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『かなめ石』上巻 九 方々小屋がけ 付 門柱に哥を張ける事

寛文二年五月一日(1662年6月16日)に近畿地方北部で起きた地震「寛文近江・若狭地震」の様子を記したものです。著者は仮名草子作者の浅井あさい了意りょうい。地震発生直後から余震や避難先での様子など、京都市中の人々の姿が細かく記されています。〔全十章〕

九章では、小屋掛け(仮設住宅)の様子や、地震が止むようにと家々の門柱に札を貼る様子が伝えられています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

九 方々はう/\小屋こやがけ 付 かどばしらに哥をはりける事

をよそこの時にあたつて、洛中らくちうはし/\には家もたおれ、人もきずをかうぶり、土蔵どざうのくづれたる事、京都に二百余庫よこなり。打ころされける人、四十余人とかや。

そのほか、諸寺しよじ諸社しよしやいしどうろう、築地つゐぢ、五りん石塔さきたう、あるひは、●かたぶき、あるひは、むながはらくづれおち、寺ゝのつりかね共らは 撞木しもくうごきふらめきて、みな一どうにはやがねをつきけるこそ、いとゞきもつぶれ、おどろきけれ。

※ 「洛中らくちう」、京都の市中のこと。
※ 「はし/\」は、端々はしばし
※ 「きずをかうぶり」は、きずかうぶり。傷を負って。
※ 「築地つゐぢ」は、土で造った垣根のこと。
※ 「五りん」は、五輪ごりん卒都婆そとば
※ 「むながはらくづれおち」は、棟瓦崩れ落ち。
※「撞木しもく」は、釣鐘つりがねを突く棒のこと。撞木しゅもく
※ 「はやがね」は、早鐘はやがね。火事や水害などの緊急事態を知らせるために激しく乱打する鐘のこと。

むまれてよりこのかた、かゝるおびたゞしき大なゆは、おぼしたる事もなし」などいふうちに、又ゆり出し、時をうつさず、をもあらせず、ひたものにゆりけるほどに、五月朔日、ひるのうちに五十六度、その夜にいりて四十七度にをよべり。ゆり初めほどにこそなけれ。

※ 「大なゆ」は、大なゐ と思われます。大地震のこと。
※ 「おぼしたる」は、おぼしたる。
※ 「ひたもの」は、直物ひたものでしょうか。ひたすら、やたらと、むやみに。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

かくゆるからに、いか成大ゆりになりてか、家くづれてうちひしがれなん。いにしへ 慶長けいちやうの大地しんにも、大地がさけてどろわきあがり、なをそのいにしへは、火がもえいでゝ人おほくせしといふ。

このたびの大地しんも、のちにはいか成ことかあらんと、手をにぎり、あしをそらになし、おきてもねても、ることかなはず。立てもてもたまられず、ゆりいだすたびごとに、家ゝに時の声をつくり、いとけなき子どもは、なきさけぶ。

※ 「いか成大ゆり」は、いかなる大揺り。
※ 「慶長けいちやうの大地しん」は、慶長十九年(1614年)十月廿五日(11月26日)に起きた大地震のこと。
※ 「いか成こと」は、いかなること。
※ 「あしをそらになし」は、足を空になし。足が地につかないほどあわて急ぐさま。
※ 「時の声」は、ときこえという意味合いでしょうか。
※「いとけなき」は、いとけなき。

何とはしらず、地のそこはどう/\となりはためきて、京中さはぎ立たるどよみに物音も聞えず。とかく、町屋の家どもは残らずゆりくづすべし。

命こそ大事なれとて、貴賤きせん上下の人ゝ、あるひは寺ゝのだうまへ墓原はかはら、あるひは まちひろみ、四辻よつつじのあひだに、したには 戸板といたをしき、竹のはしらをなはがらみにし、上には渋紙しぶかみ雨葛帔あまかつはをひきはり、京の諸寺やしろにもあまり、北には 北野きたの内野うちの、むらさき野、れんだい、ふな岡山のほとり、西のかたは 紙屋かみや川をくだりに、西院さいゐん山のうち、朱雀しゆしやく土手どてのうち、みなみ山崎やまざきかいだう、九条おもて、東のかたは 賀茂かも川のほとり、ひがし河はらをくだりに、塩がま、七条川原にいたるまで、すきまもなく小屋こやがけして、あつまりきたる老少ろうせう男女なんによいく千万といふ事をしらず。

※ 「さはぎ立たるどよみ」は、騒ぎ立たるどよみ。響みは、大きな音や声が鳴り響くこと。
※ 「墓原はかはら」は、墓地のこと。
※ 「なはがらみ」は、縄絡なわがらみ。縄を巻きつけて縛ること。
※ 「渋紙しぶかみ」は、はり重ねた和紙に、柿渋かきしぶを塗って乾かしたもの。
※ 「あまり」は、人があふれて、という意味と思われます。
※ 「塩がま」は、塩竈しおがま
※ 「小屋こやがけ」は、小屋こやがけ。仮小屋をつくること。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

小屋がけのためにとて、下部しもべどものもちはこぶ 道具だうぐども、西よりひがしへ、北よりみなみへ、にげまどふ人に、もみあひこみあひ、あるひは、のり物にてゆく人も、又ゆりいだしてもなき地しんに、おのこどもきもをけし、あしなえてはのり物をどうど打おとし、あるひは、屏風びやうぶ障子しやうじをになひかたげてゆくものも、うちたをれては●ふりそこなふ。

