 「やすきこゝろ」は、安き心。平穏で心が穏やかなこと。
※ 「辺土へんど」は、都の近郊、または、片田舎。
※ 「在郷ざいがう」は、田舎のこと。
※ 「禿●ほこら」の●が解読できないのですが、「禿倉ほこら」という言葉があるようです。神を祀る小さな社のこと。
※ 「散米ざんまい」は、神前に供える米のこと。
※ 「さま/\」は、様々。
※ 「御たくせん」は、御託宣たくせん。神仏が人にのりうつって(または夢の中に現れて)その意志を告げること。お告げ。

大津の四の宮はかたじけなくも、延㐂えんぎ第四の御子みこ蝉丸せみまるにておはしますとかや。宮もわらやもはてしなければとて、逢坂の関のほとりに引こもり「これやこのゆくもかへるも」といへる名哥を詠じ給ひけると也。のちに神といはひたてまつりて、四の宮と申して、れいげんあらたにおはしますとてあがめまつる事 今にたらず。このたび大津わたりは又ことさらにつよき大なゆふりて、人の家々おびたゞしくそんじければ、これ只事にあらずとて、産土所うぬすなどころのものどもあつまりて、湯をまいらせ神慮しんりよをすゞしめたる。

※ 「大津の四の宮」は、滋賀県の天孫神社(四ノ宮神社)のこと。
※ 「延㐂えんぎ」は、延喜。醍醐天皇の時代の元号のひとつ。
※ 「蝉丸せみまる」は、平安時代前期の歌人。出自伝承は諸説あり、醍醐天皇の第四皇子ともされています。
※ 「わらや」は、藁屋でしょうか。わら屋根の家、または粗末な家のこと。
※ 「逢坂の関」は、山城国と近江国の国境くにざかいの関所。
※ 「名哥」は、名歌。ここでは蝉丸が詠んだ和歌のこと。
  これやこの行くも帰るもわかれつつ 知るも知らぬもあふさかの関
※ 「いはひたてまつりて」は、祝い奉りて。
※ 「大津わたり」は、大津わたり。
※ 「大なゆ」は、大地震のこと。
※ 「神慮しんりよ」は、神のおぼしめしのこと。
※ 「すゞしめたる」は、すずしめたる。神の心をしずめること。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

五月四日の事なるに、諸人しよにん市のごとくあつまりまうで、おがみ奉らんとす。すでにはたぎりて、玉のわきあがる事 三尺ばかり。宜祢きねがつゞみのこゑたかく松かぜにひゞくふえのねにくわし、銅拍子どびやうしをならし、調子をそろへて相待ところに、年のころ五十いそぢにあまるふる神子みこ頬車骨ほうぼねあれて色くろきが、白髪しらがまじりのかづらをゆりさげ、白きうちかけしてねりいで、すゞふりあげ、拍子ひやうしをとりて、一舞ひとまひかなでたるありさま、しみやかにいとたうとかりければ、諸人随㐂ずいきの涙をながす。

※ 「宜祢きね」は、禰宜ねぎ(祢宜)のことと思われます。神職のひとつ。
※ 「銅拍子どびやうし」は、打楽器のひとつ。小型の銅鈸どうばち
※ 「しみやかに」は、しめやかにの意でしょうか。
※ 「随㐂ずいき」は、随喜ずいき。他人のなす善行を見て、心から喜ぶこと。仏語。

かくてまひおさめつゝ御幣ごへいをとり、湯釜ゆがまのほとりにさしかゝり、しばし祈念きねんしてをかきまはし、御へいを引あげたれば、湯玉ゆだまとひあがりて、●きかへるいきをひすさまじかりける所に、神子みこすでにうちかけをぬぎすてさゝの青葉のたばねたるを両の手にとりもち、つゞみ拍子ひやうしにあはせて、ふたあび、三あび、あびければ、あつまりける諸人、かんをもよをし、前なる人は手をにぎり、うしろなるものはあしをつまだて、をの/\片津かたづをのみて見けるほどに、篠葉さゝばにつきてとびちるのしづくにたへがたくあつかりければ、これにかゝらじともや/\する所に、俄に又大なゐのふり出たり。

