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【人相学】『武者鑑』松浦佐用姫/大伴狭手彦/横佩右大臣豊成/中将姫

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『武者鑑 一名人相合 南伝二


松浦まつら佐用さよひめ
佐用さよひめは、播州ばんしう 佐用さよごほり 松浦まつらうぢむすめにして、大伴おほとも狭手彦さでひこせうなり。おつと新羅しんらうたんと ともづな をとく時、愛別あいべつかなしんで、領巾ひれをぬぎてこれ打振うちふりまねけども、順風じゆんぷう真帆まほ上て、其かげ はるかになるにぞ、大に かなしみ立ながら、こがれ死して石とす。これより、巾振山ふれふるやまて、望夫ぼうふせき今猶いまなほそんず。

佐用さよひめは、ひたいはえさがりく、そのうち旋毛つむじありて、まゆと眉との間に 竪筋たてすぢ一二本あり。是なん 恋情れんじやうあちつさうにして、をつとしたこりて石となるは、和漢わかん ためしすくなく一といふべし。

※ 「領巾ひれ」は、古代の女性が肩にかけて左右に垂らした服飾。下図の白い布の部分(領巾ヒレ也)。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『遊古世 巻1


大伴おおとも狭手彦のさでひこ
狭手彦さでひこは、大伴おほとも大連おほむらじ 金村かねむら二男じなんなり。宣化せんくわていの御とき新羅しらぎより 任那国みまなこくおそふによりて、これすくはんと、狭手さでひこ その軍将ぐんしやうえらまれて 発向はつこうなす。そのせう わかれを かなしんで、これとゞむといへど、一婦いつぷため君名くんめいはづかしめずと、かのくにわたりて おほいこうあり。ゆうかね良将りやうしやう 也。

狭手さでひこ いとけとき、ある相者そうしやいふこの稚子ちご かほかたちながく、ひたいたかく、まゆ 頭尾あとさき ほそく、中間なかごろふとく、毛色けだちよく いち文字もんじにして、大きく、くちびる うすく、くれなゐにしてその つやひかりあり。手足てあしゆび ほそまろく、うち やはらかなり。これ 後年こうねん あぐさうありといへり。むべなるかな、とほ異国いこくまでそのを揚しとは あたれるかな。


横佩よこはぎ 右大臣うだいじん 豊成とよなり
藤原ふぢはら豊成とよなりは、聖武せいむ天皇てんわう 天平てんぺい廿ニ年に 大臣だいじんにんず。このけう面体めんてい つねかはらずといへど、はなもとに 横紋よこすじありて、の中へ入こんであり。これ無実むじつ災難さいなんにあふの さうなりしに、孝謙かうけんてい宝字ほうじ元年、奈良なら麿まろ仲麿なかまろのことによりて、つみなくして 筑紫つくしながさるゝといへど、其後七ヶ年をて、赦免しやめんかうむる。そのころは かの横紋よこすじきへて、あとなしとかや。されば、不時ふじ大難だいなんさうありとも 謹恐きんきやうふかきときは、悪相あくさう かえつて善相ぜんさうとなるといへり。


中将姫ちうぜうひめ
ひめ豊成とよなりの 御むすめなりしが、三才にてはゝおくれ、成長せいてうにしたがつて 美麗びれいいふばかりなし。よりみかどより 中将ちうぜうくらゐを給ふ。継母けいぼこれねたみ、ざんかまへて、雲雀ひばりやまにすつるに、ひめ剃髪ていはつして 善心ぜんしんといひ、はゝ後世ごせとむらはんと、はす曼荼羅まんだらおるに、ほとけたすけありて、その大願だいぐわんはたして、宝亀ほうき六年四月十七日、二十九歳にて 往生わうじやうとげ給ふ。

そのかしら まろく、顛頂いたゞき たひらにして、みゝいたつて ながほそく、くじらにくのごとく青白あをりそかりしといへり。これ 仕合しあはせさうなれど、出家しゆつけすれば たうとさうなりしとかや。

※ 「ざん」は、そしる、よこしまの意。



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