Diary 8

アンフェールの夢

1 ウキグモさんと昔の思い出

 ふと気づいた時見えたのは、木々の間の空だった。晴天だったら良かったのだが、空は薄い雲が全面覆っている。
 雲の上はいつも晴天という言葉があったな。
次に目覚める時はあの雲の上だろう。できればそこは天国であってほしい。

 聞いていたより数倍多い軍勢だった時、ほんの30人にも満たないこの分隊を率いる分隊長は生き延びることを命じた。極みを持つわけでもない分隊長が、部下が逃げるまで1人で何とかしようとしているのに気づいたジャンニは、最後まで残ることが、今唯一極みを持つ者の義務だと思った。
 だからできるだけ身を隠しながら、出来得る限り広範囲に、極みの壁を張り続けた。
 うまくいっていればそれなりの人数の敵が幻覚を見ているだろう。逃げる時間稼ぎができたはずだが、それが見れたわけではないので自分が役立てたかは良くわからない。

 …ああでも、私が攻撃されるということは、他に隊員はいないのかもしれない。
 迫り上がって来たものに咳き込むと血の香りが喉から鼻にかけて広がり、口元を拭うと綺麗な鮮血だった。
 切り傷のいくつかは深いようで、出血し続けている。この木の根本から動けはしないしもはや痛みも寒さも感じないが、意識が遠のく度にまた目覚めているのは、生まれ持った頑丈な体のおかげなのだろう。

 また意識が遠のいて来た。もうそこまで死が迫っている。
薄らぐ意識の中で、今回は一緒に戦えなかった先輩の面影が過ぎる。それに縋るように、僅かに出る声を絞り出した。
「…ウキグモさん、助けてください…」

「おい、生きてるか!」
 今求めていた聞き覚えがある声がした。死ぬ前の幻聴かと思っていたら、頬を軽く叩かれる。目を開けると、藍色の髪がかかる顔がホッと相好を崩した。それを見ると安心して、良くわからないが笑ってしまう。
「…でも動けません」
「何笑ってんだ」
ボロボロのTシャツを破って脱がせると、それを使い、出血がひどい腹部をキツく縛る。
「痛っ!それ傷に食い込んでますよ!」
「俺は治療班じゃねえんだよ。そんなの知るか」
言ってから続けた。
「ま、そんだけ文句言えんなら大丈夫だな。隊長連が何人か来たから、そろそろ敵も全滅すんだろ。分隊の奴らは全員無事だ。後はお前だけだよ」
「…私の極みは役に立ちましたか?」
よいしょとジャンニを背負う体勢に入りながら、ウキグモは少し振り返ってちょっと笑った。
「良くやったんじゃねえか?褒めてやるよ。でも加減はまだまだだな。何人か精神崩壊してたみたいだぞ」
言いながらしっかりと背負われたので、つい心配になって聞いてしまった。
「私は重いですよ?」
「俺に一回も腕相撲で勝てねえ奴が、いらない心配すんな」

 確かになと納得しながら、ウキグモの背中の上で、今敵を駆逐していっているだろう隊長たちの勇姿を思い描く。
 この人たちは本当に、私のヒーローだなと思いながら。


2 家族と未来の思い出

 どこかの白夜の地。
 林を切り開いたような場所に、小さな湧水湖とログハウスがある。林の向こうには遠く冠雪を抱いた切り立った山々があり、空気は少し冷んやりと澄んでいた。
 目が覚めた場所は、ログハウス入り口にあるウッドデッキだ。
 椅子のように座っていたハンモックの布は背中まで包み込み、体がいくつかのクッションに埋もれている。膝には本がうつ伏せて置いてあり、これを読みながら寝てしまったようだった。
 森から飛んできた雪梟が、白い髪に羽飾りのある青年の姿に変わる。湖の脇に降り立つと駆け寄って来た。ジャンニが起きているのを見つけた時のこの勢いは、まるで胸の中に飛び込んで来そうなぐらいだ。いつも愛らしく思うので、もう少し起きていられるようになりたいと思う。
「お帰り、ソル。皆は元気だったかい?」
「ああ、元気だったよ。イネスに会って、皆にってドゥルセ・デ・レチェを渡して来た」
ドゥルセ・デ・レチェとはミルクジャムだ。
 保存がきく日用品は体が動くときに大量に作っておくのだが、昔からの癖で作る量は多すぎて、結局そう食べるわけでもないのでかなり余るのだ。

 軍を完全に退役してからはこの場所に隠遁し、たまにイネス経由で作ったものを皆に渡したりしている。ただ、イネスは元々見える子なので、精神体としては意外としょっ中会っていて、そういう意味ではジャンニの精神体が見えるらしいクガイともよく会っている。
 とか言ってくると、ソラをはじめとするアンフェールの子達は良く遊びに来てくれ青猫などはここに一緒に住んでいるし、七福辺りはこの住所まで知ってはいるだろうから、隠遁と言えるかどうかはもはや怪しい。

 話し声が聞こえたのだろうか。人型になった青猫がドアを開け、中から顔を出した。
「ラ・ダーマ・アズール。パンが焼き上がったのかい?一緒に作ったドゥルセ・デ・レチェの試食をしてみよう」
 ここでも家族がいて、尋ねて来てくれる友人と尋ねて来ないでいてくれる旧友がいる。なんて幸せな人生なんだろう。
 最近は以前より更に涙もろくなった気がする。もしかして本来の自分はかなり感情豊かな人間だったのかもしれない。
 すると、私は長い時間をかけ、今自分に戻って来ているのかもしれないな。

 この幸せをどうやって伝えていけばいいんだろう。
 思ったが良い方法も見つからず、横にいるソルの頭をくしゃくしゃと撫でる。
そして青猫を抱きしめて頭にキスをすると、家の中に入った。


 アンフェールの池を抜けていたはずだったが?

 それはほんの数秒のはずなのに、今まで長い思い出を辿っていた。 
 不思議だなと空を見上げていると、「ジャンニ?」
とイネスの声が聞こえる。
 ジャンニは驚いて声の方向を見た。

家の庭に降り立った、月の綺麗だった夜のこと。


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