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【人相学】『武者鑑』白縫姫/鎮西八郎為朝/悪源太義平/夜叉御前

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


白縫姫しらぬひひめ
ひめは、肥後国ひごのくににて、ふるひし たひら忠国たゞくにといへる 武士ものゝふ一女ひとむすめ なり。為朝ためとも 豊後ぶんごおはせときむことなりて、この 白縫しらぬひめとりて、為次ためつぐといへるを うませし也。

ひめは、女性によしやう似合にあは大力たいりきにて、よく 長刀なぎなたをつかひ、かつ貞節ていせつ たぐひ まれなりしが、為朝ためとも 伊豆いづ配流ながされしと きゝて、為次ためつぐふところ にて あとをしたひ、尾州びしうまでしに、やまひにかゝりて すといへり。

ひめは、その以前いぜんおん曹司ぞうしわかれんとせし時分じぶん、ゆへなくして かみ すこしばかり 抜落ぬけおちことあり。これなん 良人おつといきわかるゝか、または、そのにとつて、ごく不詳ふしやうさう あらはれしなりしといへり。

※ 「尾州びしう」は、尾張国おわりのくに


鎮西ちんぜい 八郎はちらう 為朝ためとも
為朝ためともは、為義ためよし八男はちなんにて、力膂りきりやう ひとすぐれ、よく 強弓がうきうるが、保元ほうげんみだれに いくさ やぶれて、伊豆いづ大島おほしまながされけるが、かえつてこれを よろこび、三宅みやけ 八丈はちでう島々しま/\したがへて、ふるふ。そののち官軍くわんぐん 茂光しげみつ にせめられ、一矢ひとやいくさぶねやぶりて、討死うちじに披露ひろうしてのち琉球りうきうこくわたり、国王こくわうとなりて、いま連綿れんめん子孫しそん 繁昌はんじやうすときけり。

為朝ためともは、勇気ゆうき 猛然もうぜんとして、筋骨きんこつ たくましく、所謂いはゆる あら武者むしやなりしが、おやかうありて、しか智仁ちじんあり。面体めんていべつかへ らずといへど、ちゝながひ、腹下豊ほていのぶくろ にして、へそ ふかく、すべ全身そうみにくやはらかなり。これ中年ちうねん 已上いじやう 富貴ふうきたもつの さうなり。

※ 「力膂りきりゆう 」は、膂力りょりょく。 筋肉の力、腕力。ふりがなの「りきりやう」は、りきりょう(力量)と思われます。
※ 「 全身そうみ」のふりがな「そうみ」は、総身。


惡源太あくげんだ義平よしひら
義平よしひらは、義朝よしとも長男ちやうなんにして、十五才のとき伯父おぢ 義賢よしかたうつゆへに、あく源太げんたといふ。十九才のとき重盛しげもり待賢門たいけんもんやぶり、二十才のとき清盛きよもりねらこと あらはれて、難波六郎なんばのろくらうころさるゝといへど、のちらいとなりて 経俊つねとし布引ぬのびきたきうちころすといふ。

古今ここん獨歩どくほ勇将ゆうしやうにて、扶桑ふさうくわん たりといへど、眼中がんちう 大に 光々くわう/\ として、またゝき いたつて せい 敷物しくものつめて、不働はたらかず毛髪もうはつ あかちぢみみぢかかりし。これゆうはあれども、はなき さうなりしとかや。

※ 「古今ここん獨歩どくほ」は、昔から今に至るまで匹敵するものがないこと。古今ここん独歩どっぽ


夜叉やしや御前ごぜん
夜叉やしや御前ごぜんは、義朝よしともむすめ にして、美濃みのくに 青墓あをはかちやう大炊おほいむすめ 千寿せんじゆうめひめなり。十一さいときちゝ 義朝よしともうたれ、またあに 義平よしひら行方ゆくゑ れず、朝長ともなが自害じがいし、頼朝よりとも平家へいけとらはれとなるを て、をんなながらも わらは とて、とう殿とのむすめ なり。てきせんよりはとて、株瀬くひせがはといへるへ なげすは、乙女をとめ似合にあはぬことにて、健気けなげなる こゝろ ざしこそ、げに 武士ものゝふむすめ なり。

この ひめ獣目じうもくとて、内眥うちまじつ 外眥そとまぶちにくすこしたまおほひたり。これ きはめて みづよりいのち おはるの さうなりしといへど、もつとも おしむべき ひめなかりし。

※「株瀬くひせがは」は、杭瀬くいせがわ。岐阜県南西部を流れる川。
※ 「眥」は、まなじり、目尻のこと。



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