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第三十七話(バレンタインデー特別編)

 「今日は用事があるから家に帰るね」千聖にそう言われたのは2月13日のことだ。
「あ!絶対に僕ん家に来ちゃダメだよ!!」と、更に満月は念を押された。
 あまりにあからさまな拒否に、逆に何かのフリなのかなと思いこっそり千聖の家の裏門に向かうと、道半ばで既にチョコレートの香りが漂っている。
 ごまかすの下手すぎて可愛いかよ…。
裏門まで辿り着くと、中から千聖の独り言が聞こえる。
「わっ、入れすぎちゃった。…えっ、こんな沸騰するとかあるの?…わあ、待って待って!今火ぃ止めるから焦げないで!」
チョコレート相手に懇願しているようだ。
 千聖は基本的に不器用だ。縫い物をすればケガだけ増えるし、掃除をすれば何かを壊す。料理も当然、今のように焦がす。
チョコの湯煎ごときに何をどうすれば失敗するのかわからないが
「熱つっ!」
と火傷までしている。
 今すぐ火傷の手当てをしたいし中に入って手伝いたい所を、自分を褒めてやりたいくらいの忍耐力で我慢しているとついに
「うわ!」
という声と共に、派手な金属音がした。
「…えぇ…嘘だー…」
どうやら溶けたチョコが入っていた何かを落としてしまったらしい。
 明日はチョコをもらえそうにないなと思う一方で、千聖にこれ以上生傷が増えないだろうことにホッとし、満月は安心して自宅に帰ったのだった。

 机に何種類ものチョコレートが置かれている。
バレンタイン期間になったということで各デパートを周り愛和が買って来た、珍しいチョコの全種類だ。1つずつ写真を撮り、撮り終わると1つを半分にして2人で食べる。ぶっちゃけ空知には、味の違いが全然わからない。
「こういうのは料理人仲間とした方がいいんじゃないか」
 去年も思ってたことを言ってみた。
 チョコは好きなので、愛和の料理研究に付き合うのはやぶさかではない。だがそう安いチョコレートでもないのに、何の意見も言えない相手と食べるのはもったいない気がする。
「は?」
それを聞いた愛和は、心底驚いた顔で空知を見た。
「バレンタインデーのチョコを何で恋人以外と食べんの?」
「これバレンタインデーチョコなの?」
「そりゃそうだろ。今日14日だぞ」
お前大丈夫かとでも言いそうな表情だ。
 …そういうことか。
“たくさんチョコレートが出る時期だから、勉強のために色々買って食べている“ のではなく、“恋人にあげるついでに、色々なチョコレートを買ってみていた“ らしい。
 その事実に2年目にして、空知は気づけたのだった。

 山盛りチョコレートを前にしている2人はここにもいた。叶芽と正義だ。
 大学でもらうチョコは全て断っているのだが、病院で担当患者や元担当患者からもらうチョコレートは断れない。そしてそれだけでも、ソファセットの机の上がいっぱいになる。
 くれる相手により、チョコレートの種類も様々だ。
 子どもだと棒つきチョコだったり、高齢者の方だと老舗の洋菓子屋のチョコだったりする。確かに味の違いはある。だがチョコはチョコだ。さすがに飽きる。
「おい、叶芽。真面目に食べないか」
言われた叶芽は、真面目に食べるの意味がよくわからないながらも答えた。
「ちゃんと食べてるだろう」
「いや、だんだん口に放り込んでいるだけになって来てるぞ」
全て食べているだけでも褒めて欲しいぐらいなのに、食事態度を注意されてしまった。
「何でここで、お前の大食いが生かせないんだ」
正義はため息をつくと、叶芽の前のチョコレートを分類しだした。
「これは花田さん、こっちは優花ちゃんだな。…と、これは…健一郎くんだろう」
口から出る苗字は叶芽の担当患者の名前だ。
「…ほら、これだけはきちんと味わって食べろ。明日お前の外来に来るだろう。感想を聞かれるかもしれない」
 叶芽の患者は、叶芽が診られない時に正義が診ることになるかもしれない。だから正義は、叶芽の外来の日と患者まで覚えているのだろう。
 叶芽はやれやれと首を振ると言った。
「全く、正義を見ていると、自分がいかに臨床医に向いていないか思い知るよ」

