吉原の 太夫、新造、禿 の姿とともに、彼女たちの真筆とされる和歌や俳諧が配された作品です。
浮世絵を描くのは 山東京伝、序文を太田南畝、あとがきを朱楽菅江が書いています。出版は天明四年(1784年)、まさに天明狂歌の黄金期です。
太夫たちの個性ある筆跡は、解読できない文字が多く、また文意をくみ取れない箇所も多々ありました。何卒ご容赦ください。
※ 「からさえづり」は、意味のわからないことを言うこと。唐囀、韓囀。
※ 「から言」は、能で、唐人の所作をまねて演じること。唐事。
※ 「千枝」は、平安時代中期の画家。「源氏物語」須磨の巻などに絵の名手としてとりあげられています。
※ 「つねのり」は、平安時代中期の宮廷絵師、飛鳥部常則。常則が 倭絵の屏風を描いたことが「やまとえ」の始まりとされています。
※ 「時勢」のふりがな「いまやふ」は、今様。当世風の、今風のという意味。
※ 「 水茎」は、筆跡、または、消息の文、手紙のこと。
※ 「晦日」は、陰暦で月の終わり、月末のこと。月の光がまったく隠れて見えなくなります。つごもり。みそか。
※ 「四手駕」は、江戸時代に庶民が辻駕籠(客を乗せる駕籠)として用いた駕籠のこと。
※ 「三蒲団」は、 三枚重ねの敷蒲団。江戸時代、最上位の遊女が用いたそうです。
※ 「僧正 遍照」は、平安時代前期の僧・歌人、遍昭。俗名、良岑宗貞。
※ 「つれ/\ぐさ」は、徒然草。
※ 「蔦のから丸」は、江戸時代中期の版元、蔦屋重三郎。蔦唐丸《つたのからまる》は狂歌名。
※ 「いな舟のいなといなまん」は、稲舟の否と否まん。「いな舟」は、「否」と「稲」のかけ言葉です。稲舟は軽い小舟のこと。
※ 「猪牙舟」は、江戸の河川で広く使われていた二挺櫓の小舟のこと。
※ 「みやま木」は、深山木。深山に生えている木のこと。
※ 「四方山人」は、江戸時代中期後半(天明期)を代表する文人・狂歌師、大田南畝。
※ 「ちりうかぶをやふくるてふらむ」は、散り浮かぶをや吹くる蝶らん でしょうか。
※ 「よつめや」「よつめ屋」は、江戸吉原の妓楼の名。四目屋。京町一丁目の四つ目屋善蔵と、同町川岸の四つ目屋彌兵衛の二軒があったそうです。
※ 「てうしや」は、江戸吉原の妓楼の名。新吉原江戸町二丁目にあった丁子屋。
※ 「一時来 春風 春水」は、唐の漢詩人、白居易(白楽天)の詩「春風春水一時来」。春風 春水 一時に来たる。
※ 「鳴鞭過酒肆 袨服遊倡門」は、唐の詩人、儲光羲の詩。鞭を鳴らして酒肆に過り、袨服して倡門に遊ぶ。酒肆は酒を売る店、倡門は娼門。
※ 「大もんじや」は、 江戸新吉原京町一丁目にあった妓楼の名。大文字屋。
※ 「毛延壽」は、元代の戯曲『漢宮秋』に登場する画工、毛延寿。政略の犠牲となり匈奴に降嫁した前漢の王昭君の故事を題材にしています。毛延寿は、元帝の後宮にいる王昭君が、自分が要求した賄賂を贈らなかったので、その肖像画を醜く描きます。
※ 「花柳」は、遊郭のこと。花柳、廓。
※ 「 今戸の煙」は、今戸焼を焼く窯から上る煙のこと。今戸焼は江戸名物のひとつ。
※ 「佳人」は、美人のこと。
※ 「真蹟」は、その人が書いたと確実に認められる筆跡のこと。
※ 「三千の佳麗」は、白居易の長恨歌「後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身」、三千の寵愛一身に在り。君主など、地位の高い人の愛情を独占すること。
※ 「一帙」の「帙」は、書物の損傷を防ぐために包む覆いのこと。
※ 「 筆端」は、筆先のこと。
※ 「楚腰」は、美人の細い腰のこと。楚の霊王が腰の細い美人を好んだため、寵を争って絶食し餓死するものが多く出たという故事に由来します。
※ 「蝉鬢」は、蝉の羽のように透き通って見える鬢。のこと。特に、女性の美しい髪のたとえ。
※ 「朱楽舘」は、江戸時代後期の狂歌師、朱楽菅江。
筆者注 ○は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