※ 「いきをひ」は、勢い。
※ 「さゝ」は、ささ
※ 「大なゐ」は、大地震のこと。
※ 「つまだて」は、つま先を立てて。
※ 「をの/\」は、各々おのおの

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

諸人きもをけし、立さはぎみだれ、あひふみたをしをしあひ、いとけなき子どもはこゑ/\になきさけぶ。しばらくありて、ゆりしづまりぬ。御湯みゆまいらせし願人ぐはんにんをはじめ、又 神前に立かへりてみれば、かの神子みこ殿どのは人よりさきににげて、拝殿はいでんのかたはらなる杉の木のうえにかけのぼり、色をうしなひけるありさま、おそれまどひたるていなりしが、ゆりしづまりければ、又をりくだり、祢宜ねぎどもをまねき、太鼓たいこをうたせ、ふえをふかせて、しばらくをあびけるが、御たくせんこそありけれ。

※ 「きもをけし」は、肝を消し。肝を潰しという意味。
※ 「立さはぎみだれ、あひふみたをしをしあひ」は、立さわみだれ、あいたおい。
※ 「いとけなき」は、いとけなき。幼い。
※ 「こゑ/\に」は、声々こえごえに。
※ 「色をうしなひける」は、顔が真っ青になること。
※ 「おそれまどひたるてい」は、恐れ惑いたる様子。

大津の宮にてゆをまいらするてい
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

その御たくせんのこと葉にいはく、「いかに願人ぐはんにんよ/\、只今湯をくれて三ねつのくるしみのたすかりたるこそうれしけれ。大なゆがゆりて、おそろしさにまるにいのりをかくるよな。丸もさづかひをするぞ。只今もゆりたる地震に丸もおそろしくて、杉の木へとびあがりたり。氏子うぢこどものこわがるは道理だうりかな。さりながら、丸が心をすいりやうせよ。氏子うぢこどもを随分ずいぶんまもらうとはおもへども、なゆのゆるたびに、丸がむねがをどりて、まもりつめてられぬぞ。只その身/\によく/\用心をせよや」とぞ、神はあがらせ給ひけり。

※ 「御たくせんのこと葉」は、御託宣の言葉ことば
※ 「三ねつ」は、仏語。三つの苦しみ。熱風や熱砂に身を焼かれること、悪風が吹いて住居や衣服を奪われること、金翅鳥こんじちょうに食われること。
※ 「大なゆ」は、大地震のこと。
※ 「すいりやう」は、推量でしょうか。

近江路はことに大なゐふりければ、こゝにもかしこにも子宮小社こやしろまで在所ざいしよ/\よりをまりらせていのりをかくるに、やしろは●り在所はちがへども、神子みこは四の宮の神子 只一人なり。こゝかしこへやとはれて御たくせんをおろし奉るに、大かたおなじ事なり。大津かいだう、山科わたり、諸羽大明神にをまいらせしに、四の宮の神子みこをやとひて御たくせんおろし奉る。すでにをあびをはりて、やがて御たくせんあり。「いかに氏子うぢこどもよくきけ、この年月日ごろは丸をあるものかともおもはず、社檀しやだん拝殿はいでんもこをれかたぶき●には草のみ生茂おひしげり、まことにさびしさいふばかりなし。

※ 「大なゐ」は、大地震のこと。
※ 「大津かいだう」は、大津街道。大津宿と伏見宿を結ぶ街道のこと。
※ 「山科わたり」は、山科わたり。
※ 「諸羽大明神」は、山城国山科郷の第四の宮(現在の諸羽もろは神社)のこと。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

まうでくる人もなく、とうみやうをかゝぐることもなし。いはんや神楽かぐらなどはまつりの日より外にはきかず。御供ごくうもその日のまゝにて、そなふることなし。あまりのさびしさには高居のもとに立出て、往来わうらいの旅人をみてこゝろをなぐさむばかり也。日ごろかけたる絵馬ゑむまどもは、雨露にさらされ、のぐはげてのるべきやうもなし。いづかたに何事のあればとてかけいづべきたよりをうしなひ、れき/\の神たちにあなづられなどしめらるゝは、みな氏子うぢこどもの所為しわざぞかし。かやうの折から述懐じゆつくわいをせずば、今より後も丸をすてものにすべし。

