見出し画像

【人相学】『武者鑑』丹後局/秩父庄司重忠/清水冠者義高/大姫君

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


丹後局たんごのつぼね
つぼねは、ゆうにやさしき 女性によしやうなれば、頼朝よりともふか寵愛ちやうあいをなし給ふによつて、いつしか 懐妊くわいにんありけるよしを、御臺所みだいどころきゝ玉ひて 嫉妬ねたましきことにおもひ、何卒なにとぞしてなきものにせんと 腹心ふくしんものいひつけて、つぼね由比ゆゐはまひとしらずころさせんとし給ふを、重忠しげたゞ四相しさうをさとる人なれば、つぼね死相しさうあるをて大いにおどろき、これ御臺所みだいどころ嫉妬しつところされ給ふらんとて、計㕝はかりごとめぐらして、西国さいごくかたおとしまいらす。途中とちう摂州せつしう住吉すみよし境内けいだいにて、目出度めでたく 若君わがぎみ 誕生たんじやうあり。すなはちこの きみ始祖しそとして、いまなほ 西国さいごく連綿れんめんたる源氏げんじあり。

それ死相しさういろおほるといへば、いまこゝには つまびらか にせず。しよによつてもとむべし。

※ 「四相しさう」は、仏語で、物事や生物の移り変わる姿を四つにまとめたもの。ここでは、生・老・病・死のことと思われます。


秩父庄司ちゝぶのせうじ重忠しげたゞ
重忠しげたゞは、畠山はたけやま 重能しげよしなんなり。強力がうりき無双ぶさうにして、坂東ばんどうならぶものなし。しかも、清直せいちよくにして、忠義ちうぎ金鉄きんてつのごとく、戦功せんこう數多あまたありて、鎌倉かまくら第一だいち忠臣ちうしんなれば、北条ほうでう父子ふしかね大望たいもうくはだてあれば 邪魔じやまなりとて、重忠しげたゞ 謀叛むほんのよしを 實朝さねとも 将軍しやうぐんもふして、これ不意ふいうつ重忠しげたゞゆうなりといへど、大軍たいぐんてきしがたく、愛甲あいかう三郎のあたつてす。ときに、とし 四十二才なり。ひとみな忠勇ちうゆうしやうしてをしまぬものなし。

重忠しげたゞは、面体めんていあつてたけからず。堂々だう/\たる容儀やうぎあれど、はな根元こんげんよこすじありて、うちいりこんでありしが、これ不時ふじなんにあふ あやうさうなりしといふ。


清水冠者しみづのくわんじや 義高よしたか
義高よしたかは、義仲よしなか一子いつしなるが、鎌倉かまくら人質ひとじちとしてきたりけるを、頼朝よりともよろこびて、養子やうしとしておほ姫君ひめぎみめあはさんとてとゞめおかれしが、義仲よしなかほろびてのちひそか義高よしたかうすなはんとの沙汰さたあれば、附人つきびととしてきたりし 海野うんの幸氏ゆきうぢ すゝめて 鎌倉かまくらしのいで落行おちゆくに、武州ぶしう入間いるま川原がはらにて 追手おつてためころさるゝ。

義高よしたかは、古今こゝん美男びなんなれど、ゆうもなくもなく、あへしようする ところなかりしが、世人せじんおほくは 男女なんによかぎらず美貌びぼうこのむといへど、べつして男子なんしたるものは 智勇ちゆうさへあれば、美顔びがんならぬをこそ よしといふべし。


大姫君おほひめぎみ
ひめは、頼朝よりともむすめなり。させる美色びしよくはなけれど、あくまで貞心ていしんふかく、頼朝よりともより義高よしたかめあはさんとのことゆへ、今日けふ明日あすやとまつうちに、義仲よしなかほろびてのち義高よしたか藤内とうない光澄みつずみためうたれしときくより、ふかなげかなみて、飲食いんしよく さらのどくださずありければ、御臺所みだいどころは大いに おどろき、光澄みつずみ義高よしたかあだとしてきらしむといへど、大姫おほひめ  いよゝ  眷恋けんれんじやうあつく、つひ漿水しやうすいたちし給ふ。これまこと貞女ていぢよともいふべきれば、容貌やうぼうきよからずとも、そのきよ末世まつせいまたかし。

※ 「漿水しやうすい」は、おもゆなど、どろりとした飲み物のこと。



『武者鑑』の人物一覧はこちら
 → 【人相学】『武者鑑』人物まとめ 👀

筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