![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/124230048/rectangle_large_type_2_b602dac1bc0ca8b170c8d653bb960e06.jpeg?width=800)
【人相学】『武者鑑』白縫姫/鎮西八郎為朝/悪源太義平/夜叉御前
![](https://assets.st-note.com/img/1702265027865-gQfU0chEF9.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1702265027842-UGnPDWNRCt.jpg?width=800)
白縫姫
姫は、肥後国にて、威を 震ひし 平 の 忠国といへる 武士の 一女 なり。為朝 豊後に 在し時、壻となりて、この 白縫を 娶りて、為次といへるを 産せし也。
姫は、女性 に 似合ぬ 大力にて、善 長刀をつかひ、且、貞節 類 稀なりしが、為朝 伊豆へ 配流しと 聞て、為次を 懐 にて 跡をしたひ、尾州まで来しに、病にかゝりて 死すといへり。
姫は、その以前、御曹司に 別れんとせし時分、ゆへなくして 髪の 毛 少しばかり 抜落し 㕝あり。是なん 良人に 生別るゝか、又は、其身にとつて、極不詳の 相 顕はれしなりしといへり。
※ 「尾州」は、尾張国。
![](https://assets.st-note.com/img/1702265027771-r5V8ybYyfG.jpg?width=800)
鎮西 八郎 為朝
為朝は、為義の 八男にて、力膂 人に 勝れ、善 強弓を 射るが、保元の乱れに 軍 破れて、伊豆の 大島へ 流されけるが、却つてこれを 悦び、三宅 八丈の 島々を 従へて、威を 揮ふ。其後、官軍 茂光 にせめられ、一矢に 軍舩を 射破りて、討死と 披露して後、琉球国へ渡り、国王となりて、今に 連綿と 子孫 繁昌すと聞り。
為朝は、勇気 猛然として、筋骨 逞しく、所謂 荒武者なりしが、親に 孝ありて、然も 智仁あり。面体別に ● らずといへど、乳に 長き 毛生ひ、腹下豊 にして、臍 深く、都て 全身の肉やはらかなり。是、中年 已上 富貴を 保つの 相なり。
※ 「力膂 」は、膂力。 筋肉の力、腕力。ふりがなの「りきりやう」は、りきりょう(力量)と思われます。
※ 「 全身」のふりがな「そうみ」は、総身。
![](https://assets.st-note.com/img/1702265027819-dOQ92sTT3f.jpg?width=800)
惡源太義平
義平は、義朝の 長男にして、十五才の時、伯父 義賢を 討ゆへに、悪源太といふ。十九才の節、重盛を 待賢門に 破り、二十才の時、清盛を 躵ふ 縡 顕はれて、難波六郎 に 殺さるゝといへど、後、雷となりて 経俊を 布引の 滝に 撃殺すといふ。
古今獨歩の 勇将にて、扶桑に 冠 たりといへど、眼中 大に 光々 として、瞬 至つて 慌 敷物を 見詰て、眼を 不働、毛髪 赤く 縮て 短かりし。是、勇はあれども、智はなき 相なりしとかや。
※ 「古今獨歩」は、昔から今に至るまで匹敵するものがないこと。古今独歩。
![](https://assets.st-note.com/img/1702265027868-hrNVzFPbP3.jpg?width=800)
夜叉御前
夜叉御前は、義朝の 女 にして、美濃国 青墓の 長、大炊の 娘 千寿の 生る 姫なり。十一才の時、父 義朝の 討れ、又、兄 義平は 行方 知れず、朝長は 自害し、頼朝は 平家に 捕はれとなるを 視て、女ながらも 自 とて、頭の殿の 女 なり。敵の手に 死せんよりはとて、株瀬川といへるへ 身を 投て 死すは、乙女に 似合ぬことにて、健気なる 心 ざしこそ、実 武士に 娘 なり。
此 姫、獣目とて、内眥 外眥 の 肉少し 眼の 玉を 覆ひたり。これ 極めて 水に 依て 命 終るの 相なりしといへど、尤 おしむべき 姫なかりし。
※「株瀬川」は、杭瀬川。岐阜県南西部を流れる川。
※ 「眥」は、まなじり、目尻のこと。
『武者鑑』の人物一覧はこちら
→ 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