 「おい、弥幸」
勉強中のテキストから顔をあげると、星陽が机の向こうに立っていた。
「やる」
とドヤ顔で紙に包まれた箱を渡して来る。
微妙にキリが悪かったので、
「サンキュ。後で見る」
とまたテキストに目を落とすと、そのテキストを床に払い落とし、バンバンと机を叩いた。
「そこは!すぐ見るとこだろ!」
何なんだと思った時、弥幸はやっと気づいた。
 …バレンタインか…。
そうだ。週半ばなのに何で今日はバイトがなかったんだろうと思ったが、そういえばシフトを組む時に、自分でわざわざこの日を空けたのだ。
 すっかり忘れて普段通りに生活してしまった弥幸に腹を立てているのかと思いきや、向かい側の椅子に座り、どちらかというと機嫌が良さそうにこちらを見ている。
 こいつのこういう所、本当に好きだよな。
改めて恋人の良さを感じながら弥幸は包み紙を開け、箱を開けた。
 その中身を見る弥幸を、星陽はドヤ度を強めながら、期待に満ちた面持ちで見つめている。
どうだすごいだろうと顔に書いてあるような表情なのだが。
「星陽」
弥幸は言った。
「俺は体にお経のタトゥーは入れてるけど、別に仏教マニアとかじゃないぞ」
 それは食べるのが非常に躊躇われる、粒チョコが敷き詰めてある上に金の仏像顔チョコがデンと乗っている、世間ではネタチョコと言われているものだった。

 珍しく会話が弾んでいない。
だが自分のことで必死な天音はそのことに全く気づいていなかった。
 この日のために、天音は、人生で初めてバレンタインフェアというものに行ったのだ。人をかき分けやっと売り場に着き、かわいいかなと思うチョコを買ってみた。
 その頑張りの成果であるチョコレートを早く渡したいと気持ちがはやった昨晩、夜のテンションで、メッセージカードに「九重へ」と名前呼びで書いてしまった。今更ながら後悔しているがボールペンで書いてしまい直せない。
 悶々と考えていると、
「天音」
と九重の声が聞こえた。
「…!はい?」
と妙に尻上がりに答えてしまったら
「その、これ…甘いもの嫌いだったらアレなんだけど…」
とゴニョゴニョ言いながら、真っ赤な顔を背けた九重が小さな箱を差し出した。包装紙が半透明で天面が透明の箱の中、カラースプレーチョコが振りかかり黄色い星が刺さった、チョコマフィンが入っている。
「もしかして手作りですか!?好きです!甘いもの超好きです!!」
えへへと笑う嬉しそうな表情を見て、これはもう買ってきたチョコレートを渡すしかないと、天音も覚悟を決めた。
「俺もあるんです!あの、これ…!」
と渡すと、一番気づいて欲しくなかったことに九重は即気づいてしまった。
「…九重へ…?」
「いや、ホント、その…調子乗ってすいません!」
頭を下げる天音の顔を覗き込むように見ると、九重は言った。
「ねえ、呼んで」
「え…はい…?」
真っ赤になりながら、天音はぽそっと言った。
「…九重…」
瞬間、九重も真っ赤になり、両手で顔を覆った。
「はぁぁ〜、やったぁ…。どうしよ…嬉しいぃ」
その後、もう1回もう1回と何回もせがまれた天音は、呼び捨てにすることに、図らずも1日で慣れることができたのだった。


星陽くんのネタチョコはこちら

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第三十八話〜弥幸✖️星陽

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