第三十六話
満席でも15人は入らないかなという小じんまりとしたこの店は、ネット検索では見つからない知る人ぞ知る店らしい。
「後輩の両親の店で前から気になってたんだけど、わざわざ来るには遠いなと思ってたからさ。丁度いいと思って予約したんだよ。付き合わせた皆には悪いけどね」
言いながら、愛和は今日撮ったカクテルの写真を空知に見せた。
「これな。カクテルにアイスクリームバー突っ込むなんて発想できるか?こういうのが俺にはないんだよなあ」
質の良いものを正統的に提供することが必要な店で働いているのだ。奇抜な盛り付けを思いつきにくいのは仕方ないフシもあるんじゃないかと空知は思う。
だが愛和は何につけ言い訳をしない人間だ。
「秋の新メニュー提案、ホテル内コンペで後輩に負けてさ。ここがその娘のご両親の店って訳」
あーあ、悔しいなあ。
言いながら、その負けたメニューの写真を見てはため息をついている。
まとめて頼んだ料理が次々と運ばれて来て、机の上がいっぱいになりつつある。今日の景色の写真なんか全く撮らなかったくせに料理の写真は何枚も撮影し、遊園地にいた時よりよほどイキイキしていた。
こいつ今、俺の存在なんか忘れてるんだろうなあ。
そんなことを思うとちょっと自分がいることも主張したくなり、空地は愛和の頭をポンポンと撫でた。
弥幸と叶芽の間の星陽は相変わらず不満だ。食事処を網羅した千聖とアトラクションをほぼ制覇した星陽で情報交換をしていた時、すごいねリードできる彼氏カッコいいねと千聖は散々褒めてくれた。だが、肝心の弥幸にはまだカッコ良いと言ってもらえていないどころか、こんなに頑張ったのに笑われただけだ。
お前なんか嫌いだーー!!
という恨みを、弥幸が皿に取ったおいしそうなものを奪って食べたり、自分が嫌いなものと交換したりして晴らしていたのだが、空知と話していてそれすら気づかない。
そんなに好きなら空知と付き合えばいいじゃん。
とふて腐れながら叶芽と話していたら、見えないようにシッと指を立てた叶芽が弥幸を指差した。
話をしながら目だけでそちらを見ると、何と弥幸が星陽を見つめている。ふいと目を逸らした横顔が何とも言えず不愉快そうだ。
何だ何だ。また嫉妬か?
ふへへっと変な笑いが出そうになった星陽は一気に機嫌が良くなった。
全くこいつは仕方ねえなあ。
すっかりニコニコになり、満面の笑みで、椅子がくっつくほど弥幸の側に寄った。
さっきから、叶芽が面白そうに弥幸の様子を見ていたのを正義は知っていた。
また人をからかって。
子どもの頃、正義もよくやられた。無視すれば良いと頭ではわかるのだが、叶芽は煽るのがうまいので変に対抗してしまい、どうでも良いことで張り合ってしまったことが何回もある。
いい加減にしろと目線で訴えたのがわかったのか、今やっと星陽を促して弥幸と話すようにしたところだ。
「その癖はやめろ。感じが悪いぞ」
叶芽が笑いながら答える。
「あんまり分かりやすく嫉妬するから可愛くて」
そして正義を見てから言った。
「昔の君も可愛かったよ」
「お前の愛情表現は遠回しすぎる。俺なんかより卒なく人付き合いができるくせに、何で気に入った相手には変なちょっかいを出すんだ」
好きだと思えばそのまま言葉でも態度でも表せばいいのに、正義には全くわからない。
「直接的に表現できるような人間は意外といないよ。君みたいな強い人はね」
予想していたものより気弱にも真摯にも聞こえる返答だった。その言葉全体に微かに漂っている雰囲気に正義は気づく。
…甘えたいモードも本当にわかりにくいな。
「どうせお前はこの食事の量じゃ足りないだろう。この後ウチに来るか?」
気付くのはこの世で俺だけかもしれないなと思いながら、正義は遠回しに叶芽を誘った。
千聖は隣に座る天音と久重たちの話を楽しそうに聞いていた。
それを見ている満月は、今日はそれぞれで回ることになって本当に良かったと思っている。
今日そうできたのは、最初に叶芽と正義が2人で抜けてくれたことが大きい。店をゆっくり見たいというのも嘘ではないだろうが、一緒に回ることで皆に気を遣わせたくないという千聖の気持ちを汲んでくれたのだと思っている。
正義は千聖のことが気になったのもあって来てくれたんじゃないかという予測は正しかったようだ。叶芽と正義はパレード前、向こうから満月と千聖を探し、来てくれた。
会ってすぐに正義が千聖の顔色を確認するのを見た時、この人は本当は、様子を見ながら一緒に回りたかったんじゃないかなという気がした。
「楽しかったか?」
聞くまでもない質問だったが、本人の口から聞いてみたくて千聖に尋ねた。
「うん、すっごく楽しかった。夏って感じだったよ」
「どんな感じだよ」
と応じてみたが、満月はわかっている。
カンカン照りの日差しの下で皆と遊ぶこと。それが千聖のイメージする「夏」だったんだなと。
あの後行き当たりばったりで進んでいた天音と久重は、カバンから地図を引っ張り出し、どこを回ったか今更ながらチェックしている。たくさん撮った写真と地図を照合していると、今日の思い出と共に幸せ感が蘇って来た。
「これ天音が同じ道二回通って、焦って案内看板見てるとこ」
「こんなとこ撮ってたんですか。全然気づかなかった。俺焦りすぎてカチューシャ歪んでるし」
「ジュース飲んでる時に撮り合ったの見せて」
「…あれ?久重さんがジュースこぼして拭いてるのしかない」
「え。やだってそれ。変な顔してるから消しといてよ」
「何でですか。この顔がいいんですよ」
としばらく笑い合っていたが、天音は思わずポツリと呟いてしまった。
「すごく楽しみにしてたのに終わっちゃいましたね」
その言葉に、久重は天音の片手をキュッと握る。
「また来ればいいよ」
ニッコリと笑い、言った。
「僕たち付き合ってるんだもん。これから何回でも遊びに来れるよ」
「…そうか。そうですよね」
久重が握った手に、天音はもう一方の手を重ねた。
「後80年くらい一緒にいるんだし、その間に何百回も来れますよね」
そう言った途端、久重が真っ赤になった。
どうしたんだろうなと思った天音はちょっと考えて言い直す。
「80年だったら俺たち100歳くらいになっちゃうか。さすがにその年で遊園地はきついですね」
天音にとって、この先ずっと久重といるのは当然のことなのだ。
だから、それを言葉にするとプロポーズになるなどということには一切気づかないのだった。
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