※ 「まうでくる」は、もうで来る。
※ 「とうみやうをかゝぐる」は、灯明とうみょうかかぐる。
※ 「外には」は、ほかには。
※ 「れき/\の」は、歴歴れきれきの。家柄や身分などが高く、格式があること。
※ 「あなづられ」は、あなづられ。軽蔑されること。

それに只今めづらしきをくれて、しばらく三ねつのくるしみをたすかり、こゝろもすゞやかにおぼしたり。このほどの地しんがおそろしさに、俄にをかぬものを尋るやうに、丸が所へ来りてたのみをかくるかや。地しんのゆるたびに、やしろ拝殿はいでんもくづれさうにてきづかひなれば、これをくづされては重ねて立てくるゝものはあるまじ。いかにもしてくづさじと用心にひまがなければ、湯をくれたるはそれしかれども、なゆの中は丸がちからわざにならぬぞ。只用心をよくせよ」とて、神はあがり給ひぬ。氏子うぢこどもは用心をせよとの御たくせんなり。

用心をせずはばちあたるべし。御たくせんにしたがひて、いざや用心して神の心をいさめよとて竹のはしらこもぶきの小屋をかまへてうつりすみけるありさま、俄に乞食こじきのあつまりたるにまがはず、見ぐるしき事ども也。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

西の京、紙屋かみや川のほとり、橘地きちぢの天皇にをまいらせしかば、御たくせんの事おはしましけり。
「いかに氏子うぢこども、かくあはたゞしき中にをくれて身のくるしみをやすむるのみならず、心のすゞやかになりたるこそうれしけれ。されば、このほどの大なゐに氏子どものきもをつぶすらんと、やすきこゝろもなく、大社の神々たちに尋ねまいらせしが、むかしもかやうにゆりそめては久しくゆりたるためしあり。さりながら、別条べつでうあるまじとはおもへどもそれもしらず、と仰せられし也。子どもよ、只用心せよ。用心といふは別の事にはあらず。のきぐちはおそひの石がおつるものぞや。小家ならば築張つゐはりをせよ。地がさけさうならば戸板といたをしくべし。障子しやうじをさしこめては、かたぶきてはあかぬものぞ、夜るもひるもあけはなしにせよ。おさなきどもはおびえて驚風きやうふうがおどるものぞ、虫薬むしぐすりをのませてすかしなぐさめよ。家がくづれさうならば、はやくにげ出よ。

※ 「別条べつでう」は、いつもとは違った状態のこと。
※ 「あけはなし」は、はなし。
※ 「驚風きやうふう」は、小児のひきつけのこと。
※ 「虫薬むしぐすり」は、小児のひきつけを治す薬のこと。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

かはらぶきの家、又は土蔵どざう戸前とまへなどは、心をつけてをゆるすな。火の用心をよくせよ、かやうの時はうろたへて火事くはじゆくものなり。丸がをしへにしたがはゞ、あやまちはあるまじきぞ。よくまもらんとはおもへども、あまたの氏子うぢこなれば見はづす事もあるべし。見わする事もおほかるべし」と。

※ 「をしへにしたがはゞ」は、おしえにしたがはば。
※ 「見はづす」は、見外みはずす。見落とすこと。
※ 「見わする」は、見忘みわする。

御たくせん、しみやかに諸人こゝろをすまし耳をかたぶけてうけたまはる所に、又おびたゞしくどう/\とゆりいでしかば、神子みこ殿どのは色をうしなひて、やしろのうへにかけのぼり、神はあがられ給ひけり。あらたにたしか●御たくせんかなとて、氏子どもは手をあわせておがみたてまつるもいとたうとし。又、かやうの事は御たくせんまでもなし。いかなるものも心持たる事也。さるめづらしからぬ御たくせんかなとつぶやきわらふ人もありけり。その外京田舎ゐなかなゐのふりける所々は、俄にそこ/\の神前をきよめいのりをかけて御たくせんをおろし奉る事さま/\なり。

※ 「いとたうとし」は、いととうとし。
※ 「そこ/\」は、其処其処そこそこ。あちこち。



筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