※ 「下部しもべ」は、雑事の召使のこと。
※ 「もなき」は、絶え間なく続くこと。
※ 「おのこども」は、男子をのこども。ここでは、召使いの男性のことと思われます。
※ 「きもをけし」は、肝を消し。肝を潰しという意味。
※ 「どうど」は、どしんと。物が落ちたり、倒れたりするさま。
※ 「打おとし」は、打落とし。
※ 「にないかたげて」は、になかたげて。肩にかつぐこと。

むかしの事はしらず、このたびの地しんに貴賤上下あはてたるありさまたとへんかたなし。

ある姫御前ひめごぜんのよみける
  わくらばに とふ人あらば 小屋こやのうちに
   しとをたれつゝ わぶとこたへよ

※ 「わくらばに」は、邂逅わくらばに。たまたま、偶然という意味。
※ 「しと」は、尿しと。小便のこと。
※ 「わぶ」は、ぶ。ここでは、つらく気落ちしているという意味。

かくて、朔日の夕暮がたに成けれども、初めほどこそなけれ、もなくゆりて、しかも雨さへふり出つゝ、かみなりさはぎにうちそへ、このゆくすゑの世の中は何となりはつべき事ぞやと、おや、兄弟、たがひに手をとり、ひたいをあはせ、いとけなき●ばいだきかゝへて、うずくまりたるうへに、小屋こやのうへもり下ぬれて、いとゞ 物わびしさかぎりなし。

※ 「成けれど」は、なりけれど。
※ 「かみなりさはぎにうちそへ」は、かみなり騒ぎにうち添え。
※「小屋こやのうへもり下ぬれて」は、小屋の上漏り下濡れて。
※ 「いとゞ」は、ますます、いよいよ。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

何ものゝいだしけん。禁中きんちうよりいだされて、此うたふだにかきて、家ゝのかどばしらにをしぬれば、大なゐふりやむとて

  むね八門やつかどは 九戸こゝのへとはひとつ
    身はいざなぎの 内にこそすめ

※ 「禁中きんちう」は、皇居のこと。宮中。
※「うた」は、歌。
※ 「大なゐ」は、大地震のこと。

諸人うつしつたへて、ふだにかき、家ゝの かどばしらにをしけれども、地しんはやまず。夜中やちうに四十七度までゆり侍べり。たかきもいやしきも、きのふのひるよりこのかたは物もくはず、みづをだにこゝろのまゝにはえのまで、あれや/\とばかりにて、ふりいだすたびごとに、むねをひやし、手をにぎり、桃尻もゝじりになりて、おそれまどふ。

※ 「たかきもいやしきも」は、高きも賤しきも。
※ 「くはず」は、食わず。
※ 「えのまで」は、え飲まで。とても飲めなくて。
※ 「桃尻もゝじり」は、尻の落ち着かないこと。一つの場所に落ち着いていられないこと。

じしんゆりしづみ
こやがけへ物はこぶてい
はり物や

この哥は、むかし慶長けいちやうの地しんに、其時の人となへ侍べりしと、ふるき人はかたられ侍べり。夜あけても 猶ゆりやまず。

ある人、京の町家のくづれかゝるを見て、このうたを 翻案ほんあんしてかくぞよみける。

  むねはわれ かどはくづれて はゆがみ
   身は小屋こやがけの うちにこそすめ

※「となへ侍べりし」は、となえはべりし。
※ 「かたられ侍べり」は、かたられはべり。
※ 「むねはわれ」は、むねは割れ。
※ 「かどはくづれて」は、かどは崩れて。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『艱難目異志 上,下

すべて哥のこゝろ、いかなる事ともしりがたし。いつならん、疫病えきれいのはやりしころ、京中家ゝに花かどやといへる哥をかきて、門ゝかど/\にはりける事の侍べり。

万葉の哥に
  白雲の みねこぐ舟の やくしでら
     あはぢの嶋に からすきのへら

といへるこそ、わけの聞えがたき 証哥せうかなれといへり。

※ 「疫病えきれい」の読み「えきれい」は、疫癘えきれい。流行病のこと。
※ 「からすきのへら」は、唐鋤からすきへら
※ 「証哥せうか」は、証歌しょうか。語句・用語法などの証拠となる歌、根拠として引用する歌のこと。

この哥のたぐひにや、世の愚俗ぐぞくども、物のまじなひに哥をとなふる事あり。その哥どもは、おほかたはわけもなき片言かたことおほし。これも人のてんじて、ゆるやかになす事あり。

腫物はれものおこりうをほね山椒さんせうにむせたるなど、みなよくなれるためしすくなからず。諸人せめておそろしさのむねやすめにうつしつたへて、門ゝにを(せ)しけるも、をろかながらもことはり也。

※ 「おほかたはわけもなき」は、大方は理由わけもなき。
※ 「おこり」は、発熱を伴う病気のこと。
※ 「むねやすめ」は、むねやすめ。気安めのこと。
※ 「うつしつたへて」は、うつつたえて。
※ 「をろかながらもことはり也」は、愚かながらもことわりなり。



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